天文24年春 1
天文24年正月。
例年通りのんびりと三が日を過ごした良之は、富山御所での仕事を7日まで行うと、堺から下ってきた橘屋又三郎たち150人以上の鉄砲鍛冶たちにM-16工場へ従事させ、彼らへの教育を開始した。
良之はこの春の雪解け後に、軍用のM-16に代わり警察用に、イスラエルのサブマシンガンであるミニウージーを作成させるつもりでいる。
他国との戦争に用いられるアサルトライフルのM-16は、戦国時代においてはほぼ他国を圧倒できる武器ではあるが、自国領の治安維持にあたる警察組織においてはあまり使い回しのよい武器とは言いがたい。
そこで、9ミリパラベラム弾を用いて、マガジンにも25発から最大で50発まで装填でき、近距離の制圧力に優れたウージーの量産と普及を検討しているのである。
ウージーというサブマシンガンの誕生は、イスラエル建国と大きく関わっている。
このウージーというのはイスラエル陸軍兵器研究所に在籍した研究者、ウジエル・ガルの名前から採られた名称である。
第二次大戦後、世界各地からユダヤ人たちが集まり、シリアの南方イギリス領パレスチナにユダヤ人によるユダヤ国家、イスラエルが建国された。
なにもない所に突如作られた国家であるイスラエルには、当時アラブ人との戦争の危険が差し迫っていたが、それに対応する武器も、それを生産する工業力も乏しかった。
そこで、あまり高精度な銃は生産できないと悟ったウジエルは、非常にシンプルな工作機械で作成が可能なプレス加工を多用した量産型の短機関銃を設計した。
ただ小型・単純な構造なだけでなく、部品点数も極限まで少なく、また素材も鉄のみでデザインされた。
部品点数を減らすためにグリップに弾倉を差し込むように開発され、またその重量の8割近くが金型プレスで量産されることで、緊急性の高い治安維持兵器を一気に国内に配備できた。
ウージーは、シンプルさ故に泥や砂に強い、いわゆるヘビーデューティーな銃になった。
そして、イニシャルコストやランニングコストにも優れ、修理や交換も容易な武器になる。
ウージーは世界60以上の国で制式採用され、開発された1950年から60年以上経つ現在においても、今なお現役である。
使用される弾薬の9ミリパラベラム弾も小型、軽量で、M-16の弾薬である22口径5.56ミリNATO弾よりさらにシンプルで、大量生産に向いている。
その上、銃弾特性に優れ、反動性も低く良好だ。
戦場ではなく市街地や屋内などでの犯罪制圧に用いるためには、理想的なチョイスだといえる。
事実、銃弾には様々な規格が存在するが、21世紀においてはこの9ミリパラベラム弾が最大シェアとなっている。
開発の歴史は古く、プロダクト開始が1901年。以来100年以上経つ今日においてもまさに銃弾の主流であり続けている。
開発者はゲオルグ・ルガー。このパラベラム弾の他、ドイツ軍の制式自動拳銃であるルガーP06などで著名な設計家だ。
二条領において、このウージーと9ミリパラベラム弾の採用は、まさに貧弱な工業力下での量産という部分に合致している。
良之としては、橘屋又三郎の鉄砲鍛冶たちの生産労働力吸収を背景に、この天文24年の6月くらいを目処に量産化させたいと考えている。
候補地は越後の三条や津波目。
柏崎の発電所による電力と信濃川の舟運力を背景に、この地を鉄工生産拠点としたいと考えていた。
前年にたたら製鉄を開始させるため各地から集めた越中の村下たちに、良之は加賀、能登、飛騨、甲信へと製鉄所の建設を指示している。
原料である砂鉄の荷姿ではなく、製造したケラやズクの荷姿での効率的な輸送を考慮しての事である。
現状においても未だ鉄不足は深刻であり、電力を使用したアーク炉は発電所の問題があって容易に各地への普及は難しい。
たたら製鉄においては大量に木炭を浪費するという欠点はあるが、他方では熟練した鍛冶師や鋳物師たちにとっては地産地消で素材が手に入るという利点もある。
良之が推し進めるような工業製品ばかりではなく、未だにこの世界には村鍛冶が存在し、日用の鉄器を生産、修理をしている。
こうした過渡期といえる時代を支えるために必要な政策として、主要各地での砂鉄採集と原料生産を命じたのである。
美濃や尾張には元々砂鉄から原料鉄を生産する職人が存在している。
彼らには資本投下や人材投下、さらに砂鉄を潤沢に供給させるために商人たちに振興させ、製鉄量の増加を求めた。
良之が鉄の生産量にこだわる最大の理由は、鉄道のレールの原料確保のためである。
良之の暮らした平成時代の日本においては、日本全国、どんな小さな農道でさえアスファルトで固められた現代的な交通が確保されていたが、それは戦後の高度成長、そしてバブル期までかかってやっと実現した姿である。
戦国時代に来てしまった良之の能力では、おそらく領地にあまねくアスファルトの道路を広げようと思えば、3世代はかかるのではないか。
そこで、広大になった二条領へ物資や人員を移動させる手段として、一刻も早い鉄道網の構築を第一目標としたいと考えている。
人類史において、鉄道とは飢餓対策の特効薬であり続けた。
日本に限らず、発展途上国において鉄道は、飢餓地帯への迅速な食糧輸送に効果を発揮し、誕生以来、多くの人命を救い続けてきたのである。
二条領では、地道に馬借たちによって内陸部へ食糧や物資を送り続けているのであるが、人力、または牛馬で運べる物資など、たかが知れている。
やはり、この規模の国家を運営するのであれば、どうしても鉄道が不可欠だと良之は考えている。
さらに言うと、良之が望む高炉による製鉄において、鉄鉱石は内陸部で産出することが多い。
原料の一方であるコークスは船によって運ばれるため、製鉄所は沿岸部に建造することが望ましいため、鉄鉱石など原料鉱石は内陸部から鉄道で搬出することが不可欠になるのである。
良之の時代では、日本のレール生産技術は世界一を誇っていた。
官製八幡製鉄から後の新日鐵住金八幡製鉄所に至るまで、八幡は世界屈指のレール生産工場であり続けた。
そのクオリティはまさに国際レベルであり、世界中、それこそ遠く南米にまで海路で輸出されるというほどの信頼を勝ち得ていた。
八幡におけるレール製作を良之は祖父と一緒に見学したことがある。
熱間圧延によるユニバーサル工法と呼ばれる特殊な圧延技術を用いて成型されるレールは精度が高く、在来工法によるレールより工数が少なくありながら、品質の高い製品を大量に生産することが可能になっていた。
ユニバーサル工法を一口に説明すると、多数の圧延ローラーで一斉に四方からレール型に押し転がして、一気に目的の形に押し伸ばすシステムといえる。
一本25メートルから50メートルという長さのレールを素早く圧延させるためには、全長数キロという広大な工場と無数のローラーが必要になる。
人類の工業史における一種の究極がそこにはある。
レール工場は柏崎の荒浜一帯に建設することになるだろう。
つまり、最初の鉄道はこの地から発祥することになる。
こちらも、春の雪解けを待って工事が始まることになる。
越後における開発の最後は、尼瀬に次いで刈羽西山での第2号油井の建造だ。
1号油井と同様に、この時点では油井のような大規模構造物は良之にしか作れない。
産出した原油は、パイプラインを敷設して製油所へ直接送り出す。
副産物の天然ガスも、尼瀬同様ひとまずは液化を行い、余剰ガスは発電所へと供給することになる。
富山御所において、良之は雪解け後の越後開発のための準備計画を着々と練り上げていった。
各地域における基礎工事は、織田信長の率いる工兵に行わせ、コンクリート打ちは木下藤吉郎配下に行わせる。
レール敷設のための下準備である整地についても信長の配下に教育を施し、越後~越中間、越後~信濃間について、先行して整地、架橋、トンネル工事などを行わせることにした。
鉄道建設における最大の敵は、傾斜勾配である。
たった1%の上り傾斜であっても、機関車の牽引力は半減してしまう。そして下りにおいても、ブレーキをかけてから列車が制止するまでの距離が倍近く伸びてしまう。
それに加え、鉄道においては線路のカーブは輸送速度の低下や車体、レールの損耗を激しくさせる要因となる。
つまり、理想的な鉄道の姿とは、極力傾斜を作らず、極力直進させることであるといえる。
残念なことに、その点において日本の地勢は鉄道建設とは決定的に相性が悪い。
明治以来、日本の鉄道技術者はその技術的課題に取り組むため、トンネルと架橋によって技術的難題をクリアしてきた。
条件の厳しい日本の鉄道技術が世界最高峰まで成長したのには相応の理由があったのである。
理想的には鉄道の架橋は鉄橋が望ましいのだが、残念なことに、鋼鉄製建造物が建造出来るほどの輸送技術が未だに確立していない。
そこで、良之は木下藤吉郎と鉄筋コンクリートによる架橋を研究している。
越後-越中間、越後-信濃間双方とも山脈越えがあるため、場所によっては谷越えという架橋が長大な距離において発生する。
さらに、トンネル掘削においても、コンクリートによる補強工事が必要になるだろう。
トンネルについては、良之はまず実験的に鉱山での発破を開発して、更にはダイヤモンドヘッドによるドリルなどもすでに試作を済ませている。
火山灰土などの軟地質や地下水脈にあたった場合などは、シールド工法が必要になる可能性もある。
シールド工法とは、シールドマシンという円筒形の巨大なドリルを先端に持つ掘削機でトンネルを掘り進めつつ、シールドマシン内部でプレキャスト工法で製造されたトンネルのコンクリート壁を組み上げながら徐々に先に進んでトンネル工事を行う、超大型建設工機のことだ。
日本では主に海底トンネルや地下鉄工事に利用される。
この工法によって、従来大変危険だった地質の場所での工事は、一定以上の安全性を確保できるようになったのである。
シールドマシンを導入する際には、間違いなくその場に良之がいる必要があるだろう。
巨大なシールドマシンを収納できるのも、錬金術で組み上げられるのも、彼以外にあり得ないからである。
そのため、できうる限りにおいては、木下藤吉郎などの技術者が配下を使って工事を進めてもらう必要があった。




