天文23年夏 2
ロータリーキルンは、スクリューコンベアに発想が近い。
スクリューコンベアはシャフトにらせん状のスクリューが付くことで材料を押し上げる仕組みだが、ロータリーキルンの場合、円筒の内部にらせん状のコンベアプレートが設置されることで、材料を徐々に上部に押し上げ、もしくは下部に落としていくことになる。
その円筒内にガスバーナーによる火炎の放射を行うことでキルン内を加熱して、材料の反応を期待する設備である。
鉄鉱石の場合、粉砕された原料鉱石から選鉱プロセスによって抽出された粉末状の原料鉄をロータリーキルンによって加熱し、ペレット化させた良質な鉄材料へと加工することが期待される。
ロータリーキルンに投入される材料は、選鉱時に抽出された鉄と、還元剤としての粉末炭だ。
多くの場合はロータリーキルンによる焼成の前段階でペレット加工がなされるが、ロータリーキルンから直接電気炉へ材料が投下される設備の場合、そのコストはカットされることもある。
余談だが、ロータリーキルンの用途は広い。
製鉄に用いる鉄鉱石の還元や焼成の他、セメントの製造においては石灰と粘土の焼成に用いられる。
また、近年では下水設備で残留する汚泥の焼却や炭素燃料化といったリサイクルプラントにも導入されるほか、自治体による可燃ゴミの焼却炉として導入される事例もある。
その全ての用途において、良之がこの時代の技術者たちに技術移転が出来た場合、有効な基礎技術になり得るのである。
特に、人糞を肥料として使う事を禁止している二条領の場合、その処理問題が発生している。
錬金術で肥溜めを資源化するようなでたらめは未だ良之以外の錬金術師には不可能だ。
いずれかの時点で良之は二条領全土で上下水道の整備をせねばならず、その際には、必ず汚泥の問題が発生することを覚悟する必要があるのである。
現状の技術面において、良之以外にロータリーキルンが作れない理由は、単にクレーン設備がない、という一点に尽きる。
クレーン設備自体は、すでに造船所などでその原型を提供していることでこの時代の技術者たちにもその原理は理解出来てはいる。
問題は、クレーン車やトレーラー、貨物鉄道などの陸送重機が走れるような道路・線路が未だに解決できていないことだ。
単純な技術的側面で言えばすでに広階小三太や木下藤吉郎あたりはロータリーキルンの原理はきっちり把握しているので、良之抜きでも彼らによって、近い将来にロータリーキルン建造が実現するだろう。
天文23年7月。
越中での電気銑鉄炉の完成を見た良之は、越後尼瀬の油井へと向かっている。
以前、油井から発するメタンガスを海上に解放していた理由。
それは長尾家が支配する越後にあって、必要以上の技術を展開することが危険だったためだ。
だが、長尾が二条家に臣従した現在、良之にとって自重する必要が無くなった。
貴重な資源である可燃ガスを無為に廃棄する必要が無くなったのである。
良之は丹治善次郎を同行させ、天然ガスによるタービン発電所の建造にかかることにした。
ガスタービン発電では高熱の排気ガスが発生する。
この高熱のガスでさらに蒸気を発生させると、蒸気による火力発電も可能になる。
コンバインド発電だ。
油井から登る可燃性ガスには硫黄分が含まれるため、そのガスの燃焼後の排ガスは脱硫装置を経て二酸化炭素分離回収プラントに回される。
二酸化炭素と硫黄分が取り除かれた排ガスは、窒素酸化物分解触媒を経て大気放出される。
ここで生産される二酸化炭素には、いくつもの商品価値がある。
冷却剤としてのドライアイス。
そしてドライアイスブラスト。ドライアイス洗浄と呼ばれるサンドブラスト技術の一種だ。
それに、高圧二酸化炭素を油田に圧入することで石油産出量を増大させる二酸化炭素石油増進回収法、いわゆるCO2-EOR法への使用である。
油井に液化した二酸化炭素を圧入すると、原油の粘性が低下して、さらにその加圧によって原油の産出量が飛躍的に増大する。
一般に、油田の埋蔵量の2割程度しか汲み上げることが出来ないと言われる油井による原油が、EORを用いると6割程度まで回収できるようになると期待されている技術である。
現状、原油を越後の油田に頼る以外に道がない良之にとって、環境問題の理由ではなく、切実に二酸化炭素回収が必要なのである。
ガスタービン発電用のジェネレータは丹治善次郎に任せ、良之はガスタービン、蒸気発電の双方を製作した。
また、一連の排ガスプラントを完成させると共に、その技術を善次郎やその配下たちに伝授した。
越後の二条領化に伴って、良之はフリーデ・阿子の配下たちに柏崎への石油プラント建造を指示した。
尼瀬で発電される電力を用いて他の油田から原油をくみ出し、パイプラインで原油を運んで精製させるためである。
越中の精製プラントは今後もタンカーによる輸送で稼働させるが、新たな精製プラントを作ることによって、一気に石油製品の生産量を増大させる目論見である。
製鉄所の生産量増加によって工事用足場の規格品生産が可能になったため、以前の木材組の足場より効率的なスチール製足場の量産がはじまっている。
枠組み足場や単管足場といった技術の導入によってとび職や大工、それにプラント工事などの効率性が飛躍的に向上している。
フリーデたちは、この足場工事においては専門職を育成して、本工事の担当者とは別に足場の敷設や解体のみを行う専門家の育成を行っている。
石油精製プラントにおいてはもはや良之の出る幕は無い。
尼瀬の発電所工事も丹治善次郎にステージを移譲したため、良之は柏崎近郊の宮川に向かった。
砂鉄の鉱山探しである。
高浜鉱山と呼ばれた砂鉄鉱山を越後配下の山師と共に探索し、良之は採鉱を指示。
その後、越中に戻っていった。
天文23年7月中旬。
良之は越中に戻ると食糧事情を改善するための大きな開発に入っている。
冷凍・冷蔵技術である。
現状、猿倉で生産される食肉は、富山城下で使用される生肉を除くと、ハム・ソーセージ・ベーコンといった加工肉か塩蔵の肉が主流である。
特にこの夏場においては傷みが早いため、食肉生産に限界を生じている。
同様に、魚についても、干物や浜茹で、沖漬けといった加工品が主体である現状から、生食の普及を狙う場合、冷凍、冷蔵技術が必須といえる。
「冷蔵庫を作ろう」
良之は、富山に残っているフリーデを呼び出していった。
「冷蔵庫、ですか?」
フリーデたちの世界には電気式の冷蔵庫は存在しなかった。だが、その存在は良之のキャンピングカーでよく知っていた。
「肉にしても魚にしても、鮮度を保ったり食中毒を防ぐためには、冷蔵庫が必要だからね。それに、冷蔵庫があれば今よりもっと、美味しいものが食べられるようになるし」
当初、フリーデはキャンピングカーにある小型の冷蔵庫を想像していた。
だが、良之が考えていたのは、巨大な冷蔵倉庫だった。
フリーデ配下の化学担当には、断熱材のためのポリフィルムと発泡ウレタンの開発を命じ、藤吉郎配下のセメント技術者にも、石膏ボードなどの耐熱ボードの開発を命じた。
新しい課題に戸惑う技術者たちに良之が発した言葉。
それは
「もっと美味しいものが食べたくないか?」
だった。
そして、良之は実際に新鮮な魚を刺身にして彼らに食べさせ、また、塩漬けでは無い肉の料理を食べさせた。
「これをいつでも食べられる、そんな社会を作りたくないか?」
彼らは発憤してそれぞれの研究に打ち込みはじめた。
冷却機構については、広階親方の娘婿の猪之助を呼び出し、みっちりと仕込んだ。
冷蔵庫や冷凍庫は、気化熱を応用して作られるのが一般的だ。
その心臓部はコンプレッサーという圧縮機が用いられる。
コンプレッサーは、モーターとポンプという、良之が今日までに実現してきた基礎技術の組み合わせで作られるため、猪之助の理解度は高かった。
気化熱を発生させる触媒のことを冷媒と呼ぶ。
コンプレッサーで圧縮された冷媒は発熱をする。
その熱を外部に放射させつつ冷媒を液状にする部分をコンデンサーと呼ぶ。
コンデンサーの部分は自動車のラジエターと思えばよい。
細い管が何重にも重なる。この部分で高圧が加えられた冷媒は放熱フィンや電動ファンなどで加圧による廃熱を外部に放出することで熱を交換しつつ液体へと戻る。
冷媒がエキスパンションバルブ、つまり高圧から低圧へと移動する逆流防止弁を通過すると急激に減圧される。
減圧されることで体積を大きく広げられた冷媒が冷却効果を発揮する部分。
これをエバポレーター、蒸発器と呼ぶ。冷媒が蒸発することからそう名付けられている。
エキスパンションバルブで圧が下がりエバポレーターで蒸発による冷却効果を生み出した冷媒は、やがて再びコンプレッサーによって吸い上げられて加圧されコンデンサーで圧縮され、液体に戻る。
このサイクルを繰り返す事によってエアコンであれば室温を下げ、冷蔵庫であれば庫内を冷やし、自動車のラジエターであればエンジンを冷まして高温になった冷却液・クーラントの熱をを奪うのである。
業務用の冷蔵倉庫などに用いられる冷媒はアンモニアだ。
一般家庭用の冷蔵庫に使われているのはフロン、もしくは代替フロン、イソブタンなどだが、これは万が一故障などで漏れた時に利用者の人体に攻撃性がない事を求められた結果である。
アンモニアは冷媒としては最も優れた素材のひとつなのだが、毒性が高いために何重もの安全策が必要になるのである。
最初にミニチュアのカットモデルを作り、冷却装置の製造方法を猪之助に教えてから、今回は良之が錬金術で作り上げる。
まずは猿倉で食肉加工用冷蔵倉庫を4棟。
続いて、岩瀬港に漁業用の冷蔵倉庫。ドライアイスや製氷工場をそれぞれ建造した。
「御所様。この技術を使えば、もしや夏も涼しく過ごせましょうか?」
「よく気づいたね。その通りだよ。そのためには、全ての家庭に電気を行き渡らせないとダメだけどね」
猪之助はその道のりの果てしなさにため息をついた。




