56 ユリエルside
王立魔法薬学研究所までの道程は、概ね順調に進んでいた。
はしゃいだ子供が往来に倒れ込むなどのちょっとした騒ぎはあったようだが、街路で窃盗や傷害の騒動が起きたり、他国の妨害や刺客による要人襲撃などの大きな問題もなく、比較的穏やかな移動となっている。
予め日程を告知していたことで集まった大勢の人々で溢れ返る表通りには、よくよく見るとアルベリート王国王弟夫妻訪問記念として、軒を並べる大道店ではそれに因んだ甘味品や民芸品などが売られているようだ。
幾筋にも列をなす様子から、限定品のプレミアム感はやはり消費者の購買意欲を大いに刺激するようだ。並んでいるのは女性が多いように見える。希少性という特別仕様は特に女性の購入価値を高めるのかもしれない。
大道店の商魂逞しいなと感心しつつ、次の目的地である王立魔法薬学研究所の資料を今一度確認する。
魔法薬学とは、簡単に言えば「魔法で薬を調合する学問」のことだ。
王立魔法薬学研究所は、風邪や切り傷など一般的な病気や怪我を治す薬、ポーションの調合だけでなく、霊薬と呼ばれる重篤な病や怪我を癒す特効薬の調合など、多岐に渡る魔法薬の開発、研究を続けている国の重要な機関だ。
中には若返りの薬とされる回春の秘薬開発に心血を注ぐ研究室も設立されており、貴族社会では特にご婦人方の関心を一心に集めている。母上も注視していると小耳に挟んだが、不老不死とまではいかずとも、不老長寿は夢見てしまうものらしい。
ふと、何も言っていないのに、呼び出しておいてドレッサーから離れない母上が、「あと十五年も経てば、貴方も気にするようになるんだから」と、鏡越しにこちらをぎろりと睨みつけながらそう仰られた時の様子を思い出す。
母上が目尻や下瞼に触れていたから目が行っただけであって、私は何も思っていないし言ってもいない。小じわが気になりますかとは言っていないのに、とんだとばっちりと理不尽な八つ当たりだったと今でも思う。
資料に視線を落としたまま、思わず溜息を吐いた。
今は在りし日の母上の話などどうでもいい。車内に一人きりだからと、関係ないことに気を取られている場合じゃない。さて集中しなければ。
王立魔法薬学研究所では、従来の魔法薬の材料に新種を加えた場合の効果や変化、配合比率の検証など日々研鑽しているが、特に力を入れているのが新たな調合方法の開発だ。
調合される魔法薬の多くが水薬だが、服用期限の延長や簡易保管の確立を目標に固形化できないかと、調合の技術開発を長年続けてきた。傷薬などの軟膏はあれど、服薬に関してはポーションしかない。固形化に成功すれば、常備薬として携帯しやすくなるだろう。画期的な新薬開発には国も注目している。
半年前、薬草園から四種類の品種改良に成功したと連絡を受けた。そしてそれらを使って様々な検証を繰り返した結果、赤い色をした甘い水薬、エリクサーより高い効能の霊薬が出来たと報告があった。それがつい一週間前のことだ。
固形化はまだ実現していないが、「霊酒」と命名したらしいその新薬は、エリクサーの赤色を纏った淡い赤紫色をしているそうだ。
まだ一例だが、協力費を対価に外傷や疾患による身体欠損のある患者に治験を行い、ネクタルの安全性と有効性を確認、服用後の副作用や反動などは起きなかったと報告されている。欠損部位が光に包まれ再生していく様はまさに神の御業であったと、追加の治験実施計画書と共に召還した担当研究員が終始興奮した様子で語ってくれた。
とは言えまだ一度きりの臨床試験だ。体質や体格、性別や年齢などの差異によって作用の違いはあるのか、また適切な用量の調整など、様々な層で検証を続ける必要がある。
これが国の承認を得れば、元騎士や元職人など、やむなく離職や失職せざるを得なかった円熟期の再雇用が期待できるだけでなく、様々な職種の者たちの復職が叶い、また若い世代の社会復帰、死亡率の減少など、国への貢献度は計り知れない。あとは価格の問題か。
唯一無二の交易品としても素晴らしい成果だ。諸外国への大きな切り札となるだろう。
十分なデータが取れるまでには、新たな法を定めなければならない。通常通りと言ってしまえばそれまでだが、やる事が山積みだな。
今日の視察はネクタルが主役ではない。承認され確立された魔法薬ではないため、お披露目はまだまだ先の話だ。情報流出を防ぐ意味もある。
視察予定としては従来の調合と固形化の研究、新たな調合方法の模索だ。研究所を案内しながら、各部門で薬草の管理や抽出、魔法陣の構築に特殊インクの配合、魔法紙の種類などをご覧いただく。
特殊インクの種類はそう多くはないが、魔法紙の仕分けの多様性には驚いた。用途別に細かく区分される魔法紙について全くの門外漢なので、王弟夫妻への説明は王立魔法薬学研究所に丸投げしようと思う。適材適所だ。
別にわからないからとか、面倒だからとか思っているわけじゃない。大まかにしか捉えていない私が説明するよりよほど理解しやすく、質疑応答もスムーズだろう。そのための案内担当者だ。餅は餅屋に任せるものだと思う。
資料に目を通しながらそんなことをつらつらと考えているうちに、程なくして馬車が停止した。
車窓の向こうを見遣れば、プラタナスの街路樹の奥に、赤砂岩の外壁に覆われたゴシック建築が聳え立っている。
歴史ある国の重要機関、目的地である王立魔法薬学研究所だ。




