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大変長らくお待たせしてしまい、申し訳ありません……!(←スライディング土下座
「え!? そんな大事になるんですか!?」
わたくしの要略した説明に驚きの声を上げたキティは、セキュリティ対策が先なのか、と呟いています。
確かに対策は必要です。まずは有識者会議を開いて意見をまとめなくてはならないでしょう。あらゆる角度から、起こり得る最悪のケースも想定しなくてはなりません。ですが、それはわたくしの仕事ではありません。
わたくしに許された領分は奥向き。それはたとえ冊妃されていたとしてもやはり埒外なのです。
后妃が表向きに容喙すれば、生家に指嗾されたとあらぬ疑いを生み、結果それは国の不和となりえます。ゆえに差し出口をたたくなどとはご法度で、強請るように、王や継嗣へ囁くことも不敬に値します。
傾国の、などと言われてしまうような后妃はその地位に相応しくありません。
私欲より、生家の利益より、国と民のために在るべき者でなくてはなりません。
今回の件は、わたくしからではなく影からユリエル様へ報告がなされるでしょう。わたくしの見解を述べるとすれば、ユリエル様から意見を望まれたときだけです。
影の報告は主観が入らないので情報もより正確です。持論ではありますが、女性は感情移入しやすい傾向にあると思いますので、感情論になりかねないわたくしの主観でお話しするよりはよほど信頼できます。
つまりは、魔導具やスキルを含めた外務卿ルキノ侯爵の件は、一部わたくしの問題が関わっていようとすべてはユリエル様のご判断にお任せするべきなのです。
いえ、劇団に関してはわたくしの領分なので、そちらの対応はユリエル様にご相談して対応を決めなくてはなりませんけれど。
勝手に行動して、ユリエル様の足を引っ張ってはいけませんから。情報の共有は大事です。
「不穏な気配はしておりますが、警戒はしつつも今はまだ留意するに留めておきましょう。キティの言う通信機やルキノ外務卿の件はユリエル様にご判断を仰ぎます。エーデルフェルト卿。ユリエル様へ至急ご報告を」
「御意」
頭を下げたエーデルフェルト卿の姿がけぶるように消え、これが彼の隠密に特化するという能力の一端なのだろうと感嘆しました。エーデルフェルト卿のような優秀な方々がユリエル様のお力になってくださっているのだと思うと、とても誇らしく心強いです。
――さて。
劇団が買収されていると思いたくはありませんが、理想論や希望的観測で判断していい立場ではありませんので、その懸念も視野に入れつつ動向を探らせましょう。
時期が良くないことは劇団の団長もわかっているはず。そもそもアルベリート王国王弟殿下ご夫妻が観劇されるのは彼らの演目です。劇団こそわたくしに会っている暇はないでしょうに。
取材や助成に関することならばなおさら、ゆとりある時を選んだ方がずっと建設的です。急ぐ理由としては薄く要請がほぼ通らないことは、王妃様が助成されていた期間に学び、把握できていると思っていたのですが……。
何者かの脅しに屈したのか、阿ることを自ら望んだのか。
王妃様の御為にも、そのどちらでもないことを願わずにはいられません。
◇◇◇
本日は、いよいよアルベリート王国王弟殿下ご夫妻をお迎えする大切な日です。
前日までに準備を整えた我が国は、しかしこれですべて終えられたわけではありません。王弟殿下ご夫妻がご到着される予定時刻|は正午。饗餞の準備もありますので、儀典課を中心に王宮は朝からおおわらわです。
わたくしも早朝から身支度に余念がありません。いえ、気合十分に頑張ってくれているのはジュリアたち侍女とメイドなのですけれど。
湯浴みのあとに香油で全身を念入りにマッサージして、長い髪もつやつやに整えてくれます。その間にわたくしは果実水と軽食をいただくのですが、このあとに待ち構えているコルセット装着に備えて、小さなサンドイッチをひとつだけ食べます。
以前その様子を見学していらしたユリエル様が「それっぽっちで足りるのか……?」と心配されておりましたが、もちろん足りません。ですがコルセットでぎゅうぎゅうに締め付けてしまいますので、極力胃は膨らませない方がいいのです。締め付けることで空腹も感じにくくなりますし、普通に食べていてはコルセットは着用できません。コルセットに関してだけは、美と食を両立できず悩ましいことです。
いえそれよりも、ユリエル様。淑女の支度中に来室するのはいかがなものでしょうか。
在りし日のユリエル様に物申しておりますと、ドレスルームから戻ってきたジュリアの手元を見て、キティが「うへぇ」と淑女らしからぬうめき声を上げました。
ああ、ほら。ジュリアに睨まれましたわ。
「卒業パーティーの時に一度だけ人生初のコルセットを着用しましたけど、あれって確かに細いくびれは作れますけど私は苦しいだけでしたよ。あったはずの場所から押し出された内臓って、どこに移動してたんでしょうか」
「移動するわけがないでしょう。あなたの腰回りに無駄についている贅肉が持ち上げられただけです」
「反論できないけど、ひどいですジュリア様」
「馬鹿なこと言ってないで働きなさい」
「はぁ~い」
「返事は短く。間延びしない」
「はい!」
軽快なやりとりに思わずくすりと笑ってしまいました。
キティが加わったことで、わたくしの日常は温かな笑みに包まれています。キティがわたくし付きのメイドになってくれたことが奇跡のようです。
「コルセットはね、キティ。腰をより細く見せるために締めることで胸の膨らみが強調され、さらに腰を細く見せる効果があるのですよ」
「あ、なるほど! 押し出されたお肉が胸になるんですね!」
「カトリーナ。その通りですが、身も蓋もないことを大きな声で言うんじゃありません」
はしたない、とジュリアが渋面を向けました。その間にも、侍女たちの手によってわたくしは化粧を施され、香油のなじんだ髪に櫛が通されます。
湯冷めして体を冷やさないようにと気遣って温かな紅茶を淹れてくれたキティは、わたくしに渡しながら、ドレッサーの鏡越しにその様子をじっくりと観察して、こてんと可愛らしく小首を傾げました。
「貴族のご令嬢って、皆さん髪がすごく長いですよね。手入れが行き届いてるからとても綺麗だし。私は短い方が楽なんで鎖骨から下に伸ばしたことないんですけど、そういえば学園時代、いろんなご令嬢方に短い髪はみっともない、恥を晒して歩いてるって言われたんですよね。短いと何がダメなんですか?」
「まあ……そのような心無いことを口にされる方が?」
長い髪が貴族令嬢のステータスであるからと、それを押し付けるのは間違っておりますわ。
「貴族令嬢の髪が長いのは、家が裕福である象徴なのです。長い髪を自身で手入れするのは大変ですし、美しさを保つためにはお金がかかります。丁寧に手入れをする者を雇えて、化粧品や道具を揃えられるだけの豊かな財を築いていると、貴族令嬢の長い髪は示しているのです。ゆえに短い髪は財政難をにおわせ、没落を示唆するといつしか貴族の間で忌避されるようになりました。貴族にとって短い髪は貧困を意味するのです」
「あ、そういう意味だったんだ、あれって」
「愚かなことです。価値観も常識も、人や場所が変われば変化します。そのような理屈が罷り通るのは、自身が生まれ育った狭い世界だけなのだと知らないのでしょう」
長い髪を維持できるのは、財政の三機能が果たされているからです。滞ることなく、国民が税金を納めているからです。
貴族は国民のために身を粉にして務めを果たす義務があります。長い髪が富の象徴とするなら、同時に責任の象徴でもあるのです。決して貧富の優劣を決めるためのものではありません。
国を支えているのは国民です。平民の半数以上が髪を短くしています。手入れが楽だから――キティが言っていた理由と同じです。そこにあるのは、長い髪に需要があるかないかの違いでしょう。長さの有無で蔑むなど本当に愚かです。誇りと驕りは別物なのだとご存じないのかしら。
「キティ、気にすることはありませんよ。肩にかかるほどのその長さはあなたにとてもよく似合っていますし、愛らしくてわたくしは好きです」
褒め殺し、と悶絶していますが、わたくしは本当のことしか言っておりませんよ?
ああ、紅茶が美味しいです。腕を上げましたね、キティ。特訓の成果が表れてますわ。




