45
――貴女なんて、魔力無しの無能者のくせに!!
マルグリット様の、わたくしを心底憎む声は今もはっきりと耳に残っています。
魔力の最も強い者が王太子殿下の伴侶とされる。それはこの国の貴族であれば誰もが承知している不文律です。
ご令嬢時代にはご実家の領地でよく魔物狩りをしていたという王妃様も、そのように選ばれたのだと聞き及んでおります。弓と風魔法を合わせた戦法は威力も命中率も桁外れで、国境を守ってくださっている御父君の辺境伯をも唸らせるほどの腕前だったそうです。
王太后陛下も火魔法の上位である炎に属性をお持ちで、戦時中は前線でそのお力を遺憾なく発揮されたと学びました。
ご成婚される前だったため、尊敬と感謝と、そして畏怖を込めて「戦姫」と呼ばれていたそうです。
このように、王位継承者の正妃に選ばれる方々は一様に、属性や魔力量が人より優れているという最大の特徴があります。
そしてわたくしは、唯一そのどちらも有していない異端者です。
ゆえに、マルグリット様が略奪者だと憤るお気持ちもよくわかるのです。
「私は、あなた様が血の滲むような努力を日々重ねて来られたことを知っています」
少しばかり考え込んでしまったわたくしは、まるで読心術のような正確過ぎる言葉に瞠目しました。そう仰ったのは、長年影として守護してくださっていたアーミテイジ卿です。
「たった十三歳で五ヵ国語を完璧にマスターできるご令嬢が如何ほどおりましょうか。学園に通う前には儀礼作法をはじめ、算術、経済学、法学など水準の高い教育課程を終えられ、政治の要諦を記録した言行録や歴史を記した尚書も何度だって読み返しておられます。あなた様がこれまで詰め込んできた知識に敵うご令嬢などいません。そしてあなた様の勤勉さと努力に敵うご令嬢もまた、いるはずがないのです」
真っ赤な鋭い眼光に気圧されて、わたくしはこくりと喉を嚥下します。
怒涛の褒め殺しに誇らしさと嬉しさと、ほんの少しの恥ずかしさを感じながら、ありがとう存じます、とはにかみました。
弛まぬ努力を重ねてきたと、わたくし自身も自負しています。それを長い年月側で見守ってくださっていた方に肯定してもらえることが、こんなにも温かく心を満たすものなのだと改めて実感致しました。
生まれつきわたくしに魔力がまったくないことは動かしようのない事実で、何某か必ず授かるはずの属性に一切適性がなかったこともまた事実です。
どうしてわたくしだけと、幼い頃は幾度となく涙し、〝普通〟ではない我が身を憐れみました。しかし、無い物ねだりしたところで何も変わりません。天性の才能は人の思惑や願いで何とかなるようなものでもありません。幼いわたくしにぴしゃりとそう仰ったお婆様は非情な方に見えたものですが、今ならばお婆様が正しかったのだとわかります。
わたくしに出来るのは、知識を増やすことです。勉学や努力に天資は必要ありません。
知識は力です。それを示してくださったお婆様には、今は心から感謝しています。
わたくしは大丈夫と気持ちを込めて微笑みました。アーミテイジ卿もジュリアたちも、皆一様にほっと安堵した表情を浮かべています。心配かけてしまったのかしら。
笑みは武器です。穏やかな性情は駆け引きです。荒ぶる感情など見せては隙を与えます。
傷ついていようと、立腹していようと、内心は微笑みの下に隠して覚らせてはなりません。公爵令嬢として、王太子妃になる者として、常に凪いだ水面のように穏やかでいなければなりません。
それは、ジュリアを筆頭に心を許した者たちへ向ける顔でもあります。
信頼する臣下であっても、心の弱さは見せるべきではないでしょう。
妃教育を受ける以前から、それはお父様に厳しく言い付けられてきました。甘えて泣いたり、我が儘を言ったり、幼子であれば許されるような些細なことでさえお父様は一切容赦がなかった。今思えば、お父様は娘を王太子妃にするためにより厳しく接して来られたのだろうとわかりますが……。
そのおかげと申しますか、素地は出来ていたのだと思います。
マルグリット様から冷めやらぬ怒りをぶつけられる日々も、繰り返される同じ罵倒も、困ったように微笑むだけで否定も反論もしませんでした。
隙を見せないこと、口実を与えないこと、主導権を握らせないこと、品格を落とさないこと。そして心を乱さないこと。
決して誰にも本音を明かしたりはしませんが、実践的な経験を積む場として、マルグリット様はとてもよい練習のお相手でございました。あの時こんなことを思っていたとお知りになったら、マルグリット様の逆鱗に触れてしまうでしょう。
わたくしにとってマルグリット様は、決して好まない方ではありません。ご自身の不利益を顧みず、あれほどの激情を包み隠さずぶつけて来られるのです。必ず自己抑制の教育を受ける貴族令嬢としては大変珍しい直情型の方ですが、あの飾らない真っ直ぐさが少しだけ羨ましくもあります。
ちらりとキティに視線を寄越しました。きょとんと何度か瞬いたあと、可愛らしく小首を傾げています。ふふ、本当に愛らしいわ。
真っ直ぐで自身の感情に忠実なキティを気に入っているのも、また同じ理由です。
わたくしには無い物。持ってはならないもの。持つことを許されなかったもの。それらを全て有しているキティやマルグリット様を、どうして嫌うことができましょう。
わたくしの代わりに怒ってくれるキティも、目を背けていたかった、動かしようのない瑕疵を容赦なく突き付けるマルグリット様の苛烈さも、どれもわたくしには眩しくて。
とても得難い方々だと、勝手に親しみを抱いているのは秘密です。少なくともマルグリット様にとっては、逆鱗に幾度も触れてしまうような不躾な感情だと理解しておりますもの。絶対に口にしませんわ。
さて、と思考を報告内容へと切り替えます。
マルグリット様の御父君、ルキノ外務卿が侍従を買収して過密スケジュールであるとわかりきっているわたくしの予定を確認する理由。そして王妃様の名代であるわたくし預かりの劇団を使い、表敬訪問という形を取ってまで、なぜいま接見させようとするのか。
公賓をお迎えする大事な時期であることは当然ご承知のはずで、そもそもルキノ侯爵も外務卿としてユリエル様と足並みを揃えていなければならないお立場です。それなのに、何故?
重大な何かを見落としていそうで、とても気になります。
「侍従から報告を受けたルキノ外務卿は、その後誰かと接触しましたか?」
否、とエーデルフェルト卿が否定します。
これだけで外廷に繋がっている人物はいないと判断するべきではありませんが、とりあえず消去法で可能性をひとつずつ削っていきましょう。
「外部の方とも?」
「はい。執務室から一度も出ておりません」
「どなたか訪ねて来たりなどは」
「数名の部下が訪れましたが、特筆するようなことは何も。書類に紛れ込ませるなどといった小細工もより注意して見ておりましたが、そのような分かりやすい手も、逆に分かり難い隠蔽もありませんでした」
「まあ……では本当に、ただ報告を受けただけですのね」
お金が動いているのです。そんなはずはないと、わたくしを含めこの場にいる全員がそう考えているとわかる、同じ渋面を浮かべています。こんな時に不謹慎ですが、思わず笑みが零れてしまいそうです。
「あの。通信機ってありますか?」
しばし沈黙が流れた空間に、キティの遠慮がちな声が上がりました。
「えっと、相手に文字だけを送るとか、声を届けるとか、そういう通信ができる魔導具だったり、スキルだったりとかあるのかな、って」
そのような画期的な魔導具があったなら、ユリエル様をはじめとした外廷や各部署の通達による時間浪費を減らせますし、また地方やなかなか中央の目が届かない僻邑から生きた情報も入りやすくなります。魔物の被害や災害ではより迅速に救援依頼を出せますので、情報伝達の速さはかなり魅了的です。
それから――。
大きな声では言えませんが、軍部に通信機があれば、敵国よりもいち早く情報を制することができ、情報操作による攪乱や混乱を齎すことも可能でしょう。
軍事に明るくないわたくし程度が少し考えただけでもこれほどの脅威なのです。敵国よりずっと優位に立つことができる、とても恐ろしい代物であることは間違いありません。
あれば大変便利ですが、同時に大きな混乱も招くでしょう。ラステーリア帝国で開発されたとは聞いておりませんが、仮に存在していたならば、これほど脅威的なものはないと思うのです。
次にスキルですが、念話のような能力を持つ方がいらっしゃると、以前ユリエル様が仰っていました。ただ一方通行で、一文字だけ相手に伝えることができる、限定された能力だそうです。
属性やスキルといった特殊能力は判定の儀で明らかとなり、結果を国へ報告する義務が発生します。これを怠ると隠蔽したと判断され、君主に反意ありと見なされ厳罰を受けることになります。ですので、現在ヴェスタース王国に通信可能なスキルは念話以外存在していません。




