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「表敬訪問、ですか?」
こんな時期に?とは、声に出さずとも伝わったようです。
二日後にはアルベリート王国王弟殿下ご夫妻をお迎えします。日程は公式に発表しておりますので、謁見の要望などは緊急でないかぎり保留されることになると、国民も承知していることでしょう。当然、表敬訪問は急を要する案件ではありませんので、申請されてもまず王家まで話は上がりません。
そもそもな話、高位貴族ではない階級の方々であれば、様々な分野で何某かの功績を挙げるなどしないかぎり王族へ御目文字が叶うことはないのですが、滅多に許可されない表敬訪問の是非を問われ正直戸惑っています。
そのお話が本当であるならば、王族ではないわたくしに許可を求めるのは違和感しかありません。ですのに、現状王太子妃候補でしかないわたくしに何故か報告されているのです。
話を持ち込んだ年若い侍従も困惑している様子で、表敬訪問で間違いないと眉尻を下げたままこくりと首肯します。
「両陛下や王太子殿下ではなく、今はまだ一介の公爵令嬢でしかないわたくしを希望されているのですか?」
「はい、そのように伺っております」
「それはおかしな話ですわね」
背後に控えているジュリアが怪訝な声で言いました。わたくしもそう思います。
後に許可が下りると仮定するならば、表敬訪問であれば少なくとも一週間前までに申請する必要があります。こちらの日程調整もありますし、希望者は訪ねる用件と面会に必要な時間、同伴者の人数など事前に連絡しておくべきです。
予約もなしに当日面会できるものではありません。
たとえ事前申請が一週間前にされていたとしても、国賓をお迎えする今期では僅かな時間を捻出することさえかなり難しいのです。
それが急な面会要請であれば尚更です。
「名目は何ですか。個人なのか団体なのかもわかりませんし、申請はいつされていたのです? 面会を望んで前日または当日にお会いできるはずがないことはわかりきっているでしょう。表敬訪問ですって? たとえ非公式なご会釈であっても叶いませんよ。そのような非常識な申し出が、何故エメライン様にまで届いているのですか。受理した痴れ者はどこの誰です」
「え、あの」
矢継ぎ早に責め立てられた若い侍従は、たじろぎながらも一つ一つしっかりと答えます。
「じゅ、受理したのは教育省です。名目は劇団の助成で、団体で申請されたのが昨日だと聞いております。非公式ではなく、その、雑誌の取材も取り入れたいと」
「雑誌の取材ですって? 時期を考えなさい。明後日にはアルベリートの王弟殿下ご夫妻がご到着されるのですよ。繫忙を極める時に取材を絡めた謁見など、教育省も何を考えているのです」
「あ、いえ、許可したのは教育省ですが、是非を伺えとおっしゃったのは儀典課です」
「儀典課? 管轄外の外務省がなぜ教育省の仕事に口を挟むのですか」
ジュリアの疑念に同意致しますが、もうひとつ気になる点がありました。
「劇団と言いましたか? それはハスレット劇団のことでしょうか?」
「は、はい」
「まあ……」
ハスレット劇団とは、近年王妃様が特に目をかけていらっしゃった舞台演劇の団体です。
脚本と演出が好評を博し、公演のたびに札止めの盛況だと聞き及んでおります。上質な芸術に触れ感性を磨くべき立場にありながら、恥ずかしくもまだ一度も観劇した経験がないのですが、演者と舞台装置の技術が特に秀逸であると王妃様は仰っておられました。
劇団と劇団員方へ助成なさってきたのも王妃様でしたが、十日ほど前にその立場を委譲されました。正式にはまだ名乗る資格はないのですが、王太子妃名義で現在ハスレット劇団を助成しているのはわたくしです。
いくら王妃様のお墨付きであろうと、王太子殿下の婚約者という立場ある身で、活動内容を把握しないまま団体を支援するなど愚の骨頂、決して許されない行いです。
後にいずれ演劇を拝見したいと思っておりましたが、あちらから会いたいと希望されるなんて思ってもみなかった事態です。
いえ、担当者が変更されたのですから、挨拶と、それに関する公的取材も理解の範疇ですが、如何せん時期が時期ですので、アルベリート王国王弟殿下ご夫妻がご滞在中の間はもちろんのこと、お迎えするまでの現在も含めて他の予定を組むことは大変難しいのです。
その旨連絡して、受理はしても通常より日数を要すると教育省からハスレット劇団に通達されていなければなりませんが、その点はどうなっているのでしょうか。
「通達はされているようです」
申し訳なさそうな様子で疑問に答える侍従に、わたくしは思わずぱちくりと瞬きを繰り返してしまいました。
まあ。規定通り通達はされているのですね。
では希望された方々は期間超過もご承知くださっている、と解釈できますわ。
ですが――。
わたくしの返答を待っている侍従をちらりと見ました。
助成している団体とはいえ、申請されたばかりのものが調査されることなくすぐさまわたくしに伝えられたことは些か気になります。それも非公式な引見ではなく、公式な接見を求める申請です。
そもそもですが、芸能の成長と発展に大きく貢献したことを称え、国賓の滞在最終日に観劇される公演としてハスレット劇団を選ばれたのはユリエル様です。表敬訪問だと言うならば、それこそわたくしではなくユリエル様に打診されるべきでは?
「少なくともわたくしは、ひと月以上身動きが取れません。それは教育省、外務省もお分かりのはずですのに、どうしたのかしら」
国賓歓待に際し準備進行が業務である儀典課こそ大忙しのはずですが……。
彼らは国賓の滞在期間だけでなく、その前後も非常にやることが多く多忙です。
当日は客人のお出迎えに会場までの案内、晩餐や舞踏会の進行、配膳のタイミングと過不足状況の把握など業務は多岐に渡り、準備期間には見目の良い配膳係の選別と采配、後宮の主から指定された晩餐に使用する食材の確保、宮廷料理人との調整、宮廷楽団と演奏曲目のリスト作成と時間配分の相談、各部門から上がる問題や苦情に対する対応など、要人接待のすべてを取りまとめる重要な専門職です。
今回の後宮の主とはわたくしのことになりますが、ご滞在中にご使用いただく寝具や夜衣などは、儀典長に受注と搬入を任せました。
諸々の決裁権者は王妃様ですが、一任されているわたくしに決裁権がございます。
儀典長とは幾度も話し合いをしましたので、儀典課が目が回るほど忙しいことはよくわかっているつもりです。
ハスレット劇団も接待の一部ですから、準備に忙殺されているはずの儀典課が担当する理由も理解できます。わからないのは、その時期と査定しない理由です。
膝の上で組んだ指を、とん、と一つ打ちました。それだけのことですが、侍従の肩がビクッと跳ねます。
彼の挙動に疑問を抱いていましたが、なるほど、とわたくしは合点がいきました。困ったものです。
国賓をお見送りしたあとも様々な処理が残っていますし、加えて公務や様々な決裁もありますから、希望者には五、六週間ほど待っていただくことになるでしょう。それまでに教育省は希望者の身辺調査をし、問題の有無を精査する必要があります。
わたくしに打診があるのは、それ以降のお話になります。
そこで初めてわたくしは日程を調整し、早くて二週間後に面会の許可を出せるのです。
故に、現時点でわたくしに、ひと月先の予定を確認しますのは不自然と言いますか、儀典課に依頼されてこの方が訪ねてくる行為そのものが不審だとわたくしは思うのです。
どうしても確認が必要だと言うならば、それはわたくし本人ではなく筆頭侍女であるジュリアに尋ねるべきです。
「来月いっぱい予定は動かせませんので、今わたくしがお答えできることは何もございません。規定通り調査を行い、ひと月後に今一度可否を問うようお伝えください。それから」
重大な過失というわけではないですが、やはり精査なしで早急に確認した理由を知っておく必要があります。
侍従は困り顔で言い募ろうとしましたが、手で制しますと律儀に口を噤みました。しっかりと確認を取ってくるよう厳しく言われているのかしら。
伝言から伝言と、板挟みになっているこの方が少々不憫ではありますけれど、甘い蜜に誘惑されたご自身の落ち度であると飲み込んでいただきたいです。




