41 ユリエル side
長らくお待たせしてしまい、大変申し訳ありませんっ!
「皇太子殿下から受け取った夜会の招待状に出席の意を示すと、ヒロインの場合ラステーリア帝国で襲撃を受け、薬漬けにされたうえで皇帝の慰み者にされます」
「エメラインもそうなった可能性は?」
「それは何とも……」
エメラインの、はっと鋭く息を吞んだ様子に失言だったと遅れて気付く。青褪めた顔色が痛々しい。
しまった、失敗した。配慮して言葉を選ぶべきだった。
「大丈夫だ、エメライン。貴女は必ず私が守る。ラステーリアになど奪わせない」
「はい……信じています」
ふるりと儚げに震える華奢な痩躯を抱き寄せて、宥めるようにそっと背中を撫でた。
夜会の招待状を握り潰せた事実に、在りし日の自分を大いに称えたい。宰相の報告があったおかげだな。
「あの、たぶんエメライン様の場合は大丈夫かと」
「わたくしの場合は……?」
「はい。あちらで読んだ物でもそうだったんですけど、何故かラステーリアの皇太子殿下はエメライン様に酷く執着しているんです。ヒロインがどの攻略対象者と結ばれても、それは変わりませんでした」
「まあ……」
戸惑ったように、エメラインはそう呟いた。皇太子に向けられる執着心にまったく心当たりがないと、ありありとわかる困惑顔だ。
ふん、まったく面白くない情報だ。
執着とはヴェスタース王家の事情から私にも当てはまることだが、それとはまったく異なる執着心を、かの皇太子がエメラインに抱いていることは先日の不法侵入の際にはっきりした。皇太子のあれは、かなり歪な感情だ。あれ程までの激情を、なぜ幼い頃に一度しか会っていないはずのはとこに抱くのか。
「ですので、薬漬けとか皇帝の慰み者とか、そういったものは皇太子が許さないと思うので、そちらの危険はないはずです。でも、……皇太子殿下自身には気をつけるべきだと思います」
「何かあるのか」
「えっと……言いにくいんですけど、その……」
言い淀むカトリーナ嬢に若干苛立ちを覚える。
残してきた仕事がまだ山積みなのだ。一分一秒無駄にはできない。時間が惜しい。勿体ぶらずにさっさと話せ。
眉間に無駄な力が入っている自覚はあるが、先を急かす意味で、敢えて怪訝さを隠さず続く言葉を待った。こちらの意図を察したのかどうなのかよくわからない表情を浮かべると、カトリーナ嬢は神妙な様子でようやく噤んでいた口を開いた。
「ヒロインを陥れるために皇太子殿下と手を組んだ悪役令嬢は、……ラステーリア帝国で非業の死を遂げるんです」
悪役令嬢? なんだそれは?
「悪役令嬢……あっ、以前キティがわたくしのことを悪役令嬢だと言っていましたわね。そのことですか?」
「なに? どういう意味だ、カトリーナ嬢」
「あの時は本当にすみませんでした! 認識していた設定だけであんな暴言を……いえ、言い訳ですね! 失礼な物言いをして本当に申し訳ありませんでした!」
「構いません。気になさらないで」
「あうう……本当にすみません」
「情けなくもあの時は意味を理解できませんでしたが、悪役令嬢とは悪辣な者を指す言葉だったのですね。謎が解けてすっきりしました」
綿菓子のように甘くふんわりしたハニーストロベリーブロンドの髪を揺らして、エメラインが微笑みと共に可愛らしく小首を傾げる。天使か。
愛らしい。愛らしいが、それで締め括って本当にいいのかエメライン。
悪役令嬢だと言われたのだぞ? あくどい真似など思い付きもしない清らかな心根のエメラインが、悪役令嬢だと? では腹の裏側まで深淵の如く真っ黒な私など鬼畜ではないか。
ああ、鬼畜だとは以前エントウィッスル公爵令嬢に言われていたか。サディアスの未来の細君は私を何だと思っているのか。いや、サディアスも大概だったな。すでに似た者夫婦か。まったく喜ばしくないな。
「カトリーナ嬢。非業の死という表現が非常に気になる。詳細はわかるのか?」
「あくまで物語の悪役令嬢ポジションだった場合の話だと思って聞いてほしいんですけど……」
「ええ、わかっておりますわ。わたくしは大丈夫ですから、気にせず進めてください」
微笑みで応えるエメラインにどこかほっとした様子で頷いたカトリーナ嬢は、暫し吟味するように、鼻先へと曲げた人差し指の背を当てた。
その癖は先日アーミテイジ卿に叱責されたばかりのはずだが、無意識下でつい出てしまうのだろう。主であるエメラインが注意しないのであれば、私から言うことは何もない。
沈思する様は、口にするべき言葉を慎重に選んでいるように見える。出来るだけ心に負担をかけまいと、エメラインへの気遣いが窺い知れた。
御側付きメイドの心得は素質がありそうだな。
「混乱を避ける意味で、エメライン様と区別して一人称は悪役令嬢としますね」
「ああ」
「わかりました」
「まず悪役令嬢の立ち位置ですが、ヒロインがどの攻略対象者を選んでいたとしても、悪役令嬢は必ず妨害行為をする立場になります。そして悪役令嬢に傾倒するラステーリアの皇太子もまた、同じくどのルートを辿ってもヒロインを破滅させようと罠を仕掛けてきます」
妨害に破滅。これほどエメラインに似つかわしくない言葉はない。やはりエメラインと悪役令嬢は似ても似つかぬ別物だということだな。
しかし、皇太子は現実と共通点が多い。いや、そのままじゃないのか?
「一見ガーディアンのようだが、守護者というより死神に近いな」
「あ、まさしくそれですね。ヒロインにとってはもちろんそうですけど、悪役令嬢にとっても、もたらされる結末は十分死神だと思います」
自身に非業の死を招く相手だ。幸運の象徴になど絶対ならないだろう。
「ヒロインの貞操どころか命まで狙う悪役令嬢の末路は、因果応報と言えばそれまでなんですけど……」
「その方は、どのような最期を遂げるのでしょうか」
「エメライン」
「平気ですわ、ユリエル様。名は同じでも、わたくしとその方は別人格で、別の存在です。けれど、危険回避のためには必要な情報だと思うのです。国と王家とユリエル様と、そしてわたくし自身のために知っておかなければなりません」
凛とした姿勢でそう言い切ったエメラインは、本当に美しかった。
次代の王妃として育てられた彼女を弱い女性だと思ったことは一度もないが、それでも払える火の粉は私がすべて払ってしまいたいと思ってきた。今だってそうだ。だがエメラインが正しい。ただ大切に、真綿に包むように守られるだけならエメラインは王太子妃になどなれない。
ああ、と思わず吐息がこぼれた。今がピークだと思っていたが、さらに惚れ直すことになろうとは。
エメラインが尊い。尊すぎて今すぐ寝室に連れ込みたいのに、次から次へと寄越される大量の仕事と、今まさに目の前にいるカトリーナ嬢が邪魔をする。仕事も報告も大事だが、そろそろ多忙すぎる私にも褒美があっていいと思うんだ。
「わかりました。私も全力でエメライン様をサポートします!」
「嬉しいわ。ありがとう、キティ」
女性の友情は美しいが、私にも貴女と二人きりの時間を与えてはもらえないだろうか、エメライン?
「非業の死ですが、選ぶルートによって変わります。王太子のルートだった場合、婚約者である悪役令嬢の関りが一番大きいので、ヒロインに対する妨害行為も一段と苛烈になります。王太子ルートで悪役令嬢がヒロインに向ける悪意は、最初は王太子殿下に近づくなとか、節度を持てとか嫌味を言う程度なんですけど、次第に私物を破損させたり足を引っかけて噴水へ落としたりといった実力行使に出て、ついには階段から突き落とすなどの傷害行為へとエスカレートします。そこから箍が外れたように悪意は暴走し、暴漢による性暴力、違法薬物の使用、拉致監禁のち性奴隷として帝国へ売り払う、と暴虐の限りを尽くします」
「なんてこと」
「何度も諫めていた王太子も、悪行の数々に断罪を決意するんです。婚約破棄と王国からの追放はどのルートでも定石なのですが、追放された先は必ずラステーリア帝国で、王太子ルートでは移送中に王太子が放った刺客によって目と喉を潰され、両足を切り落とされます。瀕死の中ラステーリアの皇太子に命を救われますが、自身の置かれている状況を把握するための視覚と、助けを求める声、逃げるための足を失った悪役令嬢は、異常な偏愛を押し付ける皇太子に監禁され、ただひたすらに性暴力をぶつけられる日々の末に性交死するんです」
それは確かに非業の死だ。おおよそ貴族令嬢の辿る死因ではない。
「他のルートはここまで悲惨ではないんですけど、死因はそれぞれ違いはあってもラステーリア帝国で命を落とすことは確定事項でした。刺殺、絞殺、毒殺、魔物に食い殺されるなど理由は様々でしたけど」
賊害に遭う確率が悪役令嬢だけ異様に高いのは理不尽かつ極端ではないのか。
青褪めて絶句するエメラインの肩を撫でながら、やはり実状とは程遠いと確信する。




