第48話 鈴音は人気者。
——キンコーン。
答案返却日の昼休み。
「悠真。どうだった?」
鈴音が駆け寄ってきた。
最近の鈴音は、あまり周りのことを気にしている様子はなく、家と同じように話しかけてくる。
呼び方も『悠真』な事が多い。
まぁ、これに関しては、ブラコンというより、兄妹間の力関係の問題だと思われているようだが。
俺はテストを見せた。
「フフッ。自己最高得点だ」
鈴音は俺に抱きつこうとしたが、指先が触れるとすぐに手を離した。
「ふ、ふぅん。やるじゃん」
でも、顔はニコニコ。
よく『言葉は優しいのに目が笑っていない』というけれど、鈴音はその真逆だ。
「まぁ、鈴音の足元にも及ばないけどな。あー勝って、ご褒美欲しかったなぁ」
俺は平均点を少し超えたくらいだし。
どうせ叶わぬ望み。
少しくらい駄々を捏ねてみよう。
すると、鈴音が耳元で囁いた。
熱い息が頬に当たる。
「悠真、負けちゃったけど、頑張ったから……仕方ないから、言うこと聞いてあげるし。べ、べつに、エッチなお願いでも、約束だから仕方ないし。わたしがしたいわけじゃないし」
もはや、ツンデレにすらなっていない。
「いや、俺、負けたし。今回は諦めるよ」
勝ってないのにご褒美をもらったら、次のモチベが下がってしまう。今回は諦める。
『負けて負けて負けて最後に勝つ』
前に、どこかの偉い人がそんなことを言っていた。俺はジリジリ追い上げて、3年のラストで鈴音に勝つのだ。
すると、鈴音は後ろ髪を指先でクルクルと巻いた。口を尖らせている。
「エッチなお願い……してくれないの?」
なんだよ。お願いすることが不満らしい。なんだか、俺がお願いされる側の気分なんだが。
んっ。
俺は視線を感じて振り返った。
すると、本田がこっちをジーッと見ていた。
……まいったな。
「いやいや、負けたし。それも次回で」
鈴音は尖らせていた口を、すぼめた。
「……ばかっ!!」
バンッ。
手に持っていた本を机に叩きつけると、鈴音はどこかに行ってしまった。
また怒らせちゃったよ。
俺は違和感を感じて周りを見渡した。
すると、本田が机に肘をついて俺を眺めていた。周りには本田の取り巻きがいて、俺を指差している。
まるで、俺の顔にテストの順位表でも貼ってあるかのようだ。
鈴音はみんなに愛想が良い。でも、甘えん坊キャラではない。だからきっと、他の男からは、俺とのやりとりがよっぽど特別に見えるのだろう。
「はぁー」
人気者の妹を持つのも楽じゃないぜ。
「あのう」
振り返ると、男子生徒が立っていた。
彼の名前は、山口 健斗。
鈴音ファンクラブ会長を自称するクラスメイトだ。身長は俺より少し小さいくらいで、細い。
「鈴音さんとは、どういうご関係で?」
山口はメガネをあげた。
「いや、普通に兄妹だが」
俺はそう答えると、親指の付け根でシャーペンを回した。
「そんな義兄さまに、頼み事が」
カラン。
山口の言葉に、俺はシャーペンを落とした。
頼み事も、どうせロクなことではない。
だから。
「んー、無理かな」
俺は詳細を伝えられる前に、きっぱりと断った。
そもそも、貴様に『義兄さま』なんて呼ばれるいわれはない。
すると、女子の声がした。
「これっ、篠宮さんに渡しておいて。篠宮くんの方は、話くらい聞いてあげなよ」
山瀬さんだ。
テーブルにプリントを置くと、俺を見下ろして腕を組んだ。
下着屋の誤解以来、すごく冷たい。
今のやりとりを少し離れたところで聞いていたらしい。
山口は言った。
「鈴音さんが、時々足首を押さえているんです」
鈴音は、自分に厳しいから。
もしかすると、怪我を隠しているのかもしれない。
「サンキュー」
俺は礼を言って、立ち上がった。
早足で階段を上る。
チッ。
ずっと一緒にいるのに気づかなかった。
鈴音がいる場所は分かっている。
屋上だ。
一段上がった、塔屋の裏。
そこが、2人のいつもの場所だ。
塔屋から出ると、鈴音が座っていた。
足元には部活の荷物が置かれている。
ザーッ。
校庭から吹き上げられた風が、鈴音の髪を揺らす。
「遅い〜」
鈴音は不満そうだった。
「悪い。今日は短縮だから、いないかと思ったよ」
喧嘩してても、午前で終わりでも。
約束はいつも通り。
「そんな訳ないじゃん。今日の玉子焼き、いつもより上手に焼けたんだよ?」
お弁当の包みをほどきながら、鈴音は笑った。
でも、少しだけ寂しそうに見えた。
俺は玉子焼きを口に運ぶ。
噛むとジュワッと出汁が染み出してくる。
ほのかに甘い、関東風の玉子焼き。
「うん。美味い。鈴音、なんか元気ないけど、どうしたの?」
鈴音と肩が触れた。
「わたしのこと……嫌いになってない?」
「17年一緒にいて、そんなことで嫌いになるわけないよ」
「そっか」
鈴音は笑顔が明るくなった。
「それよりも」
俺は箸を置いて鈴音の足首を持った。
鈴音はアセアセする。
「ち、ちょっと。いくら人が少なくても、ここではちょっと。ちゃんとお部屋でしよ?」
こいつは何を勘違いしているんだ。
俺は鈴音の頭にチョップを入れて、左の靴下を下げた。
湿布が見えた。
経過が良くて湿布はやめたはずだ。
でも、また貼られている。
鈴音が息を漏らした。
「なにすんの? ……って痛ッ」
眉間に皺がよる。
「お前さ。足、治りきってないだろ? ぶり返してるのか?」
「……」
「言わないと、もう話さないから」
すると、鈴音は手を差し込んで、俺の手を足から離した。
「だって、仕方ないじゃん。わたし出ないと、みんなに迷惑かけるし。大切な試合だし」
やっぱりだ。
弓を引き絞る前に、鈴音は一足開きをする。
一瞬だが左足で、構える時に全体重を支えなければならない。
こんな左足で出来るのだろうか。
「出るなとは言わねーよ」
「……ほんと?」
ドサッ。
俺は鈴音の荷物を引き寄せた。
「でも、重いものは持つな。部活の道具も、行きも帰りも俺が全部持つから」
鈴音は前髪を直した。
「いいの? そんなことしたら、みんなに色々言われちゃうよ?」
もうすでに言われてる。
「そんな噂の心配よりも、お前の方が大切に決まってるだろ?」
鈴音は下を向いた。
ちらりと見える唇は、いつもより鮮やかな桜色だった。
「……言われた通りにします」
帰り道。
鈴音の甘えん坊が収まらない。
俺と向かい合って、後ろ歩きで両手を握ってくる。
「前をみて歩けよ。あぶないだろ」
「いやだ。悠真の顔をずっと見るの」
あっ、ここは。
笹藪の向こうに社が見える。
「あっ、大会がうまくいくように、神社でお参りしていかない?」
俺の言葉に、鈴音は頷いた。
そこは、いつかの小社だった。
子供の頃になくした指輪を見つけた場所だ。
カランカラン。
2人で鈴緒を引いて、手を合わせる。
鈴音が何かを見つけたらしい。
賽銭箱の横を覗き込んだ。
「なんか御神籤が設置されているよ?」
改めて見渡すと、手すりの蔦がなくなって、少しだけ綺麗になっている。
「誰か手入れしてるのかな?」
「ねっ、やってみようよ!」
2人で順に御神籤筒を振る。
「鈴音は何だった?」
俺の質問に、鈴音は巻物状の紙をのばして言った。
「中吉。あなたの努力は報われるって書いてある。ふふっ。悠真は?」
俺も見てみる。
「末吉。『女難に気をつけよ』って書いてあるんだけど……」
「浮気?」
鈴音は膨れた。
「いや、あり得ないっしょ。俺、女の知り合い、お前と蛍しかいないし」
「そっか。それもそうだよね。そろそろ帰ろう?」
鈴音はクルリと背を向けると、俺に手を伸ばした。
12月の昼は短い。
小社を出て2人で歩く。
石畳に並んで歩く影も、随分と長くなった。
今は2つの影だけれど。
「いつか3つになるのかな」
俺の言葉に鈴音が続けた。
「……4つでも5つでもいいよ?」
2人で照れ笑いしながら、歩いて帰った。
「ただいま」
玄関ドアを開けると母さんがいた。
神妙な顔をしている。
「おかえり。そういえばね」
母さんは言った。
「なに?」
俺は唾を飲み込んだ。
父さんが旅館の部屋割りに文句を言い始めたのだろうか。
「朱音ちゃん、覚えてる? もしかしたら、しばらくウチに住むことになるかも」
——美岬 朱音。
俺によく懐いていた、ひとつ下の従姉妹の女の子。
……なんだか嫌な予感しかしない。




