第44話 39℃と夢
翌日、ベッドに転がっているとスマホが光った。開くと写真が送られてきていた。
鈴音と蛍と猫の写真。
猫を真ん中で抱いて、満面の笑みだ。
「悠真のおかげだよ。ありがとう!」
すごく良い写真だ。
ったく、世話が焼ける。
普通に仲良さそうじゃねーか。
俺は、上半身をベッドに預けた。
ピピピピ
小気味いいビート。
右脇に手を伸ばし、見てみる。
「39.0℃」
これは体温計。
そう、俺は熱で寝込んでいる。
そして、生憎、両親は用事で家にいない。
鈴音が家を出る時、「ちょっと顔が赤くない? 蛍との約束、キャンセルしようか?」と言われたのだが、断ってしまった。
まさか、こんなに熱が上がると思わなかった。トイレに行くために立ち上がると、視界が二重になった。
「はぁはぁ」
ちょっとヤバいかも。
病院にいくか?
でも、外に出るのすらダルい。
まぁ、とりあえず寝るか。
どうせ病院に行ったって、様子をみるだけだ。
布団の重さがしんどい。
呼吸のたび胸が押さえつけられる。
寝ても辛くて、すぐに目が覚めてしまう。
スマホのメッセンジャーで鈴音の名前に触れかけるが、やめた。
「邪魔したくない」
こんなことなら、強がるんじゃなかった。
すると、着信がきた。
斉藤だ。
「よお。体調はどうだ? なんか鈴音姫から連絡がきてさ」
俺を心配して、斉藤に連絡してくれたのか。
持つべきものは、優しい妹だな。
「はぁはぁ、体調はまぁ、最悪だな」
「おいおい、大丈夫かよ? これからそっち行くから。何か買っていくわ。何欲しい?」
「スポドリと、何か食えるもの」
「え、菓子パンとかでもいいのか?」
全然良くないが、食べたいものもない。
「別にいいよ。玄関の鍵を開けとくから、勝手に入ってきてくれ」
「エロ本はいるか?」
ブツッ。
俺は通話を切り、スマホを掛け布団の上に放り投げた。
良かった。
とりあえず、生き残ることはできそうだ。
お日様の匂い。
両脇に体温と自重を感じて、俺は手足をバタバタとさせた。手がすごく小さい。赤ちゃんみたいだ。
……これは夢か。
鎖骨のあたりにギュッとした感覚があって、じんわりと体温が伝わってくる。
さらりとした黒髪が、頬にかかる。
「悠真、悠真。ねぇ、あなた。この子、自分の名前を分かってるのかしら」
「あー、あー」
俺はうまく発音することができない。
ママの手。
あったかい。
「ママっ!!」
そう叫びながら目を開けると、目の前に大きな瞳があった。まつ毛が長くて、ラメが入っている。甘くて大人の良い匂い。
……澪母さん?
更紗さんは、艶々な前髪を上げたまま顔を離した。額にひんやりとした更紗さんの感覚が残る。
「さ、更紗さん」
「んっ。さっきより熱っぽさは引いてるかな。ごめんね、体温計がどこにあるか分からなくて」
テーブルを見たが、体温計がなくなっている。
「え、あ。すいません。あれ、そこに置いてたハズなんだけれど。あれ、斉藤は?」
「んっ。翔太はデートの誘いとかでどこかにいっちゃった。ほんと、薄情なヤツよね。わたしがしめといたから」
「仕事あるのに、わざわざすいません」
更紗さんはウィンクした。
「ついでだし、全然。おかゆ作ったから、持ってくるよ。お台所を勝手に借りちゃってごめん」
そういうと、更紗さんはエプロン姿のまま階段を降りて行った。
ピピッ。スマホが光った。
画面を開くと、斉藤だった。
「ごめん、篠宮。ねーちゃんが自分が行くって聞かなくて、俺はボコられた」
ったく、頼りないヤツだ。
そう言いつつも、俺の口角は上がっていた。
心配かけたな。
更紗さんがお粥を持ってきてくれた。
ふぅふぅしながら食べさせてくれる。
ちゃんと米から作ってくれたらしく、自然な甘さが胃に優しい。白湯が喉に染み込む。
気づけば、体が少し楽になっていた。
「ありがとうございます」
更紗さんはエプロンを畳んだ。
髪の毛がさらりと滑り落ちて、鎖骨を隠した。
「おやすいご用。それよりも、ママって言ってたけれど、もしかして、そういうプレイが好きなの?」
「実は……という訳でなんです」
優しくされたからだろうか。
俺は斉藤にも話していない澪母さんのことを話した。
更紗さんの目は充血していた。
「悠真」
「なんですか?」
「わたしがママになってあげようか?」
俺は高校生だぞ?
さすがに無理があるだろう。
母さんならいるし。
「こんな若くて綺麗だったら、ママじゃなくて恋人だと思われちゃいますよ」
更紗さんは視線を上に向けた。
少しだけ寂しそうに見えた。
「恋人かあ。わたしには結婚も無理だろうし」
俺は詳しくないが、社会制度の壁があるのだろう。でも、こんなに”良い女”。きっと良い人見つかると思うけど。
「知り合い方とか歳が違ったら。俺が立候補したいくらいっす」
もちろん、鈴音を裏切るつもりはない。
でも、正直な気持ちだ。
すると、更紗さんは微笑んだ。
「……ありがとう」
マジで綺麗だな、この人。
「わたしも、あと10年くらい後に生まれたかったかも。あと普通の女の子だったら……って、たちのわるい冗談だね」
更紗さんはスマホの画面に目を落とすと、カバンを肩に掛けた。
「色んな経験してきたから、更紗さんはカッコカワイイんじゃないですか」
更紗さんは目尻を拭った。
フリで拭ったはずの指先は、なぜか光っていた。
「熱のせいかな? 今日の悠真はキザすぎ。これ、お仕置きだから!」
更紗さんは屈むと、俺の前髪を持ち上げた。
チュッ。
額にキスされた。
「なっ、風邪うつりますよ!」
「わたし空手4段だし、大丈夫! そろそろ本命の妹さんが帰ってくるみたい。わたしはそろそろ帰るね」
空手4段でも風邪にはなると思うけれど。
「あの、更紗さん。今度、道場に行っていいですか。そろそろ、ちゃんと再開したいなって」
「大歓迎! それなら、なおさらお大事に!」
そう言うと更紗さんは階段を降りて行った。
ほぼ同時に玄関のドアが開いて、鈴音の声が聞こえた。
(更紗さん、ありがとうございました!)
タタッと足音がして、鈴音が上がってきた。
鈴音だ。早く話がしたい。
鈴音はドアを開けると言った。
何故か眉が吊り上がっている。
「これ、更紗ちゃんに、斉藤くんからの差し入れだから渡しといてって頼まれたんだけど!」
鈴音は左手に薄いコンビニの袋を持っていた。
薄いビニール袋からは、女性のヌードと思われる雑誌の表紙が透けている。
斉藤のやつ!
本当にエロ本を送り込みやがった。
「もうっ。こんなの読んでないで、早く元気になりなさいっ!」
……冤罪でまた熱が出そう。




