第38話 鈴音はもらってほしい。
月明かりに照らされ、白い肌が映える。
鈴音は少しだけ身じろぎして言った。
「まだ渡してないプレゼントがあるの」
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帰宅後。
家に帰ると、両親が出迎えてくれた。
父さんも早く帰ってきてくれたらしい。
(もしかして、誕生日のお祝いしてくれるのかな?)
だが、席につくとケーキが出てくる訳じゃなく、飾り付けもない。いつも通りの食卓だった。
少しだけ寂しい。
母さんがキッチンにいるのはいつものことだが、今日は珍しく父さんもキッチンにいた。
父さんはオーブンを開けると、ミトンで鉄鍋を持ってきた。なにやら、トマトの良い匂いがする。
「ほら、2人とも少し下がって」
ドンとテーブルに置いて、蓋を開ける。
湯気が立ちのぼり、鍋一面のチーズが現れた。
焦げたチーズの端からは、ひき肉とトマトソースが見える。
香ばしくて甘くて少し酸味のある香り。
なんだろ、少しだけ懐かしい。
「なになに、めっちゃ美味しそう!」
鈴音が身を乗り出した。
「ほら、鈴音ちゃん座って」
母さんに注意され、鈴音は頬を膨らませた。
「だってー、誰かさんがアップルパイ全部食べちゃったから、お腹すいてるしー」
そう言うと、足をブラブラさせ口を尖らせた。
んっ?
アップルパイ……だと?
「今日は、誕生日だからな。まずは悠真が食べてみろ」
父さんが、俺に取り分けてくれた。
揚げた米茄子の間にミートソースが何層にも重なっていて、一番上のチーズが溶けている。
一口食べてみた。
「すっげー、うまい! なにこれ。父さん、料理できたんだ?」
うますぎて、俺は手が止まらなかった。
「母さん、おかわり!」
俺が皿を差し出すと、母さんは目を細めた。
「それね。実は、澪の得意料理だったの。悠真が大きくなったら食べさせてあげてって。生前に澪がレシピを残してくれたのよ。……おいしい?」
「あぁ、美味しい」
父さんも俺が食べる姿をただ眺めている。
「ほんとは、去年に出すつもりだったんだが色々あったからな。成人する前に作れて良かったよ」
「そっか、ありがとう」
俺は夢中で食べた。
すると母さんが、目の下を拭いてくれた。
「ほら、悠真。チーズが熱いの? 目から汗が出てるわよ?」
これは……2人分の母の味だ。
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11月11日 PM11:50。
「まだ渡してないプレゼントがあるの」
部屋のドアがノックされた。
ごくり。
俺は唾を飲み込んだ。
「なんだよ、こんな夜中に」
ドアを開けると予想以上の光景だった。
鈴音が部屋の前に立っていた。
月明かりが逆光のようになって、白い肌が青白く照らされている。鎖骨だけが、こぼれた月光に縁取られて。
……俺は思わず息を呑んだ。
パジャマなのに首にはうちの制服のリボンタイが巻かれて、なにやらもじもじしている。
「これが本当のプレゼント。あのね、……やっぱ無理ぃ」
「と、とにかく中に入れよ!」
こんな場面を父さんに見られたら、それだけで有罪確定だ。
鈴音はどこからか猫耳のカチューシャをつけて、軽く拳を握った。
「あのね、……うん、がんばる」
「なに?」
「わたしを自由にしていいにゃん」
「……ぶはは。なにそれ?」
俺は鈴音の必死な姿があまりに可愛くて、爆笑してしまった。
「うぅ。しにたい」
「いや、気持ちだけで嬉しいよ。でも、そのアイディアは、どこで仕入れたの?」
「斉藤くんだし。だって、どうしたら悠真が喜んでくれるか聞いたら、こうしろって」
「そかそか。まぁ、とにかく自分の部屋に帰れよ」
「え、でも。わたし中に何も履いてないし」
「で?」
「だから、道中で襲われたりしちゃうかも」
「家の中だからね。心配しなくても大丈夫だから」
「だって、不安なんだもん」
「なにが?」
「わたしより可愛い子に告白されたら、悠真とられちゃうかもしれないし。安心したいの」
「とられないから大丈夫だよ。おれ、モテないし」
「だって、蛍、色っぽいし。わたし、蛍にくらべたら経験ないお子様だし」
最近、やたら蛍にこだわるな。
鈴音は泣き出してしまった。
こういう言い方は良くないのかも知れないけれど。
「ここだけの話、鈴音の方が全然可愛い。だから、安心して」
「じゃあさ、わたしが100だったら、蛍はいくつくらい?」
答えにくい質問だ。
「うーん。98くらい?」
「そんなの誤差の範囲じゃん! 四捨五入したら一緒だし!」
「でも、テストだったら100点と98点は天と地ほど違うぞ? なんせ100点にはそれより上がないからな」
「それって、わたしが世界一ってこと?」
「まぁ、そういうことになるな」
俺は鼻先をかいた。
「じゃあさ、世界一の美少女に夜伽を誘われてる心境は?」
夜伽って、江戸時代?
「そろそろ鼻血がでそうだから、自室に戻ってほしい」
「悠真、かわいい!」
鈴音が俺の顔を抱きしめてきた。
心臓の音がよく聞こえる……下着がないというのはどうやら本当らしい。
「ち、ちょっとお」
俺は背中を押して鈴音を部屋から追い出した。
時計を見ると、ちょうど時計の短針が12を指していた。
俺はベッドに座った。
「はぁ」
鈴音みたいな子に連日せまられて、少しは耐える方の身にもなってほしい。
俺は頭を抱えた。
髪をくしゃくしゃにする。
鈴音が一途なのは分かってるけれど。
でも、本来は俺なんかの違う届く女の子じゃないのだから。
俺は壁越しにノックした。
「なに?」
鈴音の声だ。少し拗ねているらしい。
「次の休み空いてる?」
一拍遅れで鈴音は答えた。
「蛍と予定してたんだけど、なくなっちゃったし……。うん、いいよ」
「そっか。先約あるなら俺はまたでも構わないけど、大丈夫なのか?」
「うん。はっきり約束した訳じゃないし。連絡も来ないし、いいの。大丈夫」
鈴音の声は寂しそうだった。
「そっか。なら、リボンのシューズを直しにいこうよ。高尾山で壊れちゃったからな」
「それって、デートのお誘い?」
「そのつもりだけど」
「ふーん。仕方ないから行ってあげてもいいよ」
鈴音の声が弾んだ。
感情がコロコロ変わる。
こういうところは、猫みたいだ。
「あのさ、もしそういうことになっても、鈴音は、ニャン語なの?」
「悠真が望むなら、頑張るにゃあん……」
すると、階段の下から母さんの声がした。
「2人とも、明日は学校でしょ? 早く寝ないとダメよー」
「ごめん。おやすみなさ〜い」
俺と鈴音は、叫んだ。
少し不自由で、少し自由。
全部はできないけれど、大切にはできる。
家族に誕生日会をしてもらって、誕生日の終わりを鈴音と過ごせて。
俺は今の環境が心地いい。
いずれ、嫌でも大人になるのだ。
今は、もう少しこの環境で過ごしたい。
布団に入るとスマホに通知が来た。
鈴音かな?
しかし、違った。
メッセージは蛍からだった。
「鈴音と仲直りしたいから、手伝って」
妹の親友の頼みだ。
仕方ねーな。




