第33話 星とピアスと男坂。
箱庭のような街並みを見下ろして、鈴音は叫んだ。
「ヤッホー!」
俺も横で一緒に叫ぶ。
谷風で鈴音の髪が舞い上がる。
ピアスがキラリと光った。
「お前さ、そのピアス、いつも片方だけつけてるけど、蛍とペアだったり?」
鈴音は左の耳たぶに触れた。
星型で、今日の空のように青い石がついている。
「……忘れちゃったの?」
********
——その少し前。AM11:00頃。
たこ煎を満喫した後。
俺たちは分かれ道の前にいた。
「悠真、このコースにしない? 1号って名前だし、きっと簡単なんだよ」
鈴音はそう言って、スタスタと歩き出した。
俺らが選んだ1号路は、塗装路ではあるが、つづら折りの急な登り坂が続く。
正直、運動不足な俺にはキツイ。
「鈴音、待ってよ」
鈴音は振り返ると、ジト目になった。
「歩きたいとか言ってたくせに、体力なさすぎ〜。がんばって。お•に•い•ちゃん」
そりゃあ、現役で運動部の鈴音は余裕なんだろうけれど。
「まじで、俺の本気みせるから」
俺は少しだけペースを上げた。
「あはは。ざこっちい子に限ってそういうこと言うの」
鈴音は走って逃げてしまった。
「はぁはぁ」
40分ほどで、中腹にあるケーブルカーの駅までたどり着いた。
鈴音は……、売店の前で立ち尽くしていた。
「おにいー。あれ食べたいのぉ」
クンクン。
少し酸味のある香ばしい匂いがする。
売店のカウンターにはチーズタルトが並んでいた。
「先に買ってて良かったのに」
鈴音は首を横に振った。
「2人で食べないと美味しくないし」
口に右手を当てて、目を少しだけ細めて俺の方を見ている。
「お前……」
そんな妹を愛おしいと思ったが、すぐに気が変わった。
カサ。
鈴音のポケットから、包み紙が落ちたのだ。
「お前、それなに?」
「んっ。これ、ティッシュ」
ティッシュにしては、随分としっかりした紙質だ。
「見せてみろよ。ふーん、ティッシュにチーズタルトって書いてあるんだけど?」
「べ、別にいいじゃん。味見してただけだし」
鈴音はそっぽを向いた。
「ま、何でもいいけど。お前、太るぞ?」
ビシッ
脛を蹴られた。
「悠真、さいてー。デリカシーの欠片もない!」
「んで、もう1個たべるの?」
「食べるし」
鈴音はベーっと舌をだした。
ハムッ
チーズタルトを渡すと、鈴音は大きな口を開けてかじった。
俺たちは、また歩き出した。
1号路はケーブルカーと合流し、その後は緩やかな上り坂になった。
鈴音が急に立ち止まった。
何やら石板の文章を読んでいる。
「すっごい階段。男坂の石段は108段なんだって」
目の前に急坂があった。
「はぁはぁ。108段……」
鈴音はむくれた。
「あっちの緩い方に行こうとしてない? 悠真には男坂が合ってると思うけど」
「なんでだよ」
鈴音は説明書きを指差した。
「108段は煩悩の数なんだって。悠真にお似合いでしょ?」
「ふーん。煩悩まみれの妹に言われたくないです」
「は?」
「だって、いつも鈴音から誘ってくるし」
鈴音は髪の毛を摘むと、クルクルと回した。
「……迷惑かな?」
考えてみれば、こんな可愛い妹に毎日迫られるなんて、まるでどこかのラノベ主人公みたいだ。
「別に。こんな可愛い子に誘われて、むしろ嬉しいよ」
鈴音は胸を張った。
「ふふっ。そうだろ。でもね」
「でも?」
「男の子に可愛いって言われることは、わりかしあるんだけど」
(やっぱり、あるのかよ)
鈴音は言葉を続けた。
「あまり嬉しく感じないんだ。でも、アンタに言われると、すごく嬉しいし」
「うん」
「自信がわくの。だから、いつも勇気をくれて、ありがとう」
妹はたまに素直で、俺をドキドキさせる。
鈴音は急階段を上りはじめた。
ピンクのトレッキングシューズの後ろ側では、ピンクのリボンが揺れている。
一歩一歩、俺の靴が鈴音を支えていると思うと、なんだか嬉しかった。
男坂を抜けると、家族連れやカップル等、色々な人とすれ違うようになった。
鳥居にはカラスがとまって、俺たちを見下ろしている。
「寺なのに鳥居があったり。ちょっと不思議だよね」
俺がそう言うと、鈴音は頷いて寄り添ってきた。
山頂につくと展望台があって、東京の街並みを一望することができた。
「ねぇ。あっち新宿かなぁ。うちらの家も見えるかな?」
鈴音は柵につかまって身を乗り出した。
視界にすっぽり収まってしまう街並みを眺めて思った。
箱庭みたいだ。
「俺たちの街って、小さいんだな」
鈴音は眩しそうな顔をすると、手で庇を作った。
「そうだねぇ。手を振ったら、ママに見えるかな」
(こいつ、人の話を全然聞いてねぇ)
「見えたら怖いわ」
「あはは。そうだよね。お弁当にしようよ」
鈴音は石段に腰をかけて、リュックから水筒を出した。リュックには小さなぬいぐるみやキーホルダーが沢山ついている。
「そのジャラジャラ付いてるの、重くないの?」
「重くないし。部活の子とか蛍にもらったのが多いかも」
ふと、鈴音は人気者で、俺とは違うんだな、と思った。
「あっ、マイナス思考してるでしょー?」
鈴音が笑った。
なぜか図星だ。
「別に」
「悠真のは、みんなに見る目がないだけだよ。でもね……」
鈴音は言葉を続けた。
「わたし、性格悪い子なのかな?」
「どうして?」
「悠真のこと独占できるから、ちょっとだけ嬉しいって思っちゃうの」
「うーん、それはちょっと性格わるいね」
ほんとは、俺の人付き合いと鈴音の気持ちは無関係って分かっている。鈴音を責める気持ちなんて全くない。
しかし、鈴音は狼狽えた。
何やら1人で語り出した。
「え、でも、その分、わたしが全部を受け持つから。悠真の『楽しい』も『幸せ』も全部わたしが担当する。あとね」
「なに?」
「……その先のことも、わたしが全部、満足させてあげるんだから。他の女の子に渡さないし。って、さすがに恥ずいかも」
鈴音は髪で顔を隠した。
カラスが、かあかあと鳴いている。
「早く昼飯にしようぜ。さっきから腹がギュルルルいってる」
俺の言葉で、鈴音は笑顔に戻った。
「ごめん、たべよう」
鈴音はお弁当を広げた。
おにぎりと、タッパーのおかず。
唐揚げと、玉子焼き。あとウィンナー。
今日、早起きして準備してくれたのだ。
学校のお弁当も毎日作ってくれるし、目に見えて料理が上達している。
「あーん」
鈴音が唐揚げを食べさせてくれた。
景色が良いせいか、いつもより、さらに美味しく感じた。
お弁当を食べてからは、ビジターセンターに行った。展示室では、高尾山の自然について紹介されていた。
「悠真。熊の剥製があるよ。がおーってしてる。あっ、これ、この辺で捕獲された熊みたい。本当かなあ?」
「いるんだろうけど、観光地化してて人も多いし、出てこないんじゃない?」
展示は充実していて、つい満喫してしまった。
外に出ると、空が黄金色になり始めていた。
「わぁ、空がきれい。夕焼けの色がどんどん変わってるよ。一緒に写真撮ろうよ」
夕焼けの空が刻一刻と色を変えていく。
この空と全く同じ色の夕焼けには、もう2度と出会うことができないのだろう。
鈴音は俺の肩に顔を乗せてきた。
「そろそろ、帰ろうか」
お茶を飲みすぎたのだろう。
途中でトイレに行きたくなってしまった。
「鈴音はトイレ大丈夫?」
「わたしは大丈夫」
鈴音は首を横に振った。
もう17時近いからだろうか。
他の登山客は、みんな足早に下りていく。
「ちょっと待ってて」
「……うん」
鈴音は少しだけ不安そうに、耳たぶに触れた。
ピアスの青い星が光って、夜の訪れを予言しているみたいだった。
俺は急いでトイレを済ませ、外に出た。
「ごめん。待った? 鈴音?」
すると、鈴音がいなくなっていた。
もしかすると、トイレかも知れない。
その場で5分ほど待ってみたが、鈴音は出てこなかった。
電灯に虫が群がっている。
「鈴音、どこ?」
すごく嫌な予感がする。
叫びながら、今来た道を少し戻ってみることにした。
「悠真……」
どこからか、鈴音の声がした。
「鈴音!?」
俺は声のする方に駆け寄り、石段から下を覗いた。
鈴音がいた。
山道から数メートル下の笹藪の急斜面でうずくまっている。
なんであんな所に?
気になるが、そんなことは後回しでいい。
「上がってこれるか!?」
鈴音は木の根につかまって、首を横に振った。
あれでは、自力で上がるのは無理だ。
砂がパラパラと落ちていく。
助けを呼ばないと。
スマホの画面をみたが、電波マークが消えている。
「まじかよ。圏外とか、あり得ないだろ」
周囲を見渡したが、もうみんな下りてしまったらしく、辺りに人影はない。
ビジターセンターまで戻るか?
『これ、この辺で捕獲された熊みたい。本当かなあ?』
——さっきの鈴音の言葉が頭をよぎった。
空の色が紫から紺になってきている。
こんな中、鈴音を1人にできない。
(頼むぞ)
俺は靴紐を結び直すと、シューズに触れた。
「待ってろ。いま行く」
俺は石段を飛び越えた。
——薄暗い茂みの中。
カラスが、かあかあと鳴いている。
靴底が砂利を噛んだ。
俺は手近な木の根を確かめてから、斜面に体重を落とす。
鈴音まで後少し。
俺は手を伸ばす。
……あれ、鈴音の耳に星のピアスがない。




