第29話 妹と斉藤。
「なぁ、篠宮。これ、どういう設定なんだ……?」
斉藤の顔色が変わった。
「とりあえず、店の外で話そう」
俺たちは会計を済ませると、テナントの間にある通路に移動した。
ここなら、人通りも少ない。
それにしても。
どうやってごまかそう。
よく、神は乗り越えられない試練を与えないと言うではないか。
状況を分析するんだ。
必ず脱出ルートはあるはず。
俺はいま、鈴音と2人で指輪をはめて、腕を組んで、ペアシューズの会計をしている。
……うん。
無理だな。終わった。
すると、鈴音が手を上げた。
「斉藤くんっ。こ、こ、これは、わたしが一方的に誘惑して、コイツは悪くないの」
(誘惑? 頼むから、話をややこしくしないで!)
鈴音は俺を庇おうとしてくれているみたいだ。
でも、これは俺が解決すべき問題だ。俺のために鈴音が犠牲になる必要はない。
「いや、いい」
俺は鈴音をとめると、斉藤の方に向いた。
俺と斉藤は親友だ。
きっと、分かってくれるはずだ。
「斉藤。実は俺、鈴音と結婚したいんだ」
どうだ。
鈴音。言ってやったぜ!
すると斉藤は目を白黒させた。
「は? お前、マジで言ってるの? そんなの。無理無理ー。普通に無理でしょ。きも……」
そうだよな。
これが、世間一般の反応だ。
俺は今更ながらに、現実を突きつけられた気がした。
斉藤は、手を前に出して俺を制止した。
「ちょっとストップ。俺、この空間にいるの無理だわーっ。うぷっ。ちょっとトイレ行ってくる……」
そう言うと斉藤は走ってどこかに行ってしまった。
俺と鈴音はその場に取り残された。
鈴音は、静かになって俯いてしまった。
一緒の空間にいられないって、そこまでなのか。
鈴音は笑顔を作ろうとしているようだったが、うまくできないみたいだった。
俺は鼻をかいた。
「ごめんな、鈴音。俺さ。心のどこかでは、斉藤なら分かってくれると期待してたんだけど。鈴音にも嫌な思いをさせて」
鈴音は笑った。
でも、口角がすぐに落ちてしまった。
いつものような元気はない。
「ううん。いいの。斉藤くんの反応が普通だよ」
「うん。本当だったら、分かってくれないようなヤツはどうでもいいって切り捨てればいいんだろうけれど、あいつは恩人だし。なんとか理解してもらえるように頑張るよ」
「うん」
鈴音は俺の手を握ってきた。
「だから、鈴音には辛い思いさせちゃうかもだけど」
鈴音は首を横に振った。
「いいよ。覚悟はできてるから。きっと蛍も同じような反応なんだろうなぁ」
鈴音はため息をついた。
「どうだろうね」
ギャルの生態が未知数すぎて、ちょっと予想がつかない。
「そういえば悠真、さっき結婚したいとか言ってた?」
「あ、それは……」
勢いというか、大袈裟に言った方が通りそうな気がしたので。
鈴音は肩に擦り寄ってきた。
「ふぅーん。せっかちさん。まずはお付き合いからね? それよりも、ちょっと不安だからお願い」
鈴音は俺の首のあたりをスンスンした。
でも、今はそれどころじゃない。
「もういい?」
「……足りない、もっと」
すると、鈴音は俺の首筋をカプッと甘噛みして、チューチューと吸った。
なんだか、血が足りなくなった吸血鬼に吸われている気分なのだが。
「鈴音って、吸血鬼だったの?」
鈴音はニヤリとした。
「よーし、悠真チャージ完了っ! 後半戦も頑張るぞっ」
この子のフェチもいよいよ極まってきたな。
鈴音はそう言うと両手でピースした。
(なんだか、結構、余裕そうだな)
だが、俺は不安だ。
「どうしたら分かってもらえると思う? これから色んな人たちにも同じことを言われるだろうし、ちゃんと理解して欲しいんだ」
鈴音は指を口元に添えた。
薬指のリングが光っている。
「んーっ。まず義理ってことを伝えるのが先なんじゃない?」
たしかに。
さっきは気が動転してしまって、肝心なことを伝えてなかった。
斉藤が戻ってきたら、まずそのことを伝えよう。
俺らは10分ほどそこで待ったが、斉藤は戻ってこなかった。
「やっぱ、本気で引かれたのか」
俺がそう言うと、鈴音は微笑んだ。
「そうかも……ね?」
あんなやつでも、友達がいなくなるのって辛いことらしい。
「わりい。ちと食い過ぎで気持ち悪くてさ」
俺らが帰ろうとすると、斉藤が戻ってきた。
血が繋がってないことを伝えないと。
でも、下手に伝えたら、義妹ということを嘘と思われかねない。もしそうなったらお手上げだ。
「斉藤、喉渇かねーか?」
俺は自販機で缶のドリンクを3本買い、鈴音と斉藤に渡した。
プルタブをプシュッと開け、一気に飲み干す。
ふぅ……。
「あ、あのさ」
俺が義理だと打ち明けようとすると、斉藤は手を前に出した。
「みなまで言うな。わかっておる」
「え? なにが?」
俺はまだ何も話していないんだが。
斉藤は続けた。
「いや、だから。血が繋がってるのに最後までしちゃったんだろ?」
鈴音はあたふたした。
「してない! まだチューしかしてないっ!」
すると、斉藤はつまらなそうな顔をした。
「なんだ。そうなの? 真剣な顔しやがって、紛らわしいヤツらだ」
「でも、お前。さっき無理とか言ってたじゃん」
俺がそう言うと、斉藤はため息混じりに話し始めた。
「いやさ。だって、普通に無理でしょ。篠宮みたいに勉強も運動も顔も並みのやつ、鈴音姫とか、絶対に釣り合わないし」
(それは、俺もそう思う)
「いや、斉藤、指輪見てたじゃん」
「だから、篠宮がもてあそばれてるのかと」
すると、鈴音が斉藤を睨みつけた。
「そんなこと、しないし!」
「ひいっ。鈴音姫こわい」
斉藤は肩をすくめた。
そうだろ。
美人の本気の怒り顔は、すごく怖いんだよ。
斉藤は真顔になった。
「じゃあ、真剣交際と。んで、何が問題なの?」
血縁の話をしないまま納得されてしまった。
「いや、普通、引くと思うぞ?」
「ひかんでしょ。だって、篠宮なら鈴音姫を泣かせたりしないだろ? なら、実妹だって祝福しか選択肢ないっつーの」
そうだ。
こいつはそういうヤツだった。
********
——2年前。
ある空手の全国大会準決勝戦。
俺の前では、対戦相手が目と鼻から血を出し倒れていた。
審判が駆け寄り、動かすなというジェスチャーをした。すぐさま大会ドクターが診断をし、選手は担架で運ばれていった。
彼がいなくなっても、俺の右足の甲には、相手の頭蓋が砕ける感覚が残って消えなかった。
相手は左眼底骨折と網膜剥離という大怪我だった。一命はとりとめたが、俺は危うく、人を殺してしまうところだった。
彼は、もう2度と空手はできないらしい。
監督と謝罪に行ったが、彼に会うことはできなかった。彼のご両親と妹の視線が、忘れられない。
試合中のアクシデントということで、刑事罰は問われなかった。しかし俺は、その後に発表されたジュニアナショナルチーム(カデット)の強化選手枠を辞退した。そして、空手を辞めた。
********
人生のどん底だった俺を救い出してくれたのが、空手道場を営んでいた斉藤とその家族だった。
「斉藤、お前ってやつは」
斉藤は、そう言いかけた俺の肩をパンパンと叩いた。
「兄という立場を使って、こんな美人をゲットするとは、ホントけしからんやつだ。んで、ホントはどこまでイッたの?」
「少しは人の話を聞けよ。あのな、血が繋がってなかったんだよ」
すると、斉藤は手を思いっきり開いた。
「まじかよ。羨ましさ半減だぜ。じゃあ、なんの問題もねーじゃん。お幸せに。つか、鈴音姫は、こんなやつでいいの?」
鈴音は頬をふくらませた。
「むしろ、こんなヤツがいいんですぅ!」
斉藤は俺の目を見て真顔になった。
「蓼食う虫も好き好きっていうしな。だがな、篠宮。鈴音姫を泣かせたら、その鼻折るからな」
斉藤は笑顔に戻って言葉を続けた。
「まぁ、半減してもマジで羨ましいわ。性別が女であるだけで十分っしょ!」
鈴音は不愉快そうな顔をした。
「斉藤くん、そういう言い方、マジできもいよ」
「すまん……」
斉藤はシュンとした。
厨二病は、女子からの本気の非難には全く免疫がないらしい。
(鈴音の味方をしたのに、シュンとしちゃった)
それにしても、斉藤は何を言ってるんだ?
性別の話でキレる意味が分からない。
「だって、お前には更紗さんがいるじゃん」
「はぁ? あんなん1秒でも早く他人になりてーよ。つか、やばっ。こんなとこにいたら見つか……」
斉藤のスマホに連続して通知が入った。
「見なくていいのか?」
俺が聞くと、斉藤は通知の中身を確認せずに言った。
「いいのいいの。俺、そろそろ行くから」
「あっ。彼女ちゃん」
背後から西園寺さんの声がした。
斉藤はビクッとして逃げようとしたが、首根っこを掴まれた。
「ね、ねーちゃん……」
西園寺さんは、斉藤の胸ぐらをつかむと壁に打ちつけた。
「おい。翔太。てめぇ、なんでチキンもってこねーんだよ! 全部食ったんだろ! お前、2人に余計なこと言ってねーだろうな」
(まじか。斉藤は空手初段だぞ。それをあんなに軽々と)
西園寺さんの口調は、別人みたいだ。
この人はいったい何者なんだ!?
「西園寺更紗。斉藤の『ねーちゃん』にして、道場最強」




