第23話 妹は年長者特権を活用したい。
専門的なシューズは、うちの近くには売っていない。アクセサリーも見たいし、今日は学校近くにあるショッピングモールまで買い物に行く予定だ。
駅までの道のりを鈴音と2人で歩く。
もう10月上旬なのに、今日はやたら暑い。
そのせいか、鈴音は夏の服装をしている。
透け感のある大きめの白いシアーシャツに、黒いインナーとショートパンツを合わせている。それに大きなツバのついた黒いキャップをかぶっていて、我が妹ながら、よく似合っている。
歩きながら、鈴音に聞かれた。
「ママに何か言われたの?」
「ん。いや、なんでもない」
母さんと具体的な話をしたわけではないし、まだ俺の胸の中だけにしまっておこう。今は『応援』という言葉だけで、十分だ。
「ところで、今はわたしがお姉さんだから、悠真のことを好きにする権利があるの?」
(いや、あなた、今まででも十分に好き勝手してるでしょ)
「いや、ないでしょ」
すると、鈴音は口をすぼめた。
「ちぇっ、じゃあ、年長者特権は返します!」
どうやら、俺は兄に戻ったらしい。
「そういえば、さっき俺が頑張ってるとか言ってたけど、なんのこと?」
すると、鈴音は微笑んだ。
「筋トレしてるでしょ。勉強も頑張ってるし。あとは、エッチなサイトを見る回数も減ってるし」
うんうん。
俺のことをよく見てくれているらしい。
(って、ちょっと待て! 最後のは聞き捨てならないぞ)
「エッチなサイトがどうのとかって、真偽はともかく、なんでお前が知ってるんだよ」
鈴音はあたかも当然なことのように答えた。
「え、だって。たまに悠真の部屋に遊びに行ってるからに決まってるじゃん」
は? 不法侵入か?
「いないうちに入るのは良くないと思うぞ?」
俺の言葉に、鈴音は首をかしげた。
「普通にいる時に入ってるけど?」
(こいつは忍びの里の手の者か?)
全然知らなかったのだが。
怖すぎる。
「いる時なら、なお悪いわ!」
鈴音は俺の肩をトントンと叩いた。
「まぁまぁ、可愛い寝顔を見てるだけだから。忍び込むのも面倒くさいし、そろそろ一緒に寝るようにしてみる?」
「俺が父さんに殺されるから、本気で無理」
父さんは、どちらかというと厳格な性格だ。だけれど、鈴音に対しては本当に甘い。
俺は、それをずっと不公平だと思っていた。
だけれど、母さんの話を聞いて、なんとなく分かった気がした。きっと、母さんが俺に対してそうだったように、父さんも鈴音に気負っているのだろう。
そう考えると、もし、鈴音と付き合う決心をしたとしても、今の俺では父さんを説得するのは、相当に難しいと思う。
「ん?」
鈴音は、きょとんとしている。
目が合うと「テヘッ」と言って笑った。
不法侵入の常習者とは思えない、見事な開き直りっぷりだ。
やりたい放題され過ぎだし、俺も少しくらいは仕返しがしたい。
だから、仕掛けることにした。
「そういえば、たまにさ。夜中にお前の部屋から変な声が聞こえるんだけど、あれ何? なんていうか、押し殺したような甘えるような声」
ふふっ。
これはブラフだ。
この真面目っ子の優等生め!
お前には、これが何のことかすぐには分かるまい。
妹よ、せいぜい頭を悩ませて苦しむがいい!
「え、あ、……え?」
鈴音はその場でしゃがみ込んでしまった。
俺を、すごく睨んでいる。
「それって、いつ?」
(よう分からんが、適当に言っとけ)
「ん、っと。まあ、日本酒チョコの次の日くらいだったかな?」
鈴音は顔を覆った。
「マジで? やだ。恥ずかしくて死ぬ」
髪の間から見える耳が真っ赤になっている。
これは、もしかしたら。
ブラフが不発弾を引き当ててしまったのか?
「ふーん。嘘だけどね」
俺は、冷ややかな視線で鈴音のことを見た。
ガンッ。
「ばかっ。しんでしまえっ!」
その直後、俺の足に激痛が走った。
鈴音は俺の脛を思いっきり蹴ると、「ふんっ」と鼻を鳴らし、先に行ってしまった。
(やば。怒らせちゃったか? これから出かけるのに喧嘩は困る。まいった)
すると、鈴音が戻ってきた。
ジト目をしている。
そんなに怒らなくたっていいじゃない。俺も前にズボンを脱がされたことがあるし。おあいこでしょ。
鈴音は両手で俺の頬をつねって言った。
「そんな変態なことばっかり言ってるとね。おにいちゃんが、わたしにそっくりなカードに課金しまくってることをパパに言いつけるから!」
鈴音はベーと舌を出した。
おいおい。
例の裸カードのことがバレてるじゃないか。
ハッキングか?
つか、パパだけはやめて。
それは、ただの自爆だから。
「分かった。もう言わない。ところで、なんでカードが鈴音に似てることを知ってるの?」
「わかれば、よろしい」
鈴音は笑顔になった。
「んで、カードの話が終わってないんだけど」
「アンタの部屋に入ったときに、スマホの画面が開きっぱなしだったから見たの」
寝落ちの画面を見られたのか。
なにその不倫がばれるお父さんみたいなの。
「おまえな。俺にもプライバシーってもんがだな」
鈴音は肩にかかる自分の髪をつまむと、クルクルと絡ませた。
「あの絵の女の子。本当にわたしにそっくりだよね? そんなに裸が見たいなら、わたしの見せてあげるのに」
「え? まじ? お願いしちゃおうかな」
どんな反応をするのか、興味津々だ。
すると、鈴音はモジモジと体を振った。
「最後まで責任とってくれるなら、いつでもいいよ?」
「責任って?」
まさか、女にしてくれとでもいうのだろうか。
「……お嫁さん」
直球で来たね。
「俺でいいの?」
「むしろ、悠真以外は無理。あのね。わたし、中学の頃から、そういうの憧れだったの。でも、血が繋がってたら絶対に無理じゃん?」
「たしかに」
鈴音は、中学の頃からそんなことを思っていたのか。確かに俺が空手を辞めるまでは、試合の応援に来てくれたり、それなりに仲の良い兄妹だった。
鈴音はもてあそんでいた髪の束を前に出して、俺にくっつけた。
「でも、今は違うじゃん? 血が繋がってないなら絶対に無理じゃないし。だから、夢みちゃうよ」
そう言うと鈴音は俯いた。
そんな鈴音を見ていたら、無性に鈴音を抱きしめたくなった。
心臓がドキドキして自分のものではないみたいだ。なんだかフワフワして、地面にちゃんと足がついていない感じがする。
ま、父さんに知られたらとんでもないことになるので、本当に裸にさせたりはできないが。
でも、俺の口からは。
自然にその言葉が出ていた。
「その夢、叶えてあげたい」
鈴音は口を押さえた。
そして、黙って頷いた。
あれ?
なんだか今のプロポーズみたいじゃないか?
鈴音は言った。
「ありがとう。気持ちだけでも嬉しい。それに、そういうのは男の子の方から言ってほしいし。色々ちゃんとできたら、悠真から言ってほしいな。あ、今すぐに答えなくていいよ? これはわたしの独り言だから」
鈴音は続けた。
「わたしね。悠真にも幸せになって欲しいの。こういう気持ちを、たぶん『愛してる』っていうんじゃないかなって思うよ」
鈴音はクスッと笑った。
金木犀の気高く甘い香りが、2人を包む。
まっすぐに俺を見つめる妹の顔は。
いつにも増して大人びていた。
どうやらドキドキしているのは、俺1人ではなかったらしい。
「チュウ」
そう言うと、鈴音は手を伸ばしてきた。
鈴音の顔は真正面を向いている。
(俺は、とうとうノーカンキスを卒業するのか)
俺は目をつむった。
コンッ。
何かが俺の額に当たった。
目を開けると、鈴音のキャップのツバだった。
俺から数センチに、キス顔の鈴音がいる。
「なんだか恥ずかしいね」
2人で笑うと、俺らはまた手を繋いで歩き出した。
今日は兄でも妹でもない。
普通の同い年のクラスメート。
そんな2人のデートの日だ。




