第22話 妹は兄に連動して泣くらしい。
鈴音が準備のために2階に行くと、母さんに呼び止められた。
「悠真。ちょっといい?」
母さんが改まって話すとは珍しい。
俺がテーブルにつくと、母さんは紅茶を淹れてくれた。
テーブルに置かれたマグカップから、湯気がゆらりとあがっている。
何の話だろう。
もしかしたら、鈴音とのことを咎められるのかも知れない。
母さんは紅茶をひと口飲んだ。
「あのね。昨日行った法事なんだけど」
篠宮 初音、母さんの名前だ。父さんの5つ年下で、俺の本当の母親とは高校時代からの付き合いだったらしい。顔立ちは整っていて鈴音とよく似ている。
「うん」
「実はね。法事は、あなたのお母さん……澪のだったの」
「そうなんだ。澪母さんの実家は伊豆だったっけ?」
母さんは頷いた。
「本当は悠真も誘いたかったのだけれど、先方のご都合もあるし、確認を取ったのよ。それで、今度の伊豆旅行の話になったの」
なんだかスッと腹に落ちた気がした。
「なるほど。そういえば、澪母さんはどんな人だったの?」
生母の親友から、その人となりを聞けるのだ。
きっと俺は、恵まれているのだろう。
「わたしの親友は……。そうね、性格は鈴音とよく似ていたわ」
母さんと鈴音は容姿こそ似ているが、性格が似ているとは思ったことはあまりない。母さんは、鈴音よりも落ち着いている。
そうか。
鈴音に似ているのか。
「でも、なんでそんな話を?」
「どうしてかしらね」
母さんは微笑んだ。
なんでこのタイミングで?
意図が分からない。
母さんは紅茶を飲むと、話を続けた。
「わたしは悠真のことを、実の息子だと思っている。でも、血の繋がりがないし、やっぱり嫌われるのが怖いの。だから、空手の一件でも悠真に嫌われたくなくて、踏み込めなかった」
たしかに、そうだ。
俺が空手を辞めた時、父さんは激怒したが、母さんは、あれこれ聞かなかった。
「でも、俺は助かったよ。父さんみたいに頭ごなしに言われなくて」
母さんは首を横に振った。
「そんなことない。きっと澪だったら、もっときちんと話を聞いて、諭したはず」
母さんのおかげで、俺は本当に助かったのだ。少なくとも、父さんと2人きりの話し合いよりは、何倍もいい。
「俺は親の気持ちはよく分からないけど、母親は母さんひとりしか知らないから。偽物も本物もないよ」
鈴音と血が繋がってないと聞かされた後は、頭の中がぐちゃぐちゃしていたけれど、今ではそう思っている。
生まれの親にどうしても会いたいとか、母さんに対しての気持ちが変わったということもない。
でも、心残りはある。
俺は言葉を続けた。
「ただ、生みの母親のことを知らずに過ごしてきてしまったことは、澪母さんには申し訳なく感じているかな」
母さんはハンカチを目に当てた。
「ありがとう。それを聞いたら、きっと澪も喜ぶわ。あっ、澪とね。悠真、あなたのことについても話したことがあるの」
「うん。どんなこと?」
俺はまだ生まれていなかったのに、何を話したというのだろう。
母さんは目尻を下げた。
「直接的にってわけじゃないのだけれどね。『もし、澪とわたしに子供ができて、男の子と女の子だったら。そして、いつか恋が芽生えたら素敵だし、祝福してあげないとね』って話してたの」
「なんだか乙女っていうか、若々しいエピソードだね」
母さんは笑った。
今日の笑顔は、いつもより若々しく見えた。
「あはは、確かに。実際に2人とも若かったのよ。この話をあなたに伝えられて良かった。あなたは優しい子だから、澪の気持ちを知っておいて欲しかったの」
「優しいと自分では思えないけど」
「そうかな? 少なくとも鈴音はそう思っているみたいだけれど」
母さんはまた笑った。
今日の母さんは、よく笑う。
「悠真。さっきから玄関で待ってるんですけれどー」
鈴音だ。早く来いということらしい。
「ごめん、母さん。俺、そろそろ行かないと」
俺は紅茶を一気に飲み干した。
ほどほどに冷めた熱さが、じんわりと心に沁み込んでくる気がした。
「いってらっしゃい。あのね。母さん、悠真の味方だから!」
母さんはそう言うと手を振ってくれた。
玄関では、鈴音が待っていてくれた。
「待ちくたびれちゃったんですけれど」
頬を膨らませている。
「ごめん、あとでクレープおごってあげるからさ」
俺は鈴音に手を合わせた。
家の外に出ると、鈴音が俺の顔をのぞき込んできた。後ろ手を組んで、心配そうにしている。
「どうしたの?」
俺はそう聞きながら、さっきの自分の感情が、数分遅れで溢れ出ているのを感じた。嬉しいのと悲しいのと寂しいのが、胸の中でごちゃ混ぜになっている。
「いや、鈴音が可愛すぎてさ」
うまく誤魔化せたかな?
「そうかそうか。まぁ、当然かな? でも、どうしたの? 嫌なことでもあった?」
鈴音はまっすぐに俺の目を見つめている。
「いや、なんでも……。うっ、うえ」
なんでもないのに、溢れた気持ちがこみ上げてきて抑えられない。涙がとまらない。
ぎゅっ。
鈴音が抱きしめてくれた。
「悠真。元気を出して。泣きやむまで、わたしが一緒にいてあげるから」
「ほんと?」
心細くて、すがりたくなる。
「うん。ずっとだよ。一生大切にする」
鈴音は俺を抱きしめながら、そう言った。
あれ、なんかこれ。
前に俺が鈴音に言ったことじゃん。
鈴音は、ぎゅーっと力を込めた。
なんだか優しくされて。
どんどん涙が出てきてしまう。
すると、鈴音は俺の頬にキスをした。
「泣き止まないと、悠真の『悲しい』は、わたしが全部なめちゃうから」
「汚いよ」
「汚いわけないし。悠真のことは、わたしが守ってあげるから」
なんだか、今日の鈴音は頼もしい。
「こんな情けない兄貴で、嫌いにならない?」
「なるわけない。わたし、悠真が頑張ってるの知ってるし。むしろ、毎日毎日、前より好きになってるの」
チュッ。
「大好きだよ。甘えん坊さん♡」
鈴音は俺の額にキスをして、そう言った。
鈴音の胸元から鼓動が伝わってくる。動くたびに、鈴音の髪が温かい空気を纏って、俺の頬にかかってくる。まるで、俺のことを撫でているみたいだ。
すると、額にポツポツと冷たいものが落ちてきた。
……雨?
見上げると、鈴音の涙だった。
「どうしたの? 俺のせい?」
「わからないけど、悠真の涙を見たら、自然に出てきちゃった。悠真の悲しいを舐めちゃったからかな?」
鈴音は、はにかんだ。
……どうやら今日は、妹がお姉さん役らしい。
でも、ずいぶんと泣き虫なお姉さんだ。




