第21話 妹は棚でピョンピョンしたい。
一階に降りると、味噌汁の良い匂いがしてきた。
テーブルにはご飯と味噌汁が並んでいる。
コンロでは、鈴音がオムレツを焼いていた。
鈴音は白い長めのTシャツにエプロンを身につけている。
「なんか昨日と同じような感じでごめん」
鈴音は焼きたてのオムレツを持ってきてくれた。真っ白い皿に、黄色いオムレツとサラダが乗っている。
なるほど。
オムレツはオムライスの応用なのか。
「ううん。うまそう。ありがとう」
きゅるる。
お腹が鳴った。
俺のお腹の虫は、鈴音のオムレツをお気に召したらしい。
「エヘヘ」
鈴音は俺に寄りかかってきた。
どうやら、撫でてほしいらしい。
頭に手を乗せると頬をすり寄せた。
「そういえば、シャンプー変えた?」
「え? わかる?」
鈴音は右手で髪の毛の束を摘んだ。
今日の鈴音は、ピーチの香りだ。
鈴音が束を俺の鼻先に持ってきた。
「こしょこしょ」
ベタなの来たね。
だから、俺は。
パクッ。
かじってみた。
「な、何すんのよっ」
「いや、桃の味するかなって思ってさ」
「そんなわけないでしょー!!」
「ああ。前のニューサマーオレンジっぽい香りも好きだったけどな」
ニューサマーオレンジとは日向夏のことだ。生産される地域によって呼び名が変わるらしい。
すると、鈴音は笑った。
「なんか、随分ピンポイントに来たねぇ」
「だって、懐かしくない?」
「わたしもよく覚えてる。子供の頃は、よく伊豆に家族で旅行したよね。懐かしいなぁ」
「あの時、ニューサマーオレンジ狩りしたじゃん?」
「おにいちゃんが手に抱えきれないくらいに採っちゃってさ。そのあと、しばらくみんなで毎日食べてたよね」
鈴音はオムレツの皿を両手で抱えるように持った。
「そうそう。果樹園の人がすごく親切で。すごく可愛がってもらった」
「また行きたいね」
俺も同じことを思った。
鈴音はオムレツをテーブルに置いた。
「あ、ケチャップほしいな」
俺はソースでも醤油でもなく、ケチャップ派だ。
「わたし、取ってくる」
鈴音がパタパタとキッチンの方に向かった。そして、シンクの上の吊り戸棚のあたりで、なにやら背伸びをしている。
「ケチャップは冷蔵庫の中じゃない?」
「切らしてて、あの棚に買い置きがあるの」
鈴音は棚の上を指差した。
扉を開けると、確かにケチャップがあった。
吊り戸棚には普段使わない鍋類が重なって置いてあるのだが、その上にポツンとケチャップが置かれている。
(母さんも、意味のわからない場所にストックしてるし)
「ねぇ、届かないよ」
鈴音は、ピョンピョンと跳ねている。
鈴音の身長は152センチだ。
俺の肩の上くらいまでしかない。
こうして並んでみると、小さい。
無理して背を伸ばして、鍋が崩れでもしたら大変だ。
「よっと」
俺は背伸びをして、ケチャップを取った。
「これくらい、いつでも取ってあげるから、俺を頼れよ」
すると、鈴音は俺に背を向けた。
軽く握った拳を口元に添えている。
「……ふにゅ」
は?
何やら耳が赤いぞ。
熱でもあるのか?
「鈴音、大丈夫か?」
すると、鈴音は振り返らずに、ふるふると震えた。
「かっこいい……」
「え?」
「男の子に高いところにあるものを取ってもらうのって、ドキドキする」
「あ、そう」
鈴音は頬を膨らませた。
「なにその反応。もっと何かないの?」
「ピョンピョンしてた鈴音も可愛かったよ」
「それほどでも〜」
鈴音は俺に褒められると素直に受け取るみたいだ。
俺がケチャップを手に取ると、鈴音に奪われた。鈴音はちゅるちゅるとケチャップを絞って、オムレツの上に文字を書いた。
今度こそ「大好き」きたかな?
鈴音が身体を引くと、オムレツにはこう書いてあった。
「くつ」
は?
本気で意味が分からない。
前回も分かりづらかったけれど、今回に至っては、もはや暗号の領域だ。
「くつ? これどういう」
すると、鈴音は眉を吊り上げた。
「約束したじゃん」
「くつ? 約束? 答えを教えてよ」
鈴音は目を瞑って、顎を上げた。
「じゃあ、チュウして。そうしたら、教えてあげる」
「ふーん。じゃあ知らんままでいいわ」
鈴音は目を細めている。
やばい、本当に泣いてしまいそうだ。
「今日、出かけようって言ってたでしょ? 靴買いにいこう。あのね、わたし、今度、高尾山に行ってみたい」
それで、なんで靴になる。
「わたし、山を歩けるような靴を持ってないし」
「俺もないよ」
「だからね。お揃いで持ちたいの」
「OK。じゃあ、準備できたら、買いに行こう」
「んでね。お願いがあるんだけど」
「なに」
「お互いの靴を買って交換しよう」
「うーん」
それぞれ自分のを買えばいいのに、どうしてそんな手間をかけるのだろう。
「あのね、わたしが買った靴が悠真のことを支えられたら嬉しいなって思ったの。……悠真はイヤ?」
「そういうことなら、俺も交換したい」
「やった」
鈴音は両手の拳を胸に当てて、笑った。
「あっ、鈴音もケチャップかけてないじゃん」
俺はケチャップで鈴音のオムレツに文字を書いた。
「えっ。そんなのママに見られちゃう」
鈴音は俺の背後でソワソワしている。
「よし、見ていいぞ」
鈴音は文字を読み上げた。
「何センチ?」
「はぁ? なにこれ」
鈴音は、ジト目になった。
「え、お前の靴のサイズのことだよ」
「料理をそんなことに使うなんて、信じられないっ」
えーっ。
最初にメッセージボード代わりに使ってたのは、あなたでしょ。
理不尽すぎる。
しょうがない。
ご機嫌をとらないと。
俺は鈴音の耳元で囁いた。
「お前、指のサイズいくつ? 誕生日に指輪をプレゼントしたいんだけど」
すると、鈴音は左手の薬指のあたりを触った。
「……分かんない」
「じゃあ、靴を選び終わったら、アクセサリーショップにも付き合ってよ。サイズを測ってもらおう」
「うん。どうしよう。めっちゃ嬉しい」
「あっ、今日買うわけじゃないからな?」
「うん。それでも嬉しいよぉ」
鈴音は薬指に触れながら、肩を震わせた。
「どうしよう。嬉しすぎる。あのね、悠真。だーい好き!!」
鈴音に背中から抱きつかれた。
白いTシャツがスカートのように見えて。俺はウェディングドレス姿の鈴音を想像してしまった。
「ただいま」
母さんが帰ってきた。
「あらあら、2人とも仲良しね」
「父さんは?」
「そのまま仕事に行ったわ」
「法事だったんだろ? おつかれさま」
「ん。法事って言ってもお墓参りをしたくらいだしね。お父さんとドライブみたいなものね」
母さんは俺を見て微笑んだ。
「ママ。ニューサマーオレンジ覚えてる?」
鈴音が言った。
「もちろん、覚えてるわよ」
「懐かしいよね」
「ちょうど、お父さんともその話をしていたのよ。近いうちに、みんなで行きましょう」
「うんっ」
鈴音が答えると、母さんは首を傾げた。
「オムレツに文字を書いてるのはいいけれど、くつとかサイズとか、変なこと書いてるわね」
「ええと。これはぁ」
鈴音はあたふたした。
「普通は、『あい』、『してる』とか書くものだけれどね。あなた達、本当に仲良くできてるの?」
俺が答える前に、母さんはテーブルに置いてあったケチャップの外袋を見つけた。
「あれっ、鈴音。ケチャップなくなってた? ストックのケチャップは床下収納に入れてたのに、よく分かったわね」
さっき吊り戸棚から出したばっかりなのだが。
「床下じゃなくて、吊り戸棚じゃないの?」
俺は聞き返した。
「床下よ。あなたが出したんでしょ? ねっ、鈴音?」
鈴音は音の出ない口笛を吹いた。
「ん。どうだったかなぁ? わたし、覚えてない」
……鈴音め。謀ったな。
うちの妹は、時々、あざと可愛い。




