第20話 妹は、おはようがしたい。
手に柔らかいものが当たった。
「んっ」
それは、甘くて甘い女の子の声。
えっ?!
「おはよぉ」
目を開けると、鈴音がいた。
鼻先が触れるほどの近さ。
目尻を下げ、愛おしそうに俺を見つめている。
(ええええー!?)
なにこの状況。
ち、ちょっと待てっ。
昨日は、たしかもらったチョコを食べて。
目を閉じてよく考えた。
うん。大丈夫。
酔ったりはしていないぞ。
昨日は、父さんたちから急に帰れなくなったって連絡が来て。夜は普通にゲームして解散して。
ちゃんと1人で寝たはずだ。
だが、目の前には鈴音がいる。
(どういうこと!?)
俺は掛け布団の中に手を入れた。
自分の腰に触れてみる。
すると、きちんと布の感触があった。
ほっ。
大丈夫、俺は履いている。
なるほど。
わかったぞ。
俺はいま、妹にからかわれているのだ。
寝ているうちに、布団に潜り込まれたらしい。
こいつ、やりたい放題だな。
なんだか悔しい。
負けるものか。
後悔させてやるっ。
俺は鈴音の瞳を見つめ返した。
そして、腹の底に力を入れて、できる限りのハスキーボイスを出した。
「鈴音、すごくかわいい」
(ジュッッテーム)
「うっ」
鈴音は短く声を漏らすと、瞳が微かに揺れた。
「なぁ、鈴音。気持ちよくなりたい?」
瞳孔がゆっくりと開き、鈴音は身体を僅かに震わせた。お互いの吐く息が、ぶつかって混ざる。
「な、なにを言って」
鈴音の声は裏返っていた。
「どうなの?」
俺は言葉を被せる。
鈴音は軽く拳を握ると、胸に当てて。
「わたし、気持ちよくなりたい」
えっ。
鈴音は、逆ギレして怒るはずだったのに。
まさかの反応。
受け入れられてしまったよ。
だが、まだ足りない。
兄の威厳を取り戻すのだ。
「でもな、鈴音」
「なに?」
「その後のこととか、考えてる?」
鈴音は、何度も目を閉じたり開いたりした。
「えっ。赤ちゃんの名前のこと?」
(この子、何を言ってるの?)
鈴音は俺と目が合うと少しだけ嬉しそうな顔になった。はにかんで言葉を続ける。
「うん。候補はあるけど。悠真、気に入ってくれるかな」
鈴音は顔にかかる前髪をかき上げた。
まつ毛が煌めいている。
「えっ」はこっちのセリフだ。
ほんとに考えてるとは。
鈴音は、いつも面白い反応をする。
俺は敢えて何も答えない。
少し身体を離して、鈴音を見つめた。
「え?」
鈴音は微かに声を出した。
「あのな。エプロン姿で夜這いはやめような?」
鈴音は視線を逸らした。
こめかみに前髪がかかる。
「うぅ。からかわれた」
「んで、子供の名前は?」
鈴音の顔がみるみる赤みを帯びていく。
鈴音は起き上がると、横に転がっていた枕を両手で持って、俺の顔に押しつけた。
「悠真のばかぁぁ!! ひどい」
おいおい。
どう考えても、俺は被害者でしょ。
「んで、これってどういう状況?」
「朝、起こしに来たら、アンタの寝顔がかわいくて。つい、からかいたくなっちゃった」
ふむ。
「そっか。ありがとう。んじゃあ、とりあえず、布団から出てくれるか?」
鈴音は少し視線を逸らすと、手を口にあてた。
「……やりすて?」
(やってねーし)
「ところでさ、子供の名前とか、前から考えてたの?」
「べ、べつに。べつにアンタのために考えてた訳じゃない」
(どこのツンデレ妹だよ)
「どんなの? 教えてよ」
「お、男の子なら。悠鈴」
鈴音は視線を泳がせ、小声で答えた。
ふむ。
露骨に俺の漢字が入ってるし。
ほんと、分かりやすい。
「良い名前だな」
すると、鈴音は笑顔になった。
「でしょ? えっとね、えっと、女の子ならね。鈴……」
裏表がなくて、朝から楽しい。
俺が鈴音に感じるこの気持ちは。
きっと、鈴音の中身に向けられている。
鈴音は見た目が可愛いから、内面が隠れてしまう。だからこれは、他のヤツらは知らない鈴音の魅力。
独占できるのは、兄貴の特権だ。
鈴音は身を屈めて、俺を見上げた。
鈴音がカーテンを開けてくれたらしい。
瞳に朝陽が映り込んでいる。
鈴音は言った。
「早く朝ごはんにしよ。冷めちゃうよ」




