第19話 妹が不器用で愛おしすぎる。
「ただいま」
トントンと包丁の音がして、エプロン姿の鈴音が出迎えてくれた。
「おかえりなさい。パパ」
鈴音は悪戯っぽく笑った。
パパ?
「おまえな。生々しい想像しちゃうから、そういうごっこはやめて」
俺は照れを隠して、ささやかな抵抗をした。
「生々しいって〜? んじゃあ、明日から家の中ではパパって呼ぼうかな?」
鈴音はニヤニヤした。
(そんなん、父さんに俺が殺されちゃうから。絶対にやめてね?)
「とりあえず、着替えてくるわ。ちょっと疲れた」
これで鈴音の横に小さな子供がいたら、俺の人生のピーク確定だな。
「あっ、ちょっと待って」
階段を上がろうとしたら、鈴音に呼び止められた。
「どした?」
「ぎゅーってして」
鈴音は両手を広げた。
「分かった」
鈴音を抱きしめた。華奢な背中が俺の腕に合わせて、しなる。
「もっとして」
俺は腕に力をいれた。
鈴音は背伸びをして、俺の背中に手を回した。
服越しに鈴音の体温が伝わってくる。
「ありがと。悠真チャージ完了」
「なにそれ。俺って電気だったの?」
すると、鈴音は、はにかんだ。
「そうだよ? わたしの電気。悠真は、鈴音の原動力なの」
鈴音はピースサインを作った。
自分の部屋に戻って上着を脱いだ。
まだ鈴音の温もりが残っている。
鈴音を他の男に渡したくない。
鈴音と結婚したら、他のヤツにとられずに済むのだろうか。
……俺は首を横に振った。
覗きなんてしてるから、こんな気持ちになるのだ。
さっきの家族の想像は、俺の憧れか執着か。
どちらなのだろう。
着替えた俺は、ダイニングテーブルで夕食を待つことにした。
今日は両親がいない。
母さんが鈴音に、俺の世話を頼んだらしい。
せわしなく動く鈴音に合わせて、後ろで結った髪が揺れている。
鈴音はゴムを使わずに自分の髪だけで、後ろで一つにまとめている。自分の髪だけで纏めるのって、どうやるのだろう。
女の子って器用だよな。
そんなことを考えているうちに料理が出来上がったらしい。
「お待たせ」
鈴音はテーブルにお皿を置いた。
今日の暗黒物質は、お月様のような黄色で。
なんとオムライスの外見をしていた。
「すげぇ。オムライスの見える!!」
俺がそう言うと、鈴音はオムライスの皿を下げた。
「そういうこと言う人にはあげませーん」
「ごめん、まじ旨そう」
鈴音はケチャップを手に取った。
チュルチュルと押し出しながら文字を書く。
「さぁ、召し上がれ」
オムライスには、こう書いてあった。
『明日、どこいく?』
……。
カタカタと鍋の蓋が動く音が聞こえる。
「お前さ、こういうのには違うこと書くんじゃないの? 大好きとか、さ」
鈴音は、俺の横にくると身を屈めた。
もしかして、メッセージを追加してくれるのかな?
でも、違った。
鈴音は俺の耳元で囁いたのだ。
「悠真、大好きだよ」
「えっ?」
俺は振り向いた。
鈴音のうなじが見える。
いつも髪を下ろしているからだろうか。真っ白なうなじは、血色が透けて、赤みを帯びていた。
「大切なことは、自分で伝えなきゃ♪」
鈴音はそう言うと、鼻歌を歌いながら、キッチンに戻った。
鈴音は洗い物をしている。
「でもさ。このオムライス、すげぇよ。ほんと」
ほんとにすごい。
鈴音、頑張ったんだな。
「ふふっ。ママに教えてもらったんだ」
「もしかして、俺のために?」
「むしろ、他に誰がいるのかと聞きたい」
鈴音は胸を張ってそう言った。
「さっ、たべて」
「え? お前の分は?」
「わたしは、いいの。あのね、ほんとは、一つしか成功しなくて」
鈴音はペロッと舌を出した。
キッチンの方には、暗黒物質の残骸らしきものが見えた。
「半分こしようよ」
俺がそう言うと、鈴音は首を横に振った。
たぶん、俺が逆の立場だったら。
鈴音が全部食べてくれた方が嬉しい。
相手のために作ったのだから。
「分かった。ありがとう。いただくね」
「うん、召し上がれ」
鈴音は笑顔になった。
俺が食べ始めると。
鈴音は洗い物を終えて、俺の横に座った。
「今日は2人なんだから、前に座ったら?」
「いいの。ここはわたしの指定席だから」
鈴音は俺の肩に頭を乗せた。
「味はどう……かな?」
「うん。めっちゃ美味い。ほんと、ありがとう」
「いえいえ」
「ほんと、鈴音が妹で良かったよ」
鈴音は俺を見上げた。
その瞳には、俺だけが映り込んでいる。
「口にご飯ついてるよ。わたしも、こうして悠真と過ごせる、今の時間がすごく好き」
どこからかフワッと風が漂ってきて。
チョコレートみたいな甘い匂いがした。
なんの匂いだろう。
「あ、少しいいかな?」
鈴音は話を始めた。
「どした?」
鈴音は右手で左手の肘を抱えると、俯いた。
「あのね。今日ね」
「ん?」
さっきの話か。
俺の心臓は急に脈打った。
まるで、さっきの場面をまた見ているような気持ちになった。
鈴音は言葉を続けた。
「今日ね。実は告白されたんだ」
「誰に?」
鈴音はギュッと俺の袖を掴んだ。
「ほ……」
「あ、やっぱいいや」
あの時、本田の唇が震えていたのを思い出した。人の恋を面白おかしく話題にする気にはなれなかった。
鈴音は頷いた。
「うん。相手はクラスメイトだったから、相手のためにもね。でも、悠真が知りたいなら、言うからね? でね。告白されたんだけど」
「うん」
「大切な人がいるからって、断った」
鈴音は俺の袖を掴む手に力を入れた。
「……ぐすっ」
「泣いてるの?」
「泣いてないし」
そう言って目を擦ると、鈴音の長いまつ毛が濡れて、上瞼に貼り付いた。
「どした?」
「わたし、ひどい子だから。断る時にひどい言い方したの」
俺は鈴音の頭を撫でた。
「鈴音は良い子だよ。俺は知ってるし。そんな言い方したのは、相手のためなんだろ?」
「だって、彼氏いるって言ったのに、諦めてくれなくて。悠真のことを馬鹿にされてる気がして、ムカついたんだもん」
(相手のためじゃないんかいっ!!)
鈴音は続けた。
「でも、相手を殴ると自分の手が痛いって本当だね。たとえそれが言葉でも、わたし、今でも胸の中が痛いもん。でもさ」
「ん?」
「わたし、アンタ以外考えられないから。絶対に可能性がないのに期待を持たせるのって、ダメじゃん。絶対に無理なのに、ずっと待ってる辛さは。……わたしは、よく分かるから」
「そうだな」
それで、あんな振り方をしたのか。
曖昧な断り方じゃなくて、とどめをさした。
「鈴音、頑張ったな」
さっきのはきっと、鈴音自身の話だ。
鈴音は、ずっとただの妹だったから。
鈴音が家出した答えを。
俺は、今さらながらに話してもらえた気がした。
鈴音は小さく頷いた。
「うん。頑張った」
鈴音は優しい。
それはもしかしたら、一般的にいうソレとは違うのかも知れないけれど。
俺だけが理解していればいい。
「あ、悠真」
「どした?」
鈴音は椅子の下から紙袋を出した。
「これ、遅れちゃったけど。バレンタインデーのチョコ」
「開けていい?」
「えっ、あの。恥ずかしいんだけど」
この子、へんなとこでシャイだよな。
箱をあけると、チョコが2粒入っていて。
「ス」、「キ」と書いてあった。
「さっき、気持ちは書くもんじゃないとかいってたじゃん」
「こ、これは。いいの。そういうイベントなんだから」
鈴音は人差し指を立てて、グリグリとテーブルに当てた。
「ふぅん。でも、ありがとう。まじで嬉しい」
「さっそく食べてみてよ」
俺はチョコを手に取り、かじってみた。
すると、中は空洞で、液体が入っていた。
「これ、ブランデー?」
めっちゃアルコールの味してるんだけど。
コイツ、日本酒チョコの惨事を忘れたのか?
「し、知らないっ。悠真のこと大好きだから、勝手に入ったの」
鈴音はそう言って、笑った。
悪戯っ子で、優しい。
俺をいつも一番にしてくれる。
こんな子だから、俺は。
妹が……。鈴音のことが大切なのだ。
「「あ、明日、どこいく?」」
俺と鈴音は、同時にそう言った。




