第18話 妹が告られた。
指輪を渡したあの日から。
鈴音は機嫌がいい。
鈴音の部屋は俺の部屋の隣だ。部屋を隔てる壁が薄いので、よく物音が聞こえてくる。
最近は、隣室から頻繁に「えへへへ」と聞こえてくる。きっと、指輪をつけて悦に入っているのだろう。
本人はあの指輪で良い、と言ってくれているが、少し申し訳ない気がしてしまう。
ちゃんとした指輪が必要になる場面もあるだろうし、薬指じゃないから男避けの効果も期待できない。
いや、むしろ相手の男に「自分の方が良いものを渡せる」と、自信をつけさせてしまう恐れすらある。
だから、また指輪をプレゼントしたいと思っている。
俺はカレンダーを見た。
どうせなら、鈴音の誕生日プレゼントにするか。鈴音の誕生日は12月後半だから、まだお金を貯める余裕もある。
バイトでもするか。
そんなある平日の休み時間。
また斉藤の邪眼アビスアイが発動した。
斉藤は机の上にビー玉を置いている。
どうやら、水晶玉という設定らしい。
「ふぉぉ!! 見える見えるぞ。この深淵なるレッドアイには、映し出されておる。鈴音姫、さては今日の放課後、誰かに告白されるぞっ!!」
レッド……。
本当に設定が雑だな。
だが、こいつのアビスアイは今の所、的中率100%。侮ることはできない。
っていうか、今日!?
いくらなんでも、急すぎないか?
ごくり。
俺は口の中が乾くのを感じた。
「どういうこと? んで、相手は?」
斉藤はビー玉に手をかざした。
「ふぉぉぉ!! 相手はブック、くそっ。赤の魔術結社めっ。また我が魔眼の邪魔をしてくるわっ。くそっ。ここまでか」
あれ?
敵の名前、そんなだったっけ?
アビスアイからブックという名前が出てくるのは、これで2度目だ。
どうやら相手はブック。つまり、本田らしい。
全然、あり得る話だ。
「おい、斉藤。魔眼とかどうでもいいから、どこで告白されるか教えてくれっ!!」
俺は斉藤の胸ぐらを掴んだ。
「けほけほっ。鈴音姫の部活のあと、駅前のカフェ•マルレットらしい。と、蛍姫と話してた」
おいおい。『話してた?』だと?
それって、ただの盗み聞きじゃねーかよ。
鈴音を疑っている訳ではない。
でも、この心がザワつく感じはイヤだ。
安心したい。
大丈夫だって分かってる。
でも、なんとなく1人で見るのは怖かった。
「わりぃ。斉藤。今日の放課後、付き合ってくれないか?」
「承知の助!!」
斉藤はそう言うと、力こぶのあたりをポンポンと叩いた。
ほんと、お前。
いつの時代の人間だよ。
斉藤はキモいけど、良い奴だ。
俺らは、放課後にカフェ•マルレットに行くことにした。一旦、それぞれ家に帰って、着替えてから店の前に集合だ。
時計を見ると17時だった。
そろそろ鈴音の部活が終わる頃だ。
俺は店内に入って周囲を見渡した。
カジュアルだが照明は暗めで、背の低いソファーが並んでいる。席数はそんなに多くはない。
なるほど。
雰囲気の良い店だ。
……どこに座ろうか。
鈴音に見つかってもダメだが、遠すぎると話が聞こえない。
迷っていると、斉藤に腕をつつかれた。ちなみに、斉藤は女装をしている。なんでもカモフラージュらしいが、正直言ってキモい。
「おい。篠宮。本田がいるぞ? マジで来やがった」
斉藤は口に手を当て、大袈裟に驚いた顔をした。
おいおい。
預言者本人がそんなに驚かないでくれよ。こっちまで不安になってしまうじゃないか。
だが。
相手はやはり本田だったか。
本田が来たと言うことは、きっと鈴音も来るのだろう。
想像しただけで切なくなる。
どうせなら、斉藤の予言が外れて欲しかった。
本田は、窓際のボックスシートに座っている。
すごく複雑な気分だが、座席の当たりがつけられたのは良かった。ボックスシートは向かい合わせで、本田は通路側に座っている。
鈴音が座るのは、おそらく本田の向かい側だ。
俺らは、一つ間をあけて、本田と背中合わせになるように座った。もっと近づきたいが、これ以上は危険だ。
まぁ、ここなら入り口とは反対側で鈴音が横を通ることもないし、話も聞こえるだろう。
気を遣ってくれたのだろうか。
斉藤は向かいではなく、俺の隣に座った。
だが、俺らがベンチシートに並んで座ってるのは、別の意味で目立つらしい。
なにせ斉藤が女装しているからだ。
「おい、なんでそんな格好できたんだよ」
俺が文句を言うと、斉藤は言い返してきた。
「変装してりゃ、目立たないだろ」
「ふざけるな。反対に目立ってるんだよっ!!」
すると、隣の席の女子高生と目が合った。
露骨にジト目で見られている。
視線が痛い。
俺は飲み物を頼んで時を待つことにした。
本田は、同性から見ても良いヤツだ。
身長も高くて、イケメン。
運動神経抜群で、サッカー部のキャプテンだ。
周りにはいつも誰かがいて、男女の扱いに差がない。みんなは、そんな彼を蒼と名前で呼んでいる。
クラスで本田を苗字で呼んでるのは、俺と斉藤くらいだろう。
しかも勉強もできる超優良物件。
鈴音といても、見劣りしない。
まぁ、誰から見てもお似合いだ。
今日呼び出したのは、本田からなのかな。
もし、鈴音からだったら、俺、立ち直れないかも。
あー、なんだか落ち着かない。
俺は時計を見た。
まだ少し時間がある。
トイレにでも行っておくか。
「おい、篠宮っ」
立ち上がろうとする俺を、斉藤が呼び止めた。
「え?」
カラン。
店のドアが空いた。
鈴音だ。
俺は目を背けてしまった。
バレるからではない。怖かったのだ。
鈴音は本田を見つけると、手を振った。
ダメだ。
見ていられない。
もしかしたら、告白っていうか。
もう付き合ってるんじゃないか?
こんな疑い方は鈴音に失礼だ。
俺は首を横に振った。
「おい、篠宮。大丈夫か?」
斉藤が心配して声をかけてくれた。
俺は、外から見ても分かるくらいに動揺しているらしい。
「はぁっ、だ、大丈夫」
「まじか? 体調悪いなら無理するなよ?」
斉藤からすれば、俺らはただの兄妹で、鈴音はただの妹。俺が動揺する理由なんて、分かるハズがない。
後ろの様子が気になるが、鈴音と目が合ってしまう。俺は耳に意識を集中した。
「ごめんな。急に呼び出して。あ、これ邪魔だわ」
本田は自分の横にあったバッグを端に寄せたみたいだ。
「心配させたら悪いし。急いじゃった」
鈴音は、息を弾ませている。
「ここに座れよ」
鈴音が本田の横に座れば、俺らも振り返るとことができる。
でも。
俺は手を握りしめた。
……鈴音の横は俺の席だ。
少し間があいて、鈴音は答えた。
「ごめん。わたし、部活のあとで汗かいてるし。荷物も多いから、こっちに座るね」
チラッと見ると、本田の横に鈴音はいなかった。
はぁ。
俺は大きく息を吐いた。
鈴音は、向かいの席に座ったらしい。
「んで? 急に話って何かな?」
鈴音は、荷物を置くと切り出した。
「ん。あ、いやぁ。俺らってさ」
「んっ?」
「よく噂になってるじゃん?」
「たしかに〜」
鈴音の声は明るい。
「俺さ、そういうのウザくてさ」
「あぁ、分かる。イヤだよね」
……この後の流れは想像がつく。
俺の心拍数は一気に上がった。
本田は言葉を続けた。
「だからさ。いっそのこと、マジで付き合っちゃわない?」
俺は、急に息苦しくなった。
空気が薄い。
数秒の沈黙が訪れた。
どちらかが椅子に座り直す音が聞こえる。
俺の指先は震えていた。
「それ、本気なのかな?」
鈴音の声だ。
「あぁ。マジもマジ。大マジ」
そう答える本田の声は震えていた。
また沈黙が訪れる。
さっきまで煩かった店内の雑音も、いまは耳に入ってこない。
「んー、無理かな。ごめんねっ」
沈黙を破ったのは鈴音だった。
「え? なんで? お前にも悪い話じゃねーはずだけど」
本田は声のトーンを落とした。
「ん、まず、わたし。お前って言われるのが嫌いなんだ。それと、今の話に、本田くんの気持ちのお話は全然ないよね?」
え?
そうなの?
……俺いつも「お前」って言ってるんだけど。
鈴音の言葉からどんどん抑揚がなくなっていく。逆に、本田の声はどんどん大きくなった。
「いや、それは当然の前提っていうか」
「あ、言わなくても大丈夫だよ」
鈴音はすぐに切り返した。
「だから、俺はお前のこと、本気なんだよ」
「わたし、カレシいるんだ。だからゴメンね」
今度の答えは、さっきよりも早い。
間がどんどん詰まっていく。
ダンッ!!
「いや、蛍に聞いたけど、そんなんいねーって!!」
本田が机に手をついたようだ。
声が急に大きくなった。
周囲の客の視線が集まる。
本田のやつ。
まるで、威嚇してるみたいじゃないか。
「おいっ、やめとけって」
俺が立ちあがろうとすると、斉藤に止められた。
沈黙が訪れる。
鈴音。大丈夫かな?
「たとえば、なんだけどさ」
それは鈴音の声だった。鈴音は、今までとは違って穏やかな口調で話し始めた。
「んっ?」
本田の声からも緊張が消えた。
「本田くん、妹さんいたよね?」
「もし、その子に本気で告白されたら、受け入れられる?」
「いや、ありえねーだろ。まじキモイって」
「じゃあさ、その子が、本田くんのこと本当に好き過ぎて、本田くんと会うのが辛くて家出までしたら? それくらいに本気なら気持ちを受け入れられる?」
本田は何も答えなかった。
「へんな話してごめんね。たとえばの話だよ。でも、そんなの即答で乗り越えられるくらいの好きじゃないと。少なくとも、わたしには響かないかな」
ダンッ!!
「そんな言い方、ズルイだろ!!」
本田はテーブルを叩くと、語気を強めた。
あんな音を出して、女の子相手にズルイのはお前の方だろ。
くそっ。
斉藤は、さっきよりも強く俺の太ももを押さえつけた。
まだ話は終わっていない。
俺は歯を食いしばって耐えることにした。
鈴音の声のトーンが一気に下がった。
抑揚が殆どなく、もはや無感情に近い。
「そうかも。わたし、ホントは性格悪いんだよ。今はカレがいるから無理だけど、いなくても無理って話。本田くんとは、ないかな」
鈴音の声が冷たい。
相手を突き放すような声。
俺はずっと鈴音に避けられていたけれど、どんなに罵られている時でも、あんな声は聞いたことはない。
店内にカチカチと秒針の音が響く。
「ごめん、つい感情的になった。今日は悪かったな。俺、先に帰るわ」
引き下がったのは本田の方だった。
本田はそう言うと、伝票を掴んで帰っていった。
本田にあんな荒々しいところがあるとは知らなかった。でも、それだけ告白に自信があったということなのだろう。
斉藤はパンパンと俺の太ももを叩いた。
「お前さ。出て行ってどうすんのよ。そりゃあ、俺だってムカついたよ?」
斉藤は右手で拳を作って、左手に何度も打ちつけた。
「篠宮さ。お前、有段者なんだから洒落にならねーって」
俺も斉藤の太ももを軽く叩いた。
「止めてくれてサンキュー。あのままだったら鈴音に迷惑かけてたわ」
斉藤は口に手を当てた。
「それにしても、鈴音姫、こえーよ。一刀両断だったじゃん」
「そうか? いつも俺にはあんなだぞ」
あれっ。
いつの間にか、指の震えが止まっている。
鈴音の答えに安心したのかな。
すると、鈴音がゴソゴソと荷物をまとめはじめた。
「もうこんな時間だ。悠真が心配するから、早く帰らないと」
鈴音は大きな荷物を担ぐと出て行った。
鈴音が店のドアを開ける時。
左手の小指に指輪が見えた。
さて、用事も終わったし。
俺らも帰るか。
カラン。
すると、また入り口のドアが開いた。
山瀬さんだった。
前に下着屋で会った子だ。
山瀬さんは俺に気づくと手を上げた。
「篠宮くんだ。今さっき、鈴音ちゃんに会ったよ? 一緒だったの?」
下着屋の一件の後、しばらく白い目で見られていたのだが、最近、ようやく誤解がとけて、普通に話してくれるようになったのだ。
ここまでの道のりは長かった。
「あ、いや。別です」
「ふーん?」
山瀬さんは、斉藤の方をジーッとみて、俺に視線を戻した。
「篠宮くん。この人は?」
あぁ、そうか。
斉藤は女装だから分からないのか。
すると、ポトっと音がした。
視線を床に落とすと、斉藤のヅラが落ちていた。
「斉藤くんですか? 篠宮くん。やっぱ、そういう趣味の人なんだね」
山瀬さんは半笑いだった。
「い、いや。ちがう」
なんで斉藤の女装で、俺が勘違いされるんだ?
言い訳したが全く聞き入れてくれない。
「わたし、やっぱり篠宮くん無理かも。今日は帰るね」
山瀬さんは、そう言うと出ていってしまった。
今度こそ、本当に嫌われてしまったらしい。
「テヘッ」
斉藤は舌を出した。
「テヘッじゃねーよ! はぁ。まぁいいや。斉藤。今日は付き合わせて悪かったな。会計は俺が払うから」
財布の中身を確認しようとしてカバンに手を入れると、スマホが光った。
鈴音からのメッセージだ。
「ごめん、これから帰る。今日は色々あったから、帰ったら話すね。あと、晩御飯は、特製オムライスですっ!!」
そういえば、今日は母さん居ないんだっけ。
どうやら、今夜の夕食は暗黒物質らしい。
俺は斉藤と別れると、家路を急いだ。
俺はさっきの鈴音からのメッセージを何度も見返した。その度になんだかホッとして、凝り固まった心配が、全部解けてなくなっていく気がした。
でも、一つだけ聞いてみた。
「鈴音って、お前って言われるのイヤ?」
すぐに返事が来た。
「そんなことないよ。悠真に呼ばれるのは大好き♡」
俺は「♡」をみて、ニヤニヤしてしまった。
家が見えてきた。
キッチンに電気がついている。
——早く鈴音に会いたい。




