第12話 特別な呼び名。
学校では兄妹、屋上では恋人の手前。
学校でも家でも、人の視線が気になるから。
屋上は『ただの2人』になれる時間。
「ねえ、可愛い呼び方してよ」
——ただの2人には、特別な呼び方が必要だ。
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昼休みの屋上。
「「ごちそうさまでした」」
食べ終わると、鈴音の視線を感じた。
もしかして、感想が欲しいのかな。
「うまかったよ。ありがとう」
「ふーん、別に無理に褒めなくていいんだけど?」
鈴音は口ではそう言ったが、体を揺すっている。すごく嬉しそうだ。ワンコだったら、絶対に尻尾を猛烈に振ってることだろう。
「ねっ、どのへんが美味しかった?」
鈴音はそう言うと、体をすり寄せてきた。感想は個別具体的にする必要があるらしい。
準備してもらえただけで嬉しいし、絶賛したいのだけれど。なまじ構成がシンプル(おにぎりとゆで卵とマシュマロ)なだけに、地雷を踏む予感しかしない。
マシュマロは既製品だし消去法で落とすとして、ここは無難に卵でいっとくか。
「えと、卵の茹で加減とか?」
「タマゴはママが茹でました!」
鈴音はプーっとなった。
(しまった!)
俺はコイントスで盛大に外したらしい。さっき鈴音は、おにぎりの形がどうのとか言ってたし。
あろうことか俺は主役をスルーしてしまった。
ここからでも、おにぎりに舵を切ってみせる!
でも、このおにぎり(しかも硬派な梅とオカカ)を褒めるのって、どうやるの?
構成要素が、塩と白米と具しかないじゃん。
かくなるうえは……。
もう一般論でいいや。
内容よりも勢いが大事だと思う。
「おにぎりも美味かったよ。塩加減とか。それに、米粒が立ってた!」
俺は、精一杯の褒めトークを駆使した。
「ふぅーん。米粒が立つのは、炊飯器の褒め文句だけど?」
鈴音はジト目になった。
なんだよ、無駄に鋭いな。
本当はもっと褒めてあげたいし、おにぎりについても深掘りしたい。
でも、俺はお米マイスターじゃないし、おにぎりのド素人。墓穴を掘る前に、褒めるのは諦めて話をまとめることにした。
「と、とにかく、また作ってよ。楽しみにしてるから」
これは本心だ。
「ふぅん。そんなに楽しみなんだ? ……わかった!!」
鈴音は笑顔になった。
(女子、わからねー……)
ぶっちゃけ笑顔の理由が分からない。物心つく前から一緒にいてもこんな調子なのだ。赤の他人と付き合って結婚するヤツとか、本当に尊敬する。
「ふぅ」
鈴音は顎に指を当てると、小さくため息をついた。
「あのね。わたし、ほんとは学校でもアンタと仲良くしたいんだけど……。兄妹であまりベタベタしてると、変に思われちゃうよね?」
「たしかに」
夏休みの間に鈴音と仲良くなった。だが、形式的な関係が変わったわけではない。恋人になった訳でもないし、ましてや夫婦でもない。兄妹のまま。
……鈴音の意見は正しい。
いっそのこと「血縁なし」とカミングアウトしてしまうか?
いや、急変は毒だ。
真実でも嘘にされる。
最悪、歪んだ形で親に届く可能性すらある。
「そうだな。とりあえずは、みんなの前では、前と同じ感じでいこう」
鈴音は頷いた。
「わかった。わたしも、蛍に言うのもやめとく」
蛍とは、北条 蛍。鈴音の親友で中学からの付き合いだ。
(俺も斉藤には黙っておくか)
「親友にも言えないって……なんか寂しいね」
鈴音はそう言ったきり、黙ってしまった。
「景色がいいね」
鈴音は階段の上で体育座りのようになって、両手で庇を作った。気持ちよさそうに風上を見つめている。
また風が通り抜けて、鈴音の亜麻色の髪がなびいた。後ろ髪が持ち上がり、ふわっと柑橘系のシャンプーの香りがした。
一瞬、肩が当たって汗の薄膜に触れた。
鈴音は俺の方を向いた。
「やっぱ、学校で他人行儀は寂しいよ」
「そうだな」
「だからせめて、2人の時の呼び方を決めない? ニックネームって仲良しな感じがするし」
鈴音はそう言って、ピースサインを作った。
よかった。少しは元気が出たみたいだ。
「え、じゃあ、呼び方は、鈴音で」
これなら抵抗感が少ない。
すると、鈴音は頬をふくらませた。
「それじゃあ、今まで通りだし。もっと可愛いのがいい」
可愛いのって言われてもなあ。
妹相手にそんなの思いつかんよ。
「そんなことを言うなら、そっちが先に決めてよ」
俺がそう言うと、鈴音は指をクルクルと回した。
「うーん。悠真だから、ゆうきゅん……は?」
(この人、結構攻めるね)
なんだか、すさまじくこそばゆい。
「じゃあ、鈴音は、すーさん?」
「おじさんっぽいからイヤ」
鈴音は目を細め、眉間に皺を寄せた。
「さん」付けは気に入らないらしい。
「じゃあ、すぅちゃんは?」
鈴音は頷いた。
どうやらOKみたいだ。
「じゃあ、練習してみようか」
鈴音は、何回か深呼吸をした。
「ゆ、ゆうきゅん……」
なにこれ。
なんだか心臓がドキドキする。
俺も言わないと。
「すぅちゃん……」
なに、このこそばゆさ。胸の中がムズムズして、無意味に体を揺すりたくなる。
他のカップルはどうか分からないが、長年の妹に彼女みたいな愛称をつけると、人体というものはこういう反応をするものらしい。
これはキツイ。
鈴音を見ると、なにやら口を結んで、冷たいアイスを食べた後のような顔をしている。目を瞑って恥ずかしさに堪えているようだった。
「あのさ。鈴音」
「な、な、なに。ゆうきゅん」
やっぱりこの人、真面目っ子だ。さっきのダメージが抜けきっていないだろうに、きちんとルールを守ってる。
いやはや。厳しい。
これでは。罰ゲームと紙一重だ。
ニックネームごっこの中止を申し出るか?
すると、鈴音が何やら話し始めた。
「ゆうきゅん。すき……す……」
わかるぞ、妹よ。
穴があったら入りたい気分なんだよな?
鈴音は足をバタバタさせて叫んだ。
「やっぱ、むりーっ!!!!」
「うんうん。やめよう(笑)」
鈴音はプーっと頬を膨らませた。
「わたしだけ、名前を2回も多く言っちゃったんだけど。あと、好きも……返して。悠真も言って!!」
「むりー。俺の心のアルバムに格納済みなんで、返却不可でぇす」
「返せないなら、代わりのものでもいいよ?」
鈴音は前からギュッと抱きついてきた。
スンスン。スンスン。
スーハー、スーハー……。
俺の胸の辺りに執拗に顔を押し付けてくる。
「エヘヘ。やっぱ、めっちゃ安心する匂い。学校で嗅ぐのも良いなぁ。実は前からしてみたかったんだ」
これ、美少女だから微笑ましい光景だけど。
男女が逆だったら、相当ヤバいよな。
しばらくすると鈴音は満足したらしく、笑顔で手を振って階段を降りて行った。
鈴音、いなくなったよな?
俺は周囲を見渡した。
よ、よし。俺も練習だ。
「す、すぅちゃん。す、す……」
誰かの視線を感じる。
振り返ると、階段の入り口で鈴音が見ていた。
目が合うと鈴音は言った。
「ちぇっ。続きが聞きたかったなぁ。下に戻ったら言えないけれど……。『ゆうくん』のこと。……大好きだよ」
どうやらさすがに。
俺の妹でも、きゅん付けは厳しかったらしい。
——ある日、お弁当の下にメモが入っていた。
メモを見せると、何故か鈴音はそっぽを向いた。
耳が赤い。
メモにはこう書いてあった。
「デートしたい」




