第1話 失くして拾い上げた物。
「迎えに来て」
鈴音からの通知は、それだけだった。
駅近くの公園。
夏の湿った風が、吐いた息にまとわりつく。走りながら通知を開いたが、既読のまま返事はない。
嫌な想像ばかりが先に立つ。
俺はただの兄貴だ。
けど、妹はそんな兄貴に連絡をくれた。
俺が行かなくて、誰が行くんだよ。
月明かりに照らされたベンチ。うずくまる小さな背中。泣き腫らした目。腫れたまぶた。俺を見るなり、鈴音は顔を背けて言う。
「……なんですぐに来てくれないの?」
********
——数時間前。
彼女の名前は、篠宮 鈴音。俺の妹だ。
俺らは双子で、16年間、家族としてずっと一緒に過ごしてきた。でも、今年の夏、その関係は変わった。
それは、1通の手紙から始まった。
「わたし、アイツと家族なのイヤになった。だから、もう家には帰りません」
妹の鈴音が、手紙を残していなくなったのだ。ちなみにアイツというのは、他でもない俺のことだ。
手紙を見つけた母さんは大騒ぎして、父さんと一緒に俺の部屋に駆け込んできた。
「おい、悠真!! 鈴音がいなくなったぞ。何か心当たりはないか?」
父さんに聞かれて、俺はただ事ではないと思った。
「さ、さあ」
そう答えたが、心当たりはある。
だが、とても親に言えるような内容ではない。
俺の答えに、母さんは泣き出してしまった。
「あの子、もう帰ってこないかもしれない」
えっ?
そうなの?
文面を見る限り、「俺のことが嫌いになったから家出します」という意味だと思った。だが、妹は外が暗くなっても帰ってこなかった。
「捜索願を出した方がいいかしら」
母さんはソファーに座って落ち着きなく手を握り合わせている。父さんはその隣に座って、母さんの肩を抱いた。
「いや、鈴音に限ってそんなことは。悠真、本当に心当たりはないのか?」
妹の鈴音は、同じ高校に通っていて、同じクラスだ。俺のことが嫌いらしく、話しかけても、いつも面倒そうにする。無視されることも多いし、言葉遣いも悪い。
昔は仲のいい兄妹だったのに。
面倒くさそうに扱われるたびに、裏切られたような気持ちになる。
俺は、お世辞にも友達が多いとは言えない。普段クラスでは目立たない、地味なキャラだ。それなのに、鈴音は、すぐに誰とでも仲良くなれる明るい性格で、周りにはいつも誰かがいる。
友達に合わせているだけなのかもしれないが、ピアスやネイルもしているし、ギャルと言っても過言ではない派手な服装をしている。
同じ兄妹なのに。
今ではこんなに違ってしまった。
その落差のせいで周囲から揶揄されることが多く、俺は先日、鈴音が友達にイジられているのを目撃してしまった。
鈴音と一緒にいたのは、同じクラスの北条 蛍という子だ。2人は親友というだけあって、いつも一緒にいる。
蛍は人差し指で金髪をクルクルと巻きながら、鈴音に話しかけていた。
「ほんとウチの彼氏、最低。することしたら放置とか、あり得なくない?」
「蛍は顔で男を選ぶからでしょ」
鈴音はジト目で答えた。
「どこかに優しい男いないかな。あっ。篠宮ってめっちゃ優しそうじゃない? 顔は普通だけど。鈴音、篠宮のこと教えてよ。ウチみたいな、日焼けしてて派手な女の子は苦手かな?」
すると、鈴音は大げさに両手を広げた。
「あんな男はやめといた方がいいよ」
(こいつら、人がいないと思って言いたい放題だな)
「ふぅーん。やきもち? 篠宮と鈴音って、全然似てないよね。本当は血が繋がってないんじゃない?」
きっと、蛍の質問に深い意味はなかった。だが、鈴音の笑顔は強ばった。
その瞬間、俺は分かってしまった。
あぁ、やはりそうなのか。
鈴音は、早口で答えた。
その姿は、怒っているように見えた。
「血が繋がってなかったら、むしろスッキリするでしょ」
その言葉を聞いて、自分の中から血の気が引いていくのを感じた。
分かっていたことだ。
でも、心のどこかでは否定して欲しかった。
鈴音の言葉を聞きながら、俺の指先は震えていた。普段は強がっていたとしても、親友の前で嘘をつく必要はない。
だから、これは鈴音の本音だ。
俺は指の震えが止まらなくて、反対の手でギュッと押さえた。
その後も2人の会話は続いていたようだったが、俺は息苦しさから逃げ出すように、その場を後にした。
手紙を見せられた時、俺には鈴音の言いたいことがすぐに分かった。皮肉なことに、今でもそんな部分だけは、しっかり兄妹らしい。鈴音の言い分に、もっともらしい言い訳は必要ない。
ただ単純に、俺のことが嫌いなのだ。
だから、両親に聞かれた時、すぐに手紙の理由に思い当たった。
こんなことで親に心配をかけたくないし、そもそも、盗み聞きした話なのだ。言うべきか一瞬迷ったが、俺は鈴音と蛍の会話のことを親に話すことにした。
すると、母さんは、ひどく落ち込んで泣き出してしまった。
やはり、話さなければ良かった。
親に心配をかけて、俺は何をしているのだ。
父さんは、嗚咽を漏らす母さんの背中をさすりながら言った。
「そうか。悠真。後で話すことがある」
父さんは立ち上がって、腕時計を見た。
「まずは鈴音だ。警察に行く前に、最後に皆で探そう」
「はぁはぁ」
鈴音を探して、さっきから走りっぱなしだ。部活を辞めて運動不足の俺にはきつい。
くそ。鈴音どこだよ。
腕時計を見ると、既に22時を回っていた。
鈴音は制服だ。
補導でもされようものなら、進路に支障が出るかもしれない。
妹でも、本当の考えなんて分からない。もしかしたら鈴音のヤツ、本当にもう帰ってこないつもりなのか?
でも、俺は嫌われているのだ。
鈴音からあんな扱いを受けているのに、俺は何を必死になっているのだろう。
わけがわからない。
胸の中がゾワゾワする。
「アオーン」
どこか遠くで犬が遠吠えしている。
あぁ。そういえば。
昔もこんなことがあった。
あれはたしか、俺らが小学校の頃。
********
鈴音が父さんと喧嘩をして、家を飛び出してしまったのだ。みんなで探したが見つからなくて、結局は、俺が公園にいた鈴音を発見した。
鈴音はブランコに必死につかまって、野良犬に吠えられて泣いていた。助けに行ったら、なぜか俺が噛まれたわけだが。
……もしかして、あの公園にいるのか?
ちょうどその時、スマホが光った。
「迎えに来て」
鈴音からの通知だ。
やはり、あの公園だった。
街灯に虫が群がっている。
「鈴音!」
公園に着いたが、ブランコに鈴音はいなかった。そんなに大きな公園じゃない。いればすぐに分かるはずだ。
「やっぱ、そんな都合よくはいかないか」
帰ろうとすると、公園の入り口のところでカップルが立ち止まっていた。少し様子がおかしい。
「どうかしたんですか?」
俺が聞くと、彼氏は戸惑った様子で公園の奥を指差した。
中の様子を窺うと、暗がりのベンチの方から、何かが当たるような音がした。
「すみません、通報お願いします!」
俺はそう言い残して、暗がりの方に入っていった。
「ち、ちょっと。や、やめてよ」
鈴音の声だ。
ベンチの前に男が2人いて、片方の男は逃げようとする鈴音に馬乗りになっていた。鈴音のシャツははだけて、足が泥だらけになっていた。
「どけよ!」
俺は、男の後ろ襟を持って横に押しのけた。
「兄貴……」
鈴音は泣いていた。
「あぁ? お前、なんなんだよ。良いところなんだから、邪魔すんなよっ!!」
もう片方の男が激昂し、足を振り上げた。
——蹴られる。
俺は鈴音を抱きしめた。
ドンッ。
身体の中に低い音が響いた。
続けざまに背中に強い衝撃を受ける。数度目で、俺は耐えきれずに地面に肘をついた。
……腕の中の鈴音は震えている。
ごめんな。
怖い思いをさせたな。
俺には痛みを感じる余裕はなかった。
段々と意識が朦朧としていく中、鈴音を抱きしめる腕に力を入れた。
俺はこのまま死ぬのかな。
「おい、お前ら。何をしているっ!!」
それは警察官だった。
さっきのカップルが通報してくれたらしい。
男たちは警察に取り押さえられ、連れて行かれた。
鈴音は顔を背けて言った。
「……なんですぐに来てくれないの?」
これは礼じゃない。
俺への責めだ。
帰り道、鈴音は無口だった。
遠ざかるサイレンの音を聞きながら、礼のひとつくらいは欲しい。そう思った。
鈴音の唇が震えている。
だが、俺は気遣いの言葉をかける気になれなかった。俺は子供なのだろう。
重苦しい雰囲気のまま2人で歩く。
「くしゅん」
鈴音がクシャミをした。
夏なのに今夜は肌寒い。
ふと見ると、鈴音のシャツのボタンがいくつか取れていて、胸元が見えていた。
「ったく。寒いなら寒いって言えよ」
俺は着ていたウィンドブレーカーを鈴音の肩にかけた。すると、鈴音は、口を尖らせただけで何も言わなかった。
鈴音は色白だ。
そのせいだろうか。頬が赤く見える。
よく見れば手も足も傷だらけではないか。
「病院に行くか?」
しかし、鈴音は何も答えない。
……強引に引っ張っていくわけにもいかないし、困った。
あっ、あそこなら。
俺はドラッグストアを見つけた。
「少し待ってろ。……勝手にいなくなるなよ?」
俺はドラッグストアで傷薬と絆創膏を買うことにした。
店内から戻ると、鈴音は左耳のイヤリングに何度か触れ、ポツリと言った。
「なんで蹴られたのにやり返さないんだよ。ダサすぎ」
その言葉を聞いて腹がたった。
そっちこそ、助けられたくせになんなんだよ。
こっちは、やり返したくてもできないんだよ。
——それは、お前も知っていることだろう?
でも、あの時、警官が来なかったら?
鈴音がどうなっていたか分からない。
ベンチで鈴音に絆創膏を貼りながら、俺は情けなくて泣きたい気持ちになった。
「明日、病院にいけよ?」
俺がそう言うと、鈴音が呟いた。
誰にも聞こえないくらいの小さな声で。
「助けてもらったのに……わたしの方がダサすぎ」
地面に2人の影が落ちていた。
昔は1つだった影。
子供の頃は、大泣きの鈴音を背負って帰ったんだっけ。
今は2つに分かれてしまって、離れ離れだ。
家に帰ると、鈴音は母さんに抱きつかれ、なぜか俺は父さんに叱られた。
俺らは双子なのに。
全然違う。
お説教が一通り済むと、父さんと母さんに、ソファーに座るよう促された。
俺と鈴音は横並びで座った。
しかし、父さんは何も話さない。
空気が重い。
俺が、用事がないなら部屋に戻ると言おうとすると、先に父さんが口を開いた。
「鈴音。そんなに悠真と家族なのがイヤか?」
すると、鈴音は前髪を触りながら答えた。
「……イヤ」
鈴音の答えを聞いた瞬間、思考が止まった。
最初から分かっていたことだ。だけれど、面と向かって言われると、頭の中がボーッとして、どこかの他人の話を聞かされているような気分になる。
俺らが過ごした16年間に、何か意味はあったのだろうか。
父さんは話を続けた。
「本当は話す気は無かったんだけどな。またこんなことがあったら困るし、伝えておく。実はな」
実は?
実はなんなのさ。
冷蔵庫からカチッと音がして、ブーンと唸り始めた。いつもより、音が大きい。
父さんは床のあたりを見つめている。
コホン。
父さんは咳払いをすると、言葉を続けた。
「お前らは、実は本当の兄妹じゃないんだよ」
「は?」
思わず声に出てしまった。
だって、あり得ないだろう。
俺らは子供の頃から一緒だったし。
ガンッ。
鈴音がテーブルに脛をぶつけた。
鈴音は、ソファーの上で体育座りのように足を抱えたまま、口を手で押さえていた。
「うそ……」
目を大きく見開き、視線は泳いでいた。それは、俺が見たことのない鈴音の表情だった。
まだ話は続いているのに、鈴音は立ち上がった。口をパクパクと動かすと、そのまま部屋に戻ってしまった。
「鈴音を怒らせちゃったみたい。言わなかった方が良かったかしら」
母さんはそう言ったが、俺には聞こえてしまった。小さく漏らした鈴音の言葉。
「こんなに我慢する必要なかったじゃん」
俺の聞き違いでなければ。
たしかに、そう言っていた。
俺は震える指先に力を込めて、父の次の言葉を待った。
————その日の深夜、俺は鈴音に言われることになる。
「……ずっと、いてくれるって証明して」
新連載です。
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