太平洋戦争末期にて自らの秘密を打ち明けて米国政府を揺さぶった者達
特許局の人間が首をかしげる者達がいた。
1942年。
開戦から1年経過した日本において最新鋭の技術を毎日特許局に立ち寄っては出願申請する者達であった。
何しろ数が尋常ではなかった。
1941年には2000件規模、1942年ですら1000件規模、これが1943年には300、1944年には100、そして1945年には50件前後の出願があったが、日立や三菱電機といった他の企業と比較するとあまりにも多かった。
彼らは東京大空襲の翌日ですら真っ黒こげの格好で戦時下による物資配給式の中で「最新鋭の発明を開発した」といって多数の明細書を持ってくるのである。
それこそ特許研究者の一部が真相を知ろうと長年研究するGE特許であり、出願人というのは東京芝浦電気所属の者達であった。
最終的に4000件もの特許出願を行った彼らは、密かにGEとの連絡方法を保持しており、終戦の直前まで最新鋭の技術を出願していったのだった。
この連絡方法というのが実は未だにわかっていない。
GEが政府の答申などで出した秘密文書のいくつかが今日では公開されているが、GEは明らかに米軍と同等かそれ以上に日本国の実情を理解し、米国のトップ企業として政府にある程度の圧力がかけられる状況において米軍の方針を決めるための指標の1つとなる情報を提供していたのは事実である。
ただしそれは例えば「ミッドウェー海域にて大規模作戦を展開している」というような内容ではなく、「ソビエト連邦は明らかに中立条約を無視した行動を起こそうとしている」といった、GE的にはもっとも危惧すべき行動などであり、議会などへの答申はもっぱら「ソ連への対日参戦の回避」といった形の要請が多い。
そもそもGEにとって帝国海軍や帝国陸軍の動きなどどうでもよかった。
それらは自国側の海軍や空軍から伺えばある程度の戦局が把握できることなので、大した問題ではない。
しかしソ連となると話は別である。
ソ連の動きを知る方法など米国企業にはないのだ。
米国とソ連は1940年代、一見すると共同歩調をとっているかに思えるが、実はソ連の対日参戦を米国とヤルタ会談にて取り決めた後、すぐさまソ連の対日参戦を何としてでも防ごうとする動きがあった。
それは日本の高校の世界史の教科書においては「トルーマンの迷走」などと書かれているが、厳密にはトルーマンや米国政府自体が迷走したわけではなく、強烈なまでの米国議会への圧力があったのである。
この背後にいたのはGEを含め、ソ連に対し強い警戒感を持ち、信じられないほどの損害を1度被った米国企業たちである。
1944年、彼らは東芝などからソ連が明らかに対日侵攻準備を行っていることを知らされると、すぐさま議会を通して強烈に圧力をかけはじめる。
米国企業は信じられないことに、ルーズヴェルトらが強引に結んだソ連の対日参戦の密約であるヤルタ会談を知らない中で、それらを察知したかのように行動しはじめるのだ。
これには米国議会も驚いたが、後の大統領ことトルーマンは1945年になってすぐさま手の平を返す自体となる。
様々な方法を用いてソ連の対日参戦について制限を加えようとするが、スターリンはルーズヴェルトとの密約は有効として断固拒否の姿勢を示した。
この米国政府の一連の行動についてGEは激怒し、1944年~1945年3月までの米国議会への答申回数は300回と尋常ではない回数の答申が行われた。
背後には「日本国を守ろう」といった意思はないが、「東芝」と「自社の技術」そして「対日参戦によって失われる米国の利益」を守ろうという強い意志があった。
なぜならその答申内容に明確に東京芝浦電気などの一連の出資企業の名前が出てくるし、それらの取得株式が有効で、かつ「自分達は彼らに対して未だにライセンス協定を現在進行形で結んでいる」という米国議会が真っ青になるような事実を突きつけているからだ。
これは米国政府にはまことに寝耳に水の情報であった。
当時の政府の認識というのは下記のような状態だったからである。
1.米国企業の資本はすでに日本から撤退済み(そもそも、東芝の幹部でもあったピアーズらは現に米国内に帰国してきている。)
2.日本は米国同様、米国資産を凍結している。
3.強い敵愾心をお互いに抱いていて交流などあるはずがない。
こういった間違った認識を米国政府が抱いた原因の100%は悪名高いコーデル・ハルという、日米交渉を破綻させ、ハルノートを日本国に突きつけた大馬鹿者のホラ吹きによるものであった。
彼による議会への虚偽情報を米国政府は信じ込んでしまったのである。
実際にはこうである。
1.撤退したのは幹部含めた人材であり、機材、資本、株式などは真珠湾の頃から全く状況が変わっていない。
2.日本はGEに支払うべき特許パテント料しか凍結しておらず、日本に残したGEの資産たる存在は1944年に確認できる時点で無事である。
3.GEと東芝が最後に交流を行ったのは1944年の年末で、ヤルタ会談の2ヶ月前、この時点でソ連の動きをすでに完全に察知していた。
少しだけ時間を戻して話をするが、そもそも米国が対日参戦を決めた理由について触れておきたい。
そもそも米国が参戦しなくてはならなくなった理由とは、米国自体が仏国や英国、そして中国などへ多額の融資を行っており、このまま戦況が悪化し、さらに日本がこの状況に加わると、米国政府としては経済的に壊滅的な打撃を受け、破綻しかねないというのが一番の理由であった。
当時米国政府がイギリスやフランスなどに貸し付けた金額はかなりのもので、絶対に負けてもらっては困るのだ。
だからこそ、チャーチルの対日参戦の強要に対し、渋々参戦せざるを得なくなったというのが実情である。
そのため、日本国に対しては戦勝したとしても特に米国にとって大きな利益はないと思っていた米国政府とルーズヴェルトは、実態を知らずにソ連への協力を促し、早期の戦争終結を行おうとした。
これは欧州の戦争がヤルタ会談の時点でほぼ終結しかけていたため、これ以上戦っても米国、日本双方の国民が苦しむだけだという考えがあったのだ。
特に日本は本土決戦をすでに覚悟しており、玉砕覚悟の心構えであったが、それはデタラメに米国の損益を増やすだけで、勝っても利益が少ない以上、早期に畳み掛ける方が得策であると判断するのは間違ったことではない。
そんな状況が覆ったのが1944年、ヤルタ会談後の米国企業による議会への圧力である。
ここで米国政府は初めて事実を突きつけられるのだ。
「仮に日本に勝利したとしても、ソ連が日本全土を制圧した場合、米国はイギリスやフランスがドイツに完全制圧される4倍もの負債を抱える」という、聞いただけで頭の中が真っ白になってしまう漠然とした事実であった。
しかも実際には「早期に日米間の戦争が終結し、日本国内で米国企業の製品群を生産を再開してライセンス料などを受けた方が、イギリスやフランスが敗戦して負債を抱えるより利益になる」という事実であった。
GEの社長、そしてGEの幹部であり、東芝の幹部である者達はコーデル・ハルを利益勘定の1つも出来ない無能であり、全ての元凶とし批判したが、その圧力がどれだけであったかというと、最終的に「健康を理由とした辞任」にまで追い込んでいる。
今日ではwikipediaなどに「健康を理由として」と記載されているが、この時期にコーデル・ハルは別段そこまで体調を崩して折らず、突然の辞任である。
そして後年の自著においても、この辺りに関する年代の記録は残していない。
あまりにも不自然であるが、機密公開がなされた答申内容を見れば一目瞭然であった。
GE含めた米国企業の答申では「まずはこの無能をさっさと下ろせ、話はそれからだ」というような強烈な姿勢でハルを批判しているが、
ハルも自身外交的ミスによってまさかこんな事になろうとは思っていなかったのか、素直に席を退いたのだった。
米国政府は1945年の3月の時点で「米国のみによる単独の早期終戦」を達成しない限り、仮に勝利したとしてもスターリンに日本国全土が飲み込まれた場合はイギリスとフランスが敗戦し、多額の融資を不良債権化される以上の損害を出してしまうことが確定し、慌てふためくことになる。
中学や高校あたりの世界史の教科書では4月頃を境にトルーマンが大統領となり、トルーマンはルーズヴェルトの意思とは異なる動きを示すとあるが、これはGEとトルーマンが直接交渉すらできうる立場にあったことが影響している。
それはなぜか。
トルーマンが政府参謀として選んだ男、チャールズ・エドワード・ウィルソンこそ「ゼネラルエレクトニック」のCEOであったからだ。
ルーズヴェルト死去後、なんとGEは米国大統領トルーマンの参謀の一角としてその席を手に入れたのである。
これは偶然でもなんでもなく、1944年からはじまる議会への圧力や裏工作が実ったためであり、ウィルソンは「敵はソ連」と1945年の時点で公の場で宣言し、強烈なまでの対ソ、対日政策をトルーマンに指示するが、まずはじめに行ったのは「ソ連の対日参戦を制止させる」ことと、「日本国内の状況から、1945年内の米国単独による戦争終結」をトルーマンに押し付ける。
そして参謀と大統領という間柄の中で、記録には断片的にしか残されていない日本に関する内部事情の意見交換も行われている。(答申などの機会が必要なくなったため、機密の正式文書は断片的にしか残されていないが、ウィルソンは1944年年末段階での日本国の状況をトルーマンに説明したのは間違いなく、政府参謀にウィルソンが陣取った後に米国政府は日本への降伏を働きかけ、空軍が空襲とは別にB29でビラ撒きを盛んに行うようになるように、明らかにウィルソンは実態を掌握していたのは間違いない)
ここでふと疑問に思うのが、なぜウィルソンらは1944年までこういった行動を起こさなかったのか?ということである。
そこにはウィルソンらGEによる思惑と、米国政府、並びにルーズヴェルトへの強い不信感が関係していた。
愛国者を自認するウィルソンは日米の状況を東芝の幹部らを通して把握していたが、明らかに日本国の方が敵国の国籍の者に対してむちゃくちゃな政策を行っていなかった。
流石に無差別爆撃を行うようになると日本人による米国人に対する憎悪は大きくなっていったものの、開戦まで日本政府は米国人の資産を取り上げたりすることはなく、開戦後も米国資本の資産を日本企業などから引き上げるといったことはしなかったのだ。
一方で米国は日本関係の資産を凍結するだけでなく、日本人を強制収用するといった行動を国ぐるみで示した。
この一連の行動の背後にはコーデル・ハルとルーズヴェルトといった者達が存在したが、そのような行動を起こす者達に情報公開をしようなどとは思わなかったのだ。
当然、どうなるかわかったものではないからであるが、ロシア革命にてソ連が行った一連の行動をよく理解していたウィルソンは、日本ではなくソ連のみが敵と言い張る男であった。
(彼は終戦直後に実は来日してきていたりするのだが、普通に親日家で、後に日本国で巻き起こる戦争特需において重要な役割を担うが、それは次回以降に後述する)
そしてルーズヴェルトの息が長くないことを知ると、彼が死ぬまで待つこととし、その機会をうかがった。
徹底した情報秘匿は米国政府並びにルーズヴェルトがヤルタ会談を隠していたように、GEといくつかの企業は密かに日本国と交流を続け1944年に至るのである。
しかしそんなGEでも、ソ連の侵攻ともなると黙ってはいられなかったのだった。
ウィルソンはロシア革命にてソ連が何を行ったのかよく熟知しており、強烈な反共主義者でもあった。
この時GEは、ソ連による対日参戦が行われた場合の損失額の計上をし、その上で「仮にソ連がそれらを奪った場合、戦時補償によって米国政府がそれらの補填をしなくてはならない」と付け加え議会に答申を提出している。
単純計算にして現在の貨幣価値にして数百億ドルの損害である。
その額は米国政府ではとても支払いきれるような額ではなく、トルーマンが最終的に核の使用判断の基準の1つになったのではないか?と思われるような内容である。
何しろ前述するように米国単独の勝利でしか米国は敗戦したのと同じ損害を受けるとあっては、トルーマンが焦って当然なのは言うまでもない。
ただしウィルソンは核兵器の使用そのものに対しては非常に批判的で、トルーマンの核兵器使用を最後まで反対した人物であることを付け加えておく。
そもそもGEはマンハッタン計画への直接参加を拒否した企業であり、1946年になってはじめて原子力関係に関わるようになるのである。
しかも1946年に原子力関係に関わったのは原子力の平和的利用と技術開発のために米国企業の手引きによって誕生したアメリカ原子力委員会にGE自体が委員会のメンバーとして参画しての事であり、核兵器に関しては結局現在に至っても直接的な関係性はもっていない。
(1つの例として原子力潜水艦と原子力空母いう存在があるが、アレを核兵器と呼称するのは難しい。あくまで原子力動作式の軍事兵器であり、原爆や水爆には直接関わっていないのは事実である。)
というよりも、政府参謀含めて核兵器の使用は反対の所、トルーマンは反対を押し切って強引に用いたのは米国内では有名で、ブッシュ大統領が親子二代に渡って「この愚行によって米国の正義は崩れた」という強烈な批判が公の場で展開されるほどである。
それほどまでに米国にとって、ソ連の参戦というのはよろしくなかったのだ。
正確に言えば1944年~1945年という太平洋戦争末期になって米国政府はそれを米国企業によって理解させられてしまったのだ。
東芝が帝国陸軍や帝国海軍からの圧力に抵抗する中、GEもまた、米国内で出来る限りの行動を起こしていたという事実は殆ど知られていないが、最終的にCEOが政府参謀という形でトルーマンの背後に陣取るほどであったというのが今回の話である。
次回は、1941~1945年にかけての日本国に関して焦点が当たる予定。




