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朝鮮特需の発生要因。

1950年8月。

米国では朝鮮戦争によって不測した各種物資の調達に対し、自国のみでの供給はもはや限界に達していた。

原因としてはGEの当時のCEOなどが言うとおり、ストライキの多発や各国への復興のめの製品製造などの影響によるものである。


この状況下において当初頼ったのは西ドイツである。

すでに様々な方向性から政策緩和を行っていた西ドイツにおいては、国外追放された熟練工などを呼び戻させ、様々な投資家が資本を投入することで奇跡の復活とも呼ぶべき経済復活を遂げ、笑えないことにイギリスやフランスといった国よりも経済的には裕福な状態となって行く。


これは以前にも述べたように、ドイツを復興させ、米国とパートナーシップを結ぶことで欧州においても大きな影響力を持ちたいアメリカの思想が影響していたが、それらはフランスやイギリスが石油利権などを用いて揺さぶり、妨害するなどの関係があった。


石油利権などにおいては「出光興産」などを利用して戦うぐらいなので、米国政府は欧州にて激しいドイツの奪い合いの最中、少しでもイギリスとフランスの勢力を弱めようとしていた様子が伺えるが、一方でイギリスはこの期に及んで日本で復活した貿易能力について、自由貿易などの条約などの加盟に強硬に反対し、日本の経済復興を妨害しようと企てる。


後にチャーチルが「こういった姿勢がイギリスの衰退を招いた」と晩年反省した行為であるのだが、この時期の米国と英国は表面上手を握っていても、お互いに力をこめて握り合って、ひきつったような笑顔を見せるというような不良同士の付き合いを展開し、日本はそれに巻き込まれていたわけである。


イギリスにとっては自国の復興がイギリス自体の能力不足によって出遅れているにも関わらず、日本やドイツが早期に復興するのは我慢ならなかったのだが、


これはトルーマンの言葉を借りるなら「元より能力があったからこそ資本を投入し、国民が一丸となって必死となったから早期に復興したのであって、


ある程度の資本を注入されながら紅茶を飲んで寛ぐばかりで我々が戦時中に貸し付けた借金の返済すらままならないような状態を続けるような国が内政干渉などすべきではない」というのはまさに正論であった。

(ここでいう内政干渉というのは、フランスと英国に見切りをつけ、早期に日本とドイツを復興させてソ連に対抗したいトルーマンが、米英とソ連でどうにかなるなどと、頭が禿げているだけでなく頭の中は紅茶か何かで満たされているチャーチルに対して自国の行動を妨害するなという意味合いで話したことである)


イギリスが国連において急速に発言力を失っていく要因はまさにこれであって、元々非常に仲が悪かったフランスは早期に見切りをつけ、日本国との関係を模索しはじめる要因となる。

ただし行動を開始しはじめるまでには10年以上の月日が必要であり、この時点でのフランスは「日本を利用して米英仏という立場にもっていけないか?」などと考えていた。


しかし、米国……というよりもACJのメンバーは英、仏の両国を邪魔者とみなす。

ACJに加担して行動するトルーマンの政策と外交を見ていればとてもわかりやすいのだが、この時期に米国が行ったのは、講和条約関係でフランスを除外し、戦時補償対象からもフランスを除外させることと、英国の補償額を大幅に引き下げるという、日本人外交官が各国政府の要人から非難ばかりされて苦しむようなことを行っていた。


サンフランシスコ講和条約においては日本の場合、大半の領土を失った反面、極めて補償内容が少なく見積もられたわけだが、1950年時点においてすでに草案は出来上がっていて、それらの内容はACJやGEが望んだ形のものとなっており、その草案が実際にほぼそのままの形で通ることになるが、1950年時点ではそれを押し通そうとしていたトルーマンの姿が各種資料からは如実に浮かび上がってくる。


この時の政府参謀メンバーはGE以外に新たにACJ内部にいるメンバーや米国企業連合体の関係者らが多数を占めており、トルーマン自体がもはやACJの傀儡にも思えてくるものの、トルーマンとACJは必ずしも共同歩調をとっていなかった。


その証明となるのが朝鮮特需に当初日本は殆ど関係性をもてなかったことで、潤っていたのは海運業と繊維関係などの軽工業のみで、西ドイツのようなことにはならなかった。


トルーマンが日本においてそういう指令を出させなかった背景には確執という状況どころか対立という状況にも陥っていたマッカーサーら米国海軍が独断で再軍備を密かに行う状況の中、日本で軍需産業を行った場合の危険性と国際社会での立ち回りの影響を考慮してのことである。


講和条約を当初考えられたものよりも大幅に緩く緩和させる上では、条約調印の前段階で日本が1941年より強力な国家として復活させるのはあまりにも条約関係の国々には刺激が強すぎた。


元々米国企業連合体は民生品製造を主とする者達であり、軍需産業関係はディロン・リードなどの一部のみ。


現状において米国資本企業は日本全体の復興作業で十分な利益を出している以上、朝鮮戦争において軍事関係の産業を日本に持ち込むのは戦争からの開放を目的とした占領政策とも相反するので、とりあえず現状維持でいいだろうとトルーマンは考えたのだった。


そんなことを言っていられなくなったのは1950年11月を過ぎた頃である。

1945年の終戦から勃発したインドネシアの独立運動は1949年に終戦し、インドネシアは独立共和国としてその地位を磐石なものとした。


その独立運動の動きが1950年代中頃を過ぎると英国や仏国の植民地で盛んな動きをみせ、朝鮮戦争において英国は戦力をそこまで大量に注ぐことが出来なくなった。


元々インドネシアの独立自体が日本の残存し敗戦した軍によって起こされたものであったが、欧州の発言力低下は望むべくものである米国はこの流れを黙認し、そして米国の予想通りこれが英国や仏国のもつ領土にも広がって英国や仏国が最終的に講和条約において米国の草案を飲まざるを得なくなるほど国際社会においての発言力が低下することとなるのだが、この影響によって米国は戦線の維持のためにさらに戦力を投入せざるを得なくなり、西ドイツだけでは供給を満たせなくなる。


トルーマンはこの状況になってようやく日本における軍需生産関係を認めさせ、GHQを通して日本企業に対して様々な物資を作るよう促すわけであるが、トルーマンとしては英国や仏国が「仕方ないよね」と認めざるを得ない状況でなければ危険と判断したのは政治的戦略として至極当然のものでであり、戦後の日本が立ち上がれた背景には彼の政治的手腕に寄る部分は大きいといわざるを得ない。


GEら米国企業連合体はトルーマンに何度も答申をして日本で軍需産業を行うための指令を出せと要求したが、トルーマンはそれを上記理由によって拒否し、今は時期が悪いと待たせた。


多少の機械的損失にはなったものの、トルーマンの戦略眼によって英国や仏国が批判しにくい状況を作ったことで、全力を注ぐことが出来るようになったわけである。


これまでの話もまとめて話すと、朝鮮特需というものがどうして生まれたかというと、


1、最も重要な国内の輸送インフラや電気水道などのインフラを英国や仏国と違い、米国が殆ど破壊できなかった……というよりも日本のインフラ回復能力とインフラの防御能力が高すぎた


とくに1に関しては、英国やフランスが復興に大幅な時間がかかったにも関わらず、日本は1953年頃にはこの手のインフラが完全復活しているので、米国が冷や汗を流すぐらいだというのがよくわかる。


2.日本の重工業は戦前から戦中において成長しており、1945年時点で1941年の10倍近くに達していた。


これはよく経済史などで停滞したと語られるが、停滞したのは1945年からの解体処理などを含めた一連の強行的な占領政策によるものであって、1945年の間まで、重工業系は終戦間近まで成長し続け、終戦の辺りでは3割程度の生産能力の低下しか落ちておらず、戦前から比較すると凄まじい能力を誇っている。


3.日本の産業立国として重要な「貿易」は1949年~1950年の半年程度で一気に復活した。


これはスターリンすら驚くほどであったが、朝鮮特需において特に利益をあげたのはこういった「海運」や「陸運」を行っていた企業であり、こういったものが一気に復活したことはその後の輸出大国を形成するために重要な要素となった。


4.日本においては米国企業連合体の尽力により、技術者の国外追放や工場の破壊は起こらず、工業機械の没収は限定的なものに留まった。


  日本において戦後禁止されたのは航空機の開発など、本当に限定的なものであって、確かに航空機産業などにおいては現在も後手に回る状況だが、1950年の時点で世界最大級のタンカーを建造するなど、造船業などが制限されなかったのは幸運であった。

 西ドイツは造船業なども制限されたが、日本国は航空機などの極一部である。

 没収されたのはイギリスやフランスの工業機械であったが、その分を米国の工業機械とドイツの工業機械によって補填する機会を得た。


5.不良債権などにより首が回らず経営活動が停滞していた企業は1949年の復興を目的とした大規模投資や大規模融資によって息を吹き返し、1950年の朝鮮特需に合わせた活動が可能となっていた。


 実際には戦争特需は「さほど儲からなかった」「国民は潤わなかった」といわれているが、これはこの時の借金返済などの影響が強かったためであり、赤字の自転車操業を脱却したことは後に神武景気に繋がることとなる。(大規模な投資を自社で行えるようになり、それが経済を正の方向へ循環させることとなった)


6.インドネシア独立を補助したら、世界各国で独立運動が起き、それが結果的に英国や仏国の弱体化につながり、トルーマンが日本に対して生産を許可するお触れを出す機会を与えた。


これらによって戦争特需は成立し、日本はその後の戦後復興へと大きな歩みを見せるのである。


さて、この朝鮮特需にてGEや米国企業連合体は何をしていたかというと、東京芝浦電気など、自社が資本を投入している会社を通して生産をする一方で、特許権をより開放して大々的に生産活動を行った。


特に今では当たり前に思える下請け契約などを日本企業を通して積極的に行ったのだが、

これによって日本では町工場から後に巨大企業へと成長する所が現れる。


例えばソニーなどはその最たる例であり、当初こういった企業の殆どは米国資本の息がかかった会社から受注を受けての生産活動を行っていた。


ソニーがトランジスタラジオを開発できた背景には、そういった特許開放による下請け時代、いや、下積み時代ともいうべき頃にトランジスタなどに触れる機会があったためで、戦後に誕生し、後の日本を支える企業というのはほぼ全て1949年~1950年頃において地盤を形成し、1960年ごろを境に大きく成長するという図式を描いている。


いわばこの地盤を形成する時期において新たなパートナーシップ企業を獲得することも視野にいれて日本国内にて最新鋭の米国製の技術を開放したのは日本にとって大きな足がかりとなるものだった。


ただ、実際にはこれは後に米国企業からの後の評価では失敗と捉えられている。

なぜなら、本来、特許開放の正しいやり方というのは日清のように市場形成のために行うのが基本だが、この時行ったのは単純にパテント料を省みない行為であり、高度経済成長において逆に日本からしっぺ返しを食らう原因となってしまったからだ。


特需による利益によってあまりにもサービスしすぎたというのが米国企業の本音であるが、日本にとってはドイツすら追い抜かんとする急速な経済発展の燃料補給が行われたのである。


GEはこの時点では家電製品を諦めていなかったが、20年後を境に発電など、インフラ関係にシフトしていくことになるのだが、この原因はこの時に自らが撒いた種によるものであることをウィルソンなどは後に回想していたりする。


ただし、だからといって東芝や東芝関連会社との関係が悪くなったわけではなく、現在においてもパートナーシップ協定は続いている。

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