そしてGHQは傀儡と成り果てた。
時は少し戻り、話は東京芝浦電気に戻る。
1948年2月8日、
この時点のGHQにはまだ余裕があり、GEのような米国資本企業を叩き潰すため、分割処理を提示する。
東芝などに対し、5社分割の非常に厳しい解体案を示した。
GEにとってはこれが実行されると三井グループの再編に手間取ったように数十年レベルで活動に支障が出るため、何としてでもこの案が通される前にGHQの暴走を食い止めねばならなかった。
この1948年2月~11月というのはまさに時代が動いたといっていいほどの時期であるが、GHQはこの数ヶ月前にGEがジョーカーを切っていて、そのジョーカーが1月上旬から日本に来日していることを気づかなかった。
経済関係の研究者の言葉を借りるなら、もしGHQがもう少しばかり慎重で、もう少しばかり決断と仕事が速ければGEの負けであったが、ディロン・リードが仲間となったこと、そもそもディロン・リードが本気になるだけの何かが日本人にあったことなど知る由もなかった。
再び時は戻り1949年。
使節団の来日により、占領政策が完全に覆ったGHQは、以後ACJの傀儡と成り果てる。
マッカーサーはこの状況になってようやくディロン・リードやブラウンハリマンといった存在を認知し、ある行動を密かに裏で起こすのだが、それは後述する。
政策が覆った状況でマッカーサーが最も苛立ちを覚えたのは、いつの間にかACJにトルーマンまで加担していた事だった。
トルーマンがACJに加担した理由は単純である。
「二期目をやりたい」
これだけだったりする。
すでに世論はACJ側に大きく傾いていたが、この世論が求めそうな内容を「新たなフェア・ディール政策」としてマニュフェストの形で発表し、最終的にトルーマンは「米国でも類を見ない番狂わせ」と呼ばれた1948年11月の選挙にて僅差で勝利を収める。
実はこの「新たなフェア・ディール政策」には対日政策緩和のための内容が記されており、トルーマンが再び勝利したことで、ACJがGHQを飲み込むのは確定的となったのだった。
ただしトルーマンが当選したのは11月のため、使節団が日本へ向かうのは1949年のこととなる。
1949年2月。
待望の使節団の来日によって日本の占領政策の内容がACJの思うがままになった状況で、東芝に対しては新たな案が提出された。
それは「一部の工場を売却せよ」という命令以外は分割解体案などを含めた内容が全て消去されたものであった。
当然これはGEが「東京芝浦電気事業再編計画」としていたものをGHQの名の下に命令という形で出させたものなのだが、「一部の工場を売却せよ」とは何なのかというと、戦時中に日本国政府や帝国陸軍、帝国海軍らによって強引に土地などを購入されて作らされた疎開工場などであった。
これらは工場としての規模が小さい上に工場内にある機器も大したものではなく、そもそも軍需生産専門の工場なので利益に寄与しないため、東芝の事業再編にあたり足枷になっていたものである。
GEは1949年、使節団やACJの者達と共に本社の経営者達が来日すると、大規模な投資を再開し、日本の復興を目的とした資本を投入しはじめるようになる。(復興支援の理由は東京芝浦電気とGEの製品が家庭用の日曜品が主であるという側面が大きい)
東京芝浦電気こと東芝の再建計画がほぼ予定通りに実行できるのが確定的となることを知ると、GEは次の行動へと移った。
それは「貿易」である。
実はGEは東京芝浦電気などで製造された自社の機器のための部品調達には、日本の商船を用いていたのだった。
これは日本の精密機器を運ぶのは同じ日本人の方が扱い方をわかっているからであったが、米国の商船では部品を盗んで技術盗用などがされたりすることがあるため、信用ならなかったのである。
一度それらを製品として成立させてしまえば解体や破壊行為などは難しいため、こういったことへの対応としては「製品を組み立てて完成させる」という方法が有効だが、日本で組み立てて運ぶわけにもいかないのでこういった重要な部品は「日本郵船」や「商船三井」などの貿易企業などに任せていた。
しかしこれらの企業は帝国海軍に商船として用いていた貨物船などを輸送船として徴収された挙句、それらの殆どを太平洋戦争にて海の底へと沈められ、金もなければ船もないといったような状態となっている。
そこでGEはこういった貿易企業に対し、ACJなどと協力して支援に乗り出したのだった。
実は背景にトルーマンが「フェア・ディール政策」の21か条の1つとして掲げている「20条、終戦後の米国が有する多数の余剰船舶の処分に関する先行き不安を排除するための、船舶の売却促進」というものを利用して日本の海運を早期に復活させられる上に、米国にとっても不良債権処分となるので有効であると企業連合体が考えていたことも影響しているのだが、GEにとってはそれ以上に信頼のおける運送会社と契約を結び、事業再編を加速させたかったのだ。
ちなみに、そんな状況の中で後にイギリスに喧嘩を売る男がACJの前に現れる。
1949年、使節団とACJは日本国内で事業を行う経営者達を呼び寄せては「困ったことはないか? 何かやりたいことはないか?」と支援を申し出る姿勢で意見交換を交わしていたが、
その中に1000人の社員を何とかしようと躍起になっている男がいた。
出光興産の「出光佐三」である。
彼は「自前で石油を調達するためのタンカーが欲しい」といい、米国企業のタンカーをチャーターしようとしたのだった。
後に米ACJはGHQを通して「イギリスに喧嘩を売ろうと」する男を保護しつつも支援して中東におけるイギリスの石油独占を叩き潰そうとするのだが、実はACJのメンバーには石油関係の者達はおらず、米国においても独占体制を敷きつつ、日本でも資本を投入して日本の石油関係会社を乗っ取る形でボッタクリ価格で質の悪い石油を卸して日本の経済復興を妨げる米国の石油企業に対しては疎く思っていた。
そんな中で見出したのが出光佐三だったのだが、実はこの時、チャーターだけではなく後に「日章丸事件」を起こす「日章丸二世」の建造費用についても支援していたりする。
ACJこと米国企業連合体が恐ろしいのは、日本で稼ぐと決めたらその妨げになる組織については例え米国海軍だろうが米国政府だろうが同じ米国の石油企業ですら叩き潰すという姿勢であり、そのためには全く手段を選ばないという所が本当に恐ろしいが、1949年を境にして日本は大きく戦後復興に向けて歩みだすわけだ。
間近に日本の経済状況を改善させる争いが始まる前にそういう状況へと至ったのは日本にとって奇跡とも呼ぶべきものであった。
一方その頃、アメリカと日本の海軍関係の事情に詳しいだけの者なら首を傾げたくなる行動をマッカーサーはおこしている。
元帝国海軍との意見交換である。
話の内容は「帝国海軍を復活させたい」と密かに行動を起こしていたグループとの意見交換であったが、どう考えてもそんな話に応じそうにないマッカーサーがこのような者と意見交換を交わしたことには理由があった。
ディロン・リードが本格的に日本の再軍備を行うよう大規模にロビー活動をしはじめていたが、それは「旧帝国陸軍」を母体とした組織であるという噂を耳にしており、これについては自身の進退がどうなったとしても防ぎたいという彼の考えがあったからである。
そこには、マッカーサーなりの日本に対する思いがあった。
1906年。
日露戦争にて日本が実質的に勝利を収めた後、まだ中尉の立場であった彼は陸軍将校の父親と共に来日し、東郷や大山といった名将の中の名将と面談する機会を得た。
この時からマッカーサーは大の親日家となっていくのだが、一見するとこれはGHQによる一連の政策で彼が行おうとしたことと矛盾するように思える。
しかし実の所、彼が目指した日本の姿というのは江戸時代の日本であり、伝統文化などを重んじる民族の頃まで戻し、それを米国が保護するというのが理想系であると考えていたのだった。
だが当の昭和の日本人達や米国人らによって否定され、すでにGHQで彼が行える行動は殆どない。
しかし、どうしても許したくなかったことがあった。
戦前、最後まで対米参戦を非難し続け、最後まで抵抗しながらも結局は戦うことになった帝国海軍と、ルーズヴェルトや資本家といった者達に振り回される米国海軍にシンパシーを感じる一方で、そもそも日本と戦うことになった原因の8割以上が帝国陸軍にあることを知っていた彼は、日本の再軍備を「旧帝国陸軍」を母体に行うなど言語道断である。
かつては名将と呼ばれた者も多かった陸軍はいつの間にか帝国主義という考えに染まり、日本政府を牛耳る存在となってしまった。
そんな組織に主導権は渡させない。
それだけは実行に移したかったので、1949年の時点で行動を開始し、その2年後の1951年頃ともなると米国海軍とGHQ総出で帝国海軍の再編計画を推進することとなる。
実はこの噂話がディロン・リードなどの死の商人らによる炊きつけであり、ディロン・リード自体はすんなりと再軍備させるためにあえてマッカーサーや米国海軍を掌の上で転がしたことなど彼は知らなかった。
マッカーサーは最後まで気づいていない様子であったが、そもそもディロン・リードのCEOは元海軍将校であり、海軍への影響力はないが実はダグラス・ディロンの海軍時代の直属の上司は「アーレイ・バーク」である。
実質的に帝国海軍からスライドしただけのた海上自衛隊を創設するのに尽力した男の元直属の部下にダグラス・ディロンがいたことにマッカーサーは気づかなかったのだろうか。
そのあたりについての手記は全く残されていないのが不思議である。
各組織が様々な動きを見せる1949年。
この次の年からこれらの動きは加速していく。
もしかしたら2017年現在、明日にも再開されるかもしれない休戦中のアジアにおける戦争の話である。




