67『孤独』
「……?」
黒館の地下闘技場。荒れ果てたその場所で妖紀は首を傾げていた。
その傍らには淀んだ色合いの怪物、ディアボロスが佇んでいる。
右を見ても、左を見ても、そこには瓦礫が散らばっている。人影は見えない。咲き誇っていた大薔薇も姿を消している……先ほどまでここに居たクラウスとファルシオも、居なくなっていた。
地下闘技場を、不気味な静寂が支配していた。
ぽつんと佇む妖紀の心には、もやもやとしたやりきれない気持ちが溢れている。
その思いはやがて、寂寥の想いへと変わっていった。
「消えちゃった……」
『……』
つまらなそうに、なおかつ寂しげに呟いた妖紀は瓦礫を軽く蹴飛ばす。
ゴン、という鈍い音と共に妖紀の足に痛みが走る。
「……誰も遊んでくれない。つまんない、つまんない……」
譫言のように言葉を紡ぐ妖紀。その瞳にはいつしか涙が滲んでいた。
傍に佇むディアボロスはそっと触手を伸ばし、妖紀の頭を撫でる様な仕草をしてみせた。
「慰めてくれるの……?」
『オォ……ン』
「……そう、だよね。私は一人じゃないもん。えへへ……ありがとうでぃあぼろ~」
妖紀は自らの何倍も大きな怪物の腕の一本を抱きしめ、愛おしそうに頬を寄せる。
ディアボロスは妖紀をそのまま抱きかかえて大きな翼を広げ、天井に向けて触手を放った。
~
黒館の書斎。ファルシオとクラウス、そしてグレーの髪と紅い瞳を持つ男女が向かい合った状態で悠然と紅茶を飲んでいた。
大きな椅子に並んで腰掛ける二人の人物は、大きな翼をはためかせつつ楽しげに笑う。
「ふふ……私らを急に呼び出すなんて、柊ちゃんは相変わらずだね。
裏切るのが得意だなんて、うちの橘さんとは似ても似つかないなぁ……」
「間に合ったから良かったものの……あと数分遅れたら死んでましたよ」
「ウロボロス。君のおかげで助かったよ、グレンベルクにもよろしく伝えておいてくれるか?」
「礼には及びません。俺は当然のことをしたまでです」
「……っていうか私の出番は?」
~
ベキャッ
異質な音と共に客室の床から鋭い触手が突き出す。
触手はぐるりと辺りを見渡すようにうねり、誰も居ないことを確認すると、周りの床をザクザクと切り刻み始めた。
そして無理やり広げた穴から一本、また一本と触手が突き出し、共に床を切り刻む。
いつしか客室の床には地下深くまで続く大穴が出来上がっていた。
仕事を終えた触手は束となり、大蛇の如く穴の奥へと戻ってゆく……
……その深淵に通じる穴の奥には、赤い瞳が爛々と輝いていた。
「よいしょ……っと」
穴からひょっこりと顔を出した妖紀はくすくすと笑みを零し、
目深に被った漆黒のシルクハットをぐいっと押し上げ、金色の瞳で辺りを見つめた。
豪奢なカーテン、埃一つないカーペット。
そして飲みかけの紅茶と大きなベッドに積まれた花柄の毛布。
「……あれ?」
妖紀は少し冷めた紅茶をまじまじと見つめ、花柄の毛布に視線を向ける。
「……」
しばらくじっと毛布を見つめていた妖紀は、ふっと視線を逸らし扉の方へ歩いてゆく。
その様子を穴から伺っていたディアボロスも穴から這い出し、妖紀の傍に佇む。
しかし、ディアボロスの赤い眼はギロリと花柄の毛布を睨みつけていた。その様子は妖紀が指示を下せば直ぐにでも引き裂いてやると言わんばかりの気迫に溢れている。
「ダメだよ。でぃあぼろ」
『……』
扉を見つめたまま、呟く妖紀。
普段のどこか楽しげな声とは違う……とても冷めた呟きだった。
その一言でディアボロスは毛布から視線を逸らし、すっと赤い眼を閉じた。
「何だか気が抜けちゃったなぁ……帰ろう。でぃあぼろ」
『……』
妖紀の呟きに反応したディアボロスは妖紀の体をそっと包み込み、大きな翼を広げ、淀んだ波動と共に姿を消した。二人が消えた客室を、不思議な静寂が支配する。
「……行った。かな?」
「……多分」
『?』
花柄の毛布は音もなく花飾りに姿を変え、ベッドの上には桜と蓮華。そしてプラムが居た。
妖紀とディアボロスが辿り着いた部屋は二人が待機させられていた部屋だったのである。
「うーん……凄く強い気配だったからとっさに隠れたけど、無事でよかったよ」
「あの子は一体……」
「とにかく、先生の所に行こう」
「は、はい」
蓮華はアルメリアを肩に乗せ、部屋を出る。そしてプラムを抱いた桜がその後を追う。
煌びやかな廊下の窓の外。黒館の屋根の上で、妖紀は人知れずクスクスと笑みを零していた




