55『子犬』
『昔はもっと鋭い刃のような女であったというのに……随分と幼くなりおって』
「誰だ。どこに居る」
俺の脳内に直接語りかけてくるような……嫌な感じだ
こいつは……声の調子からして女。子供では無いな
俺は茶室を見渡すが、俺とアリスの他には当然誰も居ない。
『What is it?』(何?)
「お前は大人しくしてろ」
ポケットからひょっこり顔を覗かせたアリスを押し戻し、俺は茶室から出る。
茶室の外には長い廊下と、それに面した広い庭。
その砂利が敷き詰められた庭は綺麗な花が咲き乱れ、輝かんばかりに美しかった
母さんが大事に育てていた桜の木は、夏になるというのに見事な花を咲かせている。
……綺麗な庭だ。が、今は気にしている暇はない
『くっくっく。見事であろう? 我の力によるものであるぞ』
「お前は誰だ。何処から話しかけてる」
『まだわからんのか、圭一よ。我はずっとお主を見守ってきたというのに』
見守ってきた? 俺が覚えてないだけだっていうのか
俺がここに居たころは、こんな声の魔物は居なかったはずだ。
前と変わっていないものと言えば、母さんとこの屋敷。そして屋根を貫く巨木くらいだ
そこらをうろつく魔物も見覚えが無い奴ばかり……さっきの娘もそうだった。
『ほれ。我の温もりをくれてやろう』
「!」
すっ、と背後に気配を感じ、そのまま俺は背後から抱きしめられた。
背中に硬い感触と僅かな温もりを感じる……けど、きつくは無い。
……少し力を込めれば解放されそうだ。
しかし……俺の胸と腹辺りに回された腕は、明らかに『人』の物では無い。
蔓が絡みついた木のような腕と、
虫の甲殻と鋭い爪が生えた腕。
……どちらも腕と呼ぶには禍々しく、それでも確かに手の形を成していた。
「…うわぁぁああっ!!」
『んん? そんなに驚くようなことではあるまい。大きな声を出すでないわ』
木の腕が俺の首に絡みつき、ぐっと絞まる。
腕ではない『何か』に拘束され、いつの間にか俺は身動きが取れなくなっていた。
これはまずい……
『さて……これからどうしてやろうか。振り向かせるのは少々気が引けるな』
俺の耳元で囁く声はどこか笑い声交じりだ。
「……静かにしてる。から離してくれ」
『それは聞けんなぁ。我の姿は人に見せるようなものでは無いのだ。
腕を見ただけで驚いたお主にはまだ早いわ……くっくっく』
「どういうことだよ。ってか誰だお前は」
『まぁ気にするでないわ……もうしばらく動かないでくれ』
「……」
~
「ふふ……」
「……♪」
屋敷の廊下……薄紫の着物を着た女性、紫苑と白い獣人、ユイが並んで歩いていた
ユイは貰った骨ガムを咥えて満足げだ。
屋敷に蔓延る魔物を軽く蹴飛ばしつつ、紫苑は優しく微笑みかける
「……美味しい?」
「はいっ! とってもおいしいです」
「そう……喜んでもらえてよかったわ」
素直に尻尾を振りつつ答えるユイは最早ただの子犬と化していた。
紫苑はそんなユイを撫でつつ廊下を進み、茶室の襖に手を掛ける
『くっくっく……こうしてほしいのか』
「おい! よせ……やめろっての」
「……何してんだこらぁぁぁぁああああ!!」
幼い怒声と共に、襖が消し飛ぶ。
茶室の中には圭一の目を覆い、押し倒すような形で馬乗りになっている女がいた
『おっと、邪魔が入ったか』
「この声……ユイ!?」
「おのれ……私の所有物になんてことを……!」
「まぁまぁ、落ち着きなさいなユイちゃん」
ユイが取り落とした骨ガムを舐めつつ、紫苑が微笑む。
「それより、覚えてないの? あの女性、貴女の同族よ」
「……えっ」
~流星学園・温室~
「結局、勝てなかったねぇ」
「校長が相手なら仕方ないよ」
「それ以前にやっぱ獣人科はハイスペックだし……」
「桜ちゃん頑張ってくれたのに……」
「それより、夏休みどっか行こうぜ」
「賛成~」
「桜ちゃん……一緒に夏祭りいk」
「桜ちゃん! 私たちと海行こうよ。水着は選んであげるから♪」
「そ、そんな……」
相も変わらず温室は賑やかであった。
実をいうと夏休みなので集まって話す必要は無いのだが……
植物が生い茂る温室の真ん中、少し開けた場所に皆で集まり
和気藹々と談笑していた。植物科は仲がいいのが自慢である。
植物系の使い魔たちも、近い存在のためか仲が良い。
そんな植物科をまとめる代表・蓮華と頂点に立つ担任教師・クラウスは
温室の奥、大薔薇の傍で静かに話し合っていた。
「本当に、そんなことが……?」
「あぁ……この刻印。間違いない……黒館だ」
クラウスの手には、鎖の破片と折れた銀のナイフが握られている。




