20『襲来と勘違い』
「……」
大きな壁画の前に、ユイは立っていた。
周りには誰もおらず、一つだけ取り付けられた証明は煌々と壁画を照らしている。
図書室には窓がないらしく、外の明かりを確認することはできない。
そのため壁画前の空間はやけに薄暗く……不気味な静寂が支配していた。
「―――見つけた」
不意に、少女の声が聞こえた。
ユイは直感的にどこからか取り出した小太刀を構え、暗闇をじっと見つめる。
「……何者ですか? 私に魔物の知り合いなど居なかったはずですが」
「アンタが知らなくても私は知ってるのよっ!」
少女の声と共に、真っ黒な『何か』がユイの頬を掠める。
「……っ」
「覚悟しなさい『神威』! アンタが復活したりするのがいけないんだからぁっ!」
暗闇から目にも止まらぬ勢いで黒い『何か』が次々と飛びだし、
鋭く、禍々しくとがった先端をユイに向ける。
暗闇が具現化したような『それ』は不気味な艶を放ち、ギャリギャリと音を立てつつ蠢いていた。
「……どなたか存じませんが、私に恨みを抱いているというのはよくわかりました」
ユイは冷たい吐息を漏らし、パキパキと凍りつく小太刀を構えなおす。
……ユイが睨む先、暗闇に輝く水色の瞳は怪しい光を宿していた。
「――私がこの手で、闇に沈めてあげるわ」
~
「……剣、どこ……?」
魔族の姫君、ノワールは路頭に迷っていた。
学園内は魔物の気配にまみれているため、目標の捜索は困難である。
かといって周りの街に出てみれば剣などいくらでも見つかるのだ。
しかしノワールに課された指令は剣であり魔物でもあるという異例の相手。
……やみくもに探したところで見つかるはずもない。
「どうしよう、お父様に叱られちゃう……」
ノワールは名のある魔族の姫君であるにも拘らず、生真面目な性格だ。
自らが引き受けたからには何があっても遂行せねばと考えている。
さらにノワールはあまり派手な格好を好まないため、
黒いワンピースという良くも悪くも目立たない服を着ている。
そのため誰にも絡まれることなく、しばらくの間街を歩いていたのだが……
すでに時刻は昼過ぎである。ノワールのスレンダーな体は空腹と疲れを訴えていた。
「お腹すいたし、剣は無いし……もう疲れちゃった……」
ノワールはとぼとぼと街を歩く。
背に生える一対の小さな翼は、はためくことなく項垂れている。
そして、ノワールはふらりと入り込んだ路地裏を曲がった。
……すると
ゴン、という鈍い音と共にノワールの額に痛みが走る。
突然の衝撃に驚いたノワールはそのまま地面に座り込んでしまった。
「痛い……」
「っと、大丈夫かい?」
ノワールが額を摩りながら潤んだ目を開くと、白い西洋の鎧を身にまとう男性が目の前に居た。
男性は片手に食料の入った袋を抱え、ノワールに空いている手を差し伸べている。
「や、大丈夫、です……ごめんなさい……」
ノワールは男性の手を取らず、自力でふらりと立ち上がる。
しかし、その視線は男性が抱えている食料にくぎ付けである。
「本当に大丈夫かい? ごめんよ」
「……美味しそう……」
肉や野菜が詰め込まれた袋をじっと見つめ、ノワールがぽつりと呟く。
「なんだ、お腹が空いているのかい?」
男性は笑い声交じりに言った。
ノワールはハッと口を押さえ、少し顔を赤らめつつもこっくりと頷いた
「……それより君は、まさかノワーリスじゃないか?」
「いかにも……けど、どちら様ですか?」
「やっぱり! 僕のこと覚えてないかい? 昔よく抱っこしてあげたものだが……]
「……?」
「そうか、覚えてないか……数百年も昔のことだから仕方ないかもしれないが」
「数百年……貴方は、魔物なんですか……?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……」
男性は言いにくそうに頭を掻く。
ノワールは男性の顔を含め素肌が全く露出されて居ない様子を見て、
暑くないのかなと首をかしげていたが……その視線はやはり食材に向けられている。
「そうだ、良かったらこれからうちに来ないか?」
その瞬間、ノワールの表情が一変すると共に、防衛本能が働いた。
危険を察したノワールは愛用の細筆と紙を取り出し、男性から少し距離を取る。
「…………誘拐」
「丁度うちにも君と同じくらいの娘がいるんだ……って今誘拐とか言わなかったか?」
「……拉致、監禁……」
「いや違う、そんなつもりじゃ……」
「……強姦……洗脳……」
「待て待て待て! だんだんひどくなってないか!?」
「~……っ!」
ノワールは多少慌てながらも筆を走らせ、正方形の紙に文字を描く。
――――『槌』
正方形の紙は音もなく深紅の巨槌に形を変える。
重量感のある轟音が路地裏に響き、地面に小さなクレーターが出来上がった。
ノワールはよろけつつも両手で槌を構え、戦闘態勢を取る。
「参ったなぁ……勘弁してくれよ……」
男性は困ったように言うが、持っている食料を下ろそうとしない
「仕方ないな……それで殴ったらどうなるか、試してみるかい?」
「……!?」
一瞬困惑したノワールだが、何か狙いがあるならと巨槌を振りかざし
……そのまま豪快に振り下ろした。
~
「おや藤野君、スミレさんと杉原君はどちらへ?」
「Zzz……」
「……静華さん、何か知りませんか?」
『んー……? わかんなぁい』
「そうですか……せっかく私からの入学祝いを持ってきましたのに」
特殊魔物科の教室では、机に突っ伏して居眠りを続ける藤野先輩と、
……綺麗なラッピングのされた箱を大事そうに両手で抱える暁先生がいた。
暁先生からの『入学祝い』を圭一が受け取るのは、もう少し後の話。
……かもしれない




