96『丘と古城と境界と』
~次元の境界・クレールの丘~
荒廃した丘の上。
呆然と立ち尽くす少女は潤んだ瞳でじっと虚空を睨んでいた。
丘はただ、静かである。
ほんの数分前まで響いていた爆音も咆哮も、風の音すら聞こえない。
不気味なほどの静寂。
役目を終えた鉄屑が、大地を埋め尽くしていた
『ごちそうさま。私と一緒に幽霊街行こうか』
「……ッ」
音も無く背後に現れた邪龍、ティアマットに持っていたナイフを向ける少女。
しかしティアマットはその切っ先を指で軽々とへし折り、ぱくんと口に含んで微笑んだ
『ふふ、これも結構いい素材使ってるね』
「ぐ……」
少女は後ろに飛び退いて傍に落ちていた鉄屑を掴み、投げつける。
それに対しティアマットはひょいひょいと回避し、嗤いながらじりじりと距離を詰めてゆく
『大丈夫だよ、ほら、こっちおいで』
「嫌……っ」
ティアマットは怯える猫のような少女を強引に抱き上げ、にへらと笑った
『つかまえた。さて、一緒に幽霊街行こっか』
~幽霊街~
玲紀、龍皇、ファルシオの三人と橙のメイドは共に大通りを進んでいた。
ただでさえ静かな幽霊街はいつにもまして静まり返っている。
「やれやれ……君のせいだぞグレンベルク」
「この街のやつらは惰弱すぎるんだ。不死身のくせに恐怖を感じる時点でおかしいだろ」
「貴方もしばらくこの街に住めば、少しは穏やかになれるかもしれないわね」
そんなことを話しながら、やがて一行は街の外れでその歩みを止めた。
見上げるほどの大きな門の向こうには、歪んだ空と果てしない荒野が広がっている。
「僕は出ることが出来ないけれど、君はまだ戻れる。向こうに大切なものを忘れてきてしまったのだろう?」
ファルシオはそのヘルムの中に朱色の瞳を光らせ、玲紀を見つめた。
傍に佇む龍皇は逸れてしまった部下を遠目に探すような仕草をしている
「ここからずっとまっすぐ行けば次元の境界に行けるはずだ。あとは分かるね?」
「全く……我が妹ながら面倒なことしてくれたものね」
「ふん、玲紀を転生させるためにわざわざここまで来たってのか? ご苦労なこった」
「身体ごとこっちに飛ばされたのは不幸中の幸いだったね」
大門が音も無く開き、歪んだ空が玲紀を迎え入れる。
空の彼方に滑空する邪龍の鱗が白く光り、龍皇は軽くため息をついた
「運よく流れ宿に着けば送り返してもらえるだろう。健闘を祈るよ」
「付き合わせてすまなかったわね」
静かな街の舗装された道から一歩踏み出し、荒野に立つ玲紀。
その表情はどこか穏やかであった
「――行ってくるわ」
~魔界・魔王城~
魔界の中心部に位置する魔王城。
そこには全ての魔族(一部除く)を統治する絶対的君主が居る。
しかし王であるはずの魔王は基本的に王城に引きこもり、雑事は全て部下がこなしている。
近辺に住まう魔族ですら、魔王の姿やその力などをその目で見た者は数少ないのである
「魔王様、人間界より封書が届きましたよ~」
城の最奥、玉座の間にはいくつもの紫水晶が立ち並び、その中心には小さな炎が揺らめいている。
柔和な女性が、一通の封書を手に微笑む。
「んん……また人間どもが私を必要としているのか? 全く……」
炎が大きく揺らぎ、どこかで見たような少女がその姿を現す。
紅蓮の髪と湾曲した一対の角。ありもしない風に靡く黒いマント。
頭にちょこんと乗った冠が煌々と輝いている
赤紫色と青紫色の特徴的な瞳が怪しく光を放つ
「燈、大至急で出かける用意をしろ! 久々の外出だ」
「何だかんだ言いつつ、頼られるのが嬉しいんですよね。燈はちゃんとわかっております」
「うるさいぞ、いいから早くゲートを開け!」
魔王と呼ばれた少女は不機嫌そうに口をへの字にむすび、ふいとそっぽを向く。
背に生えた小さな翼と艶やかな細長い尻尾が共に軽く揺れ動く。
「ふふ、またあの綺麗な場所へ行くのですか?」
「観光に行くわけじゃないぞ。この気配……どうせ天魔族だ」
「あ、そうだ魔王様。お手紙……お読みにならないのですか?」
「ふん、よこせっ」
魔王は燈からバッと手紙をひったくり、あろうことかそのまま揺れる炎へと投げ込んでしまった。
メラメラと手紙はあっという間に燃え尽き、白っぽい灰が虚空へと消えてゆく
「あ~……」
「最近は天魔族が力を取り戻しつつある。向こうに付いたらまとめて消し去ってやるさ」
「で、でも……もしかしたらお茶会の招待状だったかもしれませんよ……?」
その可能性もゼロではない。
魔王は少し俯いて頭を抱えたのち、声にならない呻きと共に燈を睨んだ
「どうしてそれを先に言わなかったんだよっ!」
「そんなぁ」
「……まぁ、行けば分かるさ。きっと大丈夫だ! ほら、さっさと用意しろ」
~
次元の境界。
その中心に位置する小さな民宿の屋根の上で、燃え上がる妖気が木々を揺らす
『戦争だぁ……?』
極秘と書かれた封書をギリッと握りしめ、空の彼方を睨みつける人影。
その傍らにはいくつもの酒瓶が見て取れる
人影は風に靡く長髪を後ろで結び、封書を虚空へと葬り去った
『馬鹿が……自然現象に生物が勝てるわけねーだろが』




