94『罪と罰』
「なんで生きてるのよ……」
目に怪しい光を宿しながら少女はゆらりと立ち上がり、帽子から鎖をじゃららと取り出した。
鎖には破れた袖と同じ色合いの布が絡んでいる。
「ちょ、ちょっと待てよ……何する気だ」
俺はいつの間にか壁際にまで追い詰められていた。
あの鎖は元々少女の袖に括りつけられていた物なのだろうか
だとしたら、まず間違いなくただの鎖じゃない。少女の気配はとても異質だ
きっとあの子は何かとても恐ろしい魔物か何かなのではないか
だとしたら俺……今、かなりまずい状況じゃないか?
「……私を縛ったこの鎖……次は私が縛る番だよ」
「おい待て! くそっ、この帽子のせいか!」
じりじりと迫りくる少女の前に、俺は校長の帽子を叩きつけた。
先ほどとは違い、易々と頭から離れた帽子が床に落ちる。
その瞬間、少女の動きがぴたりと止まった。
ぼんやりと光るその瞳をぱちくりと瞬かせ、少女は小首を傾げた
「あ、れ……?」
「いい加減目を覚ませ! お前のお姉さんとやらはいねーよ」
少女はただ茫然と床に落ちた帽子を見つめ、両手を力なく垂らした。
気が付くとその金色の瞳からは、とめどなく涙が零れていた。
何だってんだ……
やがて少女はかくんと膝を折ってその場に座り込み、啜り泣きを始めた
「お、おい……大丈夫か」
近寄ろうとした瞬間、俺の意識は凍り付いた。
少女の傍に佇むかのように、禍々しい身体を持つ魔物がそっと翼を広げていたのである
しかし魔物の身体は原形を留めておらず、足元から霧散している。
まさか……実体じゃないのか……?
ふと気が付くと、少女の頭からずり落ちたシルクハットから20cmほどの紅い球体が転がり出て、淡く光を放っていた。よくよく見てみると魔物の身体は球体と結びついている
成程、あの球が本体か
それにしても……なんだか不思議な子である。
校長の帽子を被った俺を『お姉ちゃん』と呼んだってことは……校長の妹さんか
いや待てよ。校長の妹って言っても歳は親子ぐらい離れているように見える。
校長の実年齢は定かではないが……この子はどう見ても小中学生くらいだろう
「……ぐすっ、お姉ちゃああぁあぁ」
少女は子供のように(実際子供にしか見えないが)泣きじゃくりながらシルクハットと紅玉を抱え、易々と壁を粉砕し可愛らしい泣き声と共にどこかへと行ってしまった。
結局……何だったのだろうか
~
「そ、れ、で? どうしてお前がここに居るんだ。常闇の魔女さんよお」
「数百年ぶりだっていうのに随分なご挨拶ね。口を慎みなさい」
「はは、久しぶりに皆でお茶でも飲もうじゃないか」
黒館の一室、広々とした客室には龍皇とファルシオ、そして紺のローブを身に纏う玲紀が居た。
その傍らには白と橙色で彩られたメイド服を着た女性が佇んでいる。
「柊! ……じゃないか、橘? まぁいい。お茶を淹れてくれないか」
『畏まりましたぁ……しばし御待ちを』
橙色のメイドはゆっくりと頭を下げ、歪んだ空間の向こうへと消えた。
部屋の扉の隙間からはcolorが小さな体を重ねて様子を伺っている
「お前たちは適当なお茶菓子を持ってきてくれないか」
『『『はーいっ』』』
「あれは……虹の女神じゃねぇか。ディアボロスにバラされたと聞いたがな」
「僕が治してあげたんだ。切れ目はきちんと隠せているだろう?」
「何故、貴方は生の理に反したことばかりするのかしら……悪趣味ね」
玲紀はいつの間にか用意された紅茶を啜りながら吐き捨てるように呟いた。
その頭に魔女の帽子は無く、紺色の髪が艶やかに光っている
龍皇は、ふんと鼻を鳴らして机に足を乗せ、紅茶をカップごと噛み砕いた
「ところでグレンベルク、君の部下はどこだい?」
「あー? お前、自分の管理下がどうなってるかぐらい把握しておけ」
「……なるほど、街が騒がしいのは君のせいか。あまり荒らさないで欲しいね」
「俺じゃねぇ。あいつらだ」
龍皇は黒い煙を吹き出して窓から暗く淀んだ街を見つめ、彼方で渦巻く邪気を眺めていた。
ファルシオは肩を落とし、腕を組んで傍の棚に目を向けた
「さて、と。世間話はこのくらいにして、王宮からの通達を君たちにも伝えようか」
「ケッ、未だにあの役立たず共と繋がってるのか。死んでも名声は大事なのか?」
「貴方が言うと説得力があるわね。流石は国を裏切った大罪人だわ」
「うるせぇ、神に魂を売り払った黒魔女が。魂の売買は禁忌のはずだぞ」
「現世を追われた害魔が何を偉そうに……」
やれやれと立ち上がったファルシオは本が詰め込まれた棚から一枚の封書を取り出し、
龍皇と玲紀が囲む机に置いて見せた。
封書には何やら王家の紋章と判子で押されたらしき『極秘』の文字。
「簡潔に言おう。国は奴らに戦争を仕掛けるつもりだ」




