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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第一章

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無能、無知、無理解

時:1928年(昭和三年)、夏

場所:ニューヨーク州、ロングアイランド、ハイドパーク


夏の陽光が芝生の上に長く、濃い影を落としていた。車椅子の上から私、フランクリン・デラノ・ルーズベルトは、穏やかな午後の庭園を眺めていた。執務室のあるオールバニの喧騒から離れたこの一族の土地だけが、私にしばしの安らぎを与えてくれる。


しかしその日、私の心は安らぎとは程遠い場所にあった。

私の膝の上には、一枚の新聞の切り抜きが置かれている。ウォール・ストリート・ジャーナルの、小さなベタ記事だ。


『……極東金融市場、安定。日本海軍発行の制度債、上海市場にて、英ポンドに対し、最高値を更新。現地では、事実上の国際決済通貨として機能…』


私はその記事を指先で、くしゃりと握り潰した。


「ハリー」

私の背後で静かに控えていた、腹心のハリー・ホプキンスに声をかけた。

「……あの愚か者どもは、今どこにいる」

「……三名ともすでに、転任しております」

ホプキンスの声は、感情を押し殺していた。


「上海で偽造債のオペレーションを直接指揮していた、ONI(海軍情報局)の、パーカー中佐は、現在、パナマ運河地帯の倉庫管理任務へ。……作戦を承認した、国務省のマクニール課長は、南米ボリビアへの大使館付二等書記官として。……そして、作戦全体の資金を提供した、財務省のマーティン局長代理は…」


「聞きたくない」

私は手を上げて、ホプキンスの言葉を遮った。

パナマの倉庫番。ボリビアの閑職。……見事なまでの「口封じ」人事だ。ワシントンの連中は、自らの犯した致命的な失策の証拠を、こうして世界のゴミ箱へと掃き捨てたつもりでいる。


私の胸の中で静かな、しかし、マグマのような怒りが沸き上がってくる。

あの、「偽造制度債作戦」

日本の新しい金融システムを、内側から腐らせるための、我々の最初の、そして最も愚劣な一手。


結果は、どうだった?

我々がばら撒いた偽の紙切れは、日本のシステムの信用を毀損するどころか、逆にその価値をアジアの隅々にまで宣伝し、保証してしまった。そしてその混乱を利用した東郷一成は、自らの制度債を非公式かつ限定的ながら、ドルやポンドと兌換可能な「国際通貨」へと進化させる口実を手に入れた。


「……ハリー。パーカー中佐らの身上調書を、もう一度読ませてくれ」

「……ここに」

ホプキンスが差し出した数枚のタイプ用紙。私はその文字を、ゆっくりと目で追った。


『ジェームズ・パーカー。アナポリス卒。成績中位。専門、暗号解読。性格、野心的、功を焦る傾向あり。……上海赴任前、知人に対し『日本の猿どもに、本物のヤンキーのやり方を教えてやる』と、豪語…』


私はその一文の横に、赤いペンで一つの単語を書き込んだ。

『無能』


次に、国務省のマクニールの調書。

『……アーサー・マクニール。プリンストン大学卒。極東史専攻。性格、エリート意識過剰。日本の軍人を、いまだに刀を振り回す、時代錯誤な野蛮人と見なす傾向あり。……東郷一成との、直接の面会経験、なし…』

私はその横にも、同じ単語を書き込む。

『無知』


そして最後に、財務省のマーティン。

『……ロバート・マーティン。ウォール街の投資銀行より天下り。性格、傲慢。金融を、数字のゲームとしか捉えておらず、その背後にある国家の思想や、文化への理解、皆無…』

『無理解』


無能、無知、そして無理解。

これこそが、我々の惨めな敗北の原因だった。彼らは敵をあまりにも侮り、そしてその本質を全く理解しようとしなかった。


その頃、ワシントンでは共和党の大統領が「アメリカの繁栄は、永遠である!」と、ラジオで高らかに演説し、国民は、その言葉に熱狂していた。誰も、この平和な午後の庭園の下で静かに進行している、国家の敗北に気づいてはいない。


私は、車椅子をゆっくりとテラスへと進めた。妻のエレノアが淹れてくれた、冷たいレモネードのグラスが、夕陽を浴びて琥珀色に輝いている。


その時だった。

「……知事。緊急の面会依頼が、一件」

ホプキンスが、少し困惑したような顔でやってきた。

「誰だ?」

「スタンダード・オイル社の極東担当役員、ミスター・ハリソンです。どうしても、知事のご意見を拝聴したい、と。……アポなしですが」

スタンダード・オイル。ロックフェラーの、帝国。政敵ではあるが、無視はできない。

「……通せ」


現れたハリソンは上質なスーツを着こなしながらも、その顔は奇妙な興奮に紅潮していた。彼は私の前に、一枚の紙片を差し出した。

見慣れた、忌々しい紙片。「制度信用証券」だ。

「……知事。これは素晴らしい!」

彼は、声を弾ませて言った。


「我々はこれまで、中国での石油販売の代金回収に難儀しておりました。軍閥の紙幣は紙くず同然。現地の銀行は信用できない。……しかし、これです! この日本の海軍の紙切れ! これで代金を受け取れば、我々は一切のリスクなく、しかも、非課税で売り上げを確保できる!」


私は、我が耳を疑った。

「……ハリソン君。君は何を言っているんだ。それは、日本の軍部が発行している、得体の知れない証券だぞ。……我が国の国益を脅かす危険な…」

「おお、ご心配なく!」彼は、私の言葉を遮った。

「これは、通貨ではありません。日本の軍人自身が、そう保証している。ただの『任務の記録』だと。……ですから、我々がこれを受け取っても、所得にはならんのです。課税のしようが、ない!」

そして、彼はとんでもないことを続けた。


「……しかも素晴らしいことに、この紙切れは、上海やシンガポールにいる、華僑や日本の両替商に持っていけば、いつでも手数料二割引きで、ポンドや、ドルに換金してくれるのです! 我々の情報網では掴めなかった、実に効率的な換金ルートでしてな!」


私は、絶句した。

華僑の両替商。……それは、我々の諜報機関が偽札をばら撒いた、あの忌まわしき闇市場のことではないか。


つまり、アメリカの最大手の石油会社が、日本の海軍が作り上げた非課税の経済圏に足を踏み入れ、あまつさえ、我々が作った闇市場の換金ルートを利用して、大々的に脱税を行なっている、というのか。

しかも、その事実を悪びれもせず、この私の目の前で、自慢げに語っている。


「……知事。私は、この素晴らしい仕組みを、ぜひ、アメリカ国内の取引にも、導入したいと考えております。政府の、お墨付きをいただければ…」

「帰ってくれ」

私の声は、氷のようだった。

「……今すぐ、私の目の前から、消え失せろ」

ハリソンは、狐につままれたような顔をして、すごすごと退室していった。


私は、一人テラスに残された。

怒り。

いや、違う。

怒りを通り越して、もはや笑いさえ込み上げてきた。

東郷一成。

彼は、アメリカという国家の根幹である資本主義の、その飽くなき利益追求の本能そのものを、無能、無知、無理解の塊へと変えてしまったのだ。


国益よりも、目先の非課税利益。

愛国心よりも、効率的な換金ルート。

これこそが、アメリカの資本主義の偽らざる姿。そして東郷は、その本質を完璧に見抜いていた。

(ああ、そうか。……敵は東郷個人でも、制度ですらない。……本当の敵は、我々の内側にいるのだ……)

私は、ホプキンスを呼んだ。


「ハリー。紙と、ペンを。……それから、とびきり強いブランデーを、頼む」

インクの瓶を乱暴に開け、ペン先にたっぷりとインクを含ませる。そして一枚の真っ白なレポート用紙に、私は、叩きつけるように書き殴り始めた。

それは、誰に見せるでもない。ただ、この込み上げてくる怒りと、呆れと、そしてある種の畏怖を叩きつけるための、私自身のためのメモだった。


FDRによる走り書きメモ(1928年・夏)

ちょっと待て、東郷。今までの話を全部整理するぞ。

これ、絶対おかしいからな???


お前の理屈①:過去の任務(軍功)で、与信を発行する。

→ それ、建軍以来の全ての任務日誌を、“銀行の預金残高”として計上したってことだろうが!? 軍の過去ログで、未来の予算を作ってんじゃねえか!! タイムマシンでも発明したのか、お前は!?


お前の理屈②:制度債は、任務達成後の任務達成証明票だ。だから通貨とは非兌換。

→ 貨幣じゃない? 兌換できない? でも、海軍の物資も、サービスも買える? 我が国の農家の、トラクターにもなってる? それ、普通に『限定用途通貨』って言うんだよ!! 我々が、フードスタンプでやろうとしてることの、海軍版じゃねえか!!


お前の理屈③:発行監査は、“軍法会議+枢密院+大審院”の三重構造。

→ いや、待て、待て。財務省も、FRBも、一切関与できず、“過去の功績に基づく、内部審査”だけでカネの量を決められるって……お前のところの海軍は、もう、立法も、財政も、司法も、全部内包しちゃってるじゃねえか!!! それはもう、政府だろ!!


お前の理屈④:円に換算されず、“第二の会計システム”が発生する。

→ それ、パラレル予算じゃなくて、もうパラレル国家なんだよ!!!! しかも、軍が自己評価と、過去の実績で国家予算クラスの金を生み出してるとか、ローマ帝政末期の親衛隊長官か、お前は!!!!


お前の理屈⑤:制度債は、インフレ制御も設計済み。

→ 発行してもすぐには消費させず、まず国債を購入させて、市場の資金量を調整する、だと!?

→ それ、もう……我らがFRBより、よっぽどまともで、健全な金融政策をやってんじゃねえか!!! ふざけるな!!!


私は、ペンを投げ捨てた。息が上がっていた。

ブランデーのグラスを、一気に呷る。喉が、焼けるように熱い。

その時、ホプキンスが静かに一枚の電報を差し出した。

「……フランク。……東京からの、最新情報だ」


『海軍省経理局長・東郷一成大佐ヲ、駐米海軍武官ニ補ス』


私はその一文を読んだ瞬間、全てを悟った。

「……来るのか」

私は、乾いた笑いを漏らした。

「……あの悪魔が、このアメリカに、直接、乗り込んで来るというのか」

素晴らしい。実に、素晴らしい。

もはやこれは、遠い極東の経済問題ではない。

これは私とあの男の、一対一の戦争だ。


いつもお読みいただきありがとうございます。


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