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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第一章

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アメリカ海軍作戦本部会議録

時:1928年(昭和三年)夏

場所:ワシントンD.C. アメリカ海軍作戦本部


ポトマック川の水面が、夏のきらびやかな陽光を反射して光っていた。

海軍作戦部長チャールズ・ヒューズ提督の主催する会議室は、その日珍しく怒号ではなく、当惑に満ちた静寂に支配されていた。

長大なマホガニーのテーブルの上には、東京の駐在武官から送られてきたばかりの一枚の電文が置かれている。


『……日本海軍、対米ドクトリンヲ大幅ニ変更。『漸減邀撃作戦』ヲ事実上放棄。新タニ『空母ニヨル攻勢的通商破壊』ヲ基軸トスル戦略ヲ採用スルモノト見ラル。日本海軍軍令部内、航空主兵論ガ急速ニ台頭中』


「……つまり、こういうことかね?」

最初に沈黙を破ったのは、艦隊編成を担当する老提督だった。彼は長年、日本の「六割海軍」をいかにして叩き潰すか、その一点に思考を捧げてきた「ガン・クラブ(戦艦派)」の重鎮である。


「ジャップどもは、ついに我々との艦隊決戦を諦めた、と。自らの劣勢を認め、戦艦同士の正々堂々たる殴り合いを避け、海賊のような卑劣な通商破壊に活路を見出そうとしている。……そう解釈して、よろしいのかな?」


彼の声には侮蔑と、そして安堵が滲んでいた。長年恐れてきた、練度の高い日本艦隊との決戦。その脅威が、自ら後退したのだ。これ以上喜ばしいことはない。


「その通りです」別の戦艦派の参謀が、自信満々に頷いた。

「彼らは、自らの艦隊決戦兵力を低下させてまで、空母という、まだ海戦の雌雄を決したことのない、不確実な兵器に賭けた。愚かなことです。アメリカは、イギリスのような、通商破壊に脆い島国ではない。我々は、石油も、鉄も、食料も、ほぼ自給できる。数隻の商船が沈められたところで、国家の継戦能力には何ら影響はありません」


会議室の空気は、急速に楽観論へと傾いていった。日本の戦略変更は彼らにとっては「弱者の戦法」であり、艦隊決戦という本流から逃げ出した「敗北宣言」に他ならなかった。


「……ならば、我々のオレンジ・プラン(対日戦計画)を変更する必要はないな。引き続き、優勢な戦艦部隊を中核とし、太平洋を西進。日本の主力艦隊を捕捉し、これを撃滅する。……彼らがコソコソと商船を狩っている間に、我々は彼らの本丸を、真正面から叩き潰せばよい」


その結論に誰もが頷きかけた、その時だった。

「……お待ちいただきたい」

静かだが、鋼のような響きを持つ声がその楽観論に冷や水を浴びせた。航空局長のウィリアム・モフェットだった。彼の隣ではマーク・ミッチャーが、苦虫を噛み潰したような顔で座っている。


「諸君は日本の、そして東郷一成という男の恐ろしさを、あまりにも理解していない」


モフェットは立ち上がると、壁の太平洋の海図の前に立った。

「彼らが狙うのは、我が国の継戦能力などではない。彼らが狙うのは、我が国の“政治”だ」


「……政治、だと?」

「そうだ」モフェットは海図上の、サンフランシスコとホノルルを結ぶ航路を指さした。

「想像してみろ。この航路で我が国の豪華客船が、日本の空母から発進した航空機によって、警告もなく撃沈されたとしたら? 乗客の中には、カリフォルニア選出の上院議員の娘がいたとしたら? ……新聞は、何と書き立てる? 世論はどう動く?」


会議室が、しんと静まり返った。

「……大統領は、そして議会は、海軍に対し即座に犯人(日本の空母)を見つけ出し、海の底へ叩き込めと命令するだろう。たとえ我々の艦隊の準備が、まだ整っていなくともだ。……これこそが、奴らの本当の狙いだ。彼らは、我々に『待ち』の戦いをさせない。我々を彼らが望む時、望む場所へと引きずり出すための“餌”として、通商破壊を使うのだ」


そのあまりに的確な分析に、ガン・クラブの提督たちはぐっと言葉に詰まった。しかし、彼らはまだ反論の余地を見出していた。

「……だとしても、モフェット」ヒューズ作戦部長が口を挟んだ。

「我々の太平洋艦隊が健在である限り、我々にはフィリピンを防衛し、救援する義務がある。オレンジ・プランの根幹は、そこだ。日本の通商破壊などという小賢しい陽動に、いちいち振り回されるわけにはいかん」


「その通りだ!」別の提督が声を荒らげた。

「我々の任務はあくまで日本の連合艦隊を撃滅すること。それさえ果たせば、通商破壊などという、厄介なハエは自ずと墜ちる!」


その時今まで黙っていたミッチャーが、低い声で呟いた。

「……もしそのハエが、我々の戦艦を沈める力を持っていたとしたら?」

その一言に、会議室の空気が凍りついた。


「……ミッチャー、何を馬鹿なことを」

「事実です」ミッチャーは立ち上がった。

「ビリー・ミッチェル(陸軍の航空主兵論者)の実験を、お忘れか。彼はドイツの旧式の戦艦を、演習とはいえ航空機だけで沈めてみせた。……今の日本の航空技術がどこまで進んでいるか、我々は正確には把握できていない。……もし彼らの空母が、我々の戦艦を屠るだけの“牙”をすでに持っていたとしたら? ……彼らの通商破壊はもはや陽動ではない。それは、我々の主力艦隊を誘い出し屠るための、巨大な“罠”そのものです」


「……ありえん!」

「航空機で、動く戦艦が沈められるものか!」

ガン・クラブの提督たちの怒号が、会議室に飛び交った。彼らにとって、それは自らの存在意義そのものを否定されるに等しい冒涜的な言葉だった。


会議は、完全に紛糾した。

日本の新ドクトリンを「弱者の逃げ」と見る、大多数の戦艦派。

それを「巧妙な罠」と見る、少数の航空派。


アメリカ海軍は敵の真意を測りかね、その巨大な組織の中で、二つの全く異なる未来図の間で激しく揺れ動き始めた。

そしてこの対立は、海軍の予算配分を巡る、醜い派閥抗争へと発展していく。


戦艦派は主張する。「敵が艦隊決戦を避けるというのなら、なおさら、我々はより強力な水上戦力を建造し、彼らを引きずり出して叩き潰すべきだ!」


航空派は反論する。「敵が空母を主軸にするというのなら、我々も空母戦力で対抗すべきだ! レキシントン級三隻だけでは足りない! 残りの排水量枠(36,000トン)で、さらに追加の空母を建造すべきだ!」


だが、戦間期の限られた予算。そのパイは、決して大きくはない。

このアメリカ海軍内部の、深刻な「分裂」がもたらすもの。


それはもはや議論ではなかった。それはアメリカという巨大な国家が未知の脅威を前にして、その進むべき道を見失い、内部から分裂を始める醜態そのものであった。


ヒューズ作戦部長は額の汗を拭いながら、この終わりのない論争を、ただ呆然と見つめていた。

(一体、どうすればいいのだ)


予算は、ない。

ワシントン条約は、日本の南洋諸島への基地建設を禁じているが、同時に我々がフィリピンを要塞化することも禁じている。オレンジプランは、太平洋艦隊の健在を前提に「フィリピン救援」を絶対の国是としているが、そのための具体的な兵站計画はろくに進んでいない。


そして、ようやく手に入れた三隻目の大型空母「レンジャー」の予算も、この混沌の中ではいつ覆されるか分かったものではなかった。

(東郷。……貴様は、一体、何のゲームを我々に仕掛けてきたのだ)

彼は日本の、あのアナポリス帰りの海軍軍人の顔を思い浮かべた。


(貴様は、我々の艦隊を攻撃しているのではない。……貴様は、我々の“思考”そのものを、攻撃しているのだ。……我々が拠り所としてきた、全ての常識を、前提を、そして組織の統一を内側から破壊しようとしているのだ)


その日、アメリカ海軍作戦本部は日本海軍の新しいドクトリンに対し、何一つ有効な対抗策を打ち出すことができずに会議を終えた。

いつもお読みいただきありがとうございます。


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