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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第一章

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張作霖 後編

「……それで、大佐」張作霖は、自らも好物である蚕のさなぎを一つ口に運びながら言った。「日本海軍さんが、わざわざこんな内陸まで何の御用ですかな。『石油の調査』などと言っておりましたが」


「ええ」東郷は茶を一口すすると、静かに、そして本題へと切り込んでいった。

「閣下のお膝元であるこの満州の地に、我が連合艦隊の未来の血となる油が眠っていると聞き及んでおります……」


東郷はそこで一枚の地図を広げた。満州の油田候補地とされる場所に、赤い印がつけられている。


「……ただし、元帥。一つ、気になることが」

「……何ですかな」

「我々の調査によりますと、貴殿が奉天へお戻りになる、その鉄路のすぐそばに、極めて不安定な、古い鉄鉱床があるようなのです」


東郷は地図の一点を指でなぞった。南満州鉄道と京奉線が立体交差する、その場所を。

「……古い鉄、ですと?」

「ええ。特に、こういう古い鉄というものは、些細な『衝撃』で、予期せぬ大規模な『爆発』を起こすことがございます。……もし、元帥のお召し列車が通過するその瞬間に、そのような痛ましい『事故』が起きてしまっては、我々のこの石油提携の話も、全てが水の泡となってしまう」


東郷の言葉はどこまでも穏やかだった。だが、その裏にある恐るべき意味を、張作霖は瞬時に理解した。彼の顔から血の気が引き、額に脂汗が浮かぶ。


「……東郷大佐。……あなた方は、一体どこまで…」

「我々はただ、取引相手の安全を願っているだけです。……それよりも大元帥。この石油計画、一つだけ変更したい点がございます」

彼は契約書の一文を指でなぞった。


「この、第一期調査隊のルート。当初の予定では満鉄の線路を使うことになっておりましたが、これを、より安全で確実な、海路による営口からの輸送に切り替えたい。……いかがですかな?」


海路。それは関東軍が支配する南満州鉄道を通らないことを意味していた。

張作霖は全てを悟った。


彼は椅子から立ち上がると、この自分より遥かに若い日本の海軍軍人の前に、深く、深く頭を下げた。


「……東郷大佐。貴殿のご配慮、この張作霖、終生忘れませぬ」


その声は、もはや敗軍の将のものではなかった。自らの命を救われ、そして守るべき満州の未来を託すため組むべき相手を見出した、一人の真の指導者の声であった。張学良は言葉を失い、ただ目の前の静かな日本人の顔を見つめていた。


その時、張作霖の脳裏でこれまでの全ての点と点が一本の線で繋がった。なぜ海軍は満州国建国に反対するのか。なぜ海軍は自分を生かそうとするのか。全ては「制度」のため。この満州という「外国」で、合法的に経済活動を行う、そのための。



その歴史的な宴席を、アメリカ公使ジョン・マクマリーは、冷静に観察していた。


(……滑稽な芝居だ)


マクマリーはシャンパンの泡を眺めながら、心中で毒づいた。


主役である張作霖は、老いた虎のように、悠然と玉座に構えているが、その瞳の奥には、敗走を目前にした男の、深い疲労と絶望が滲んでいる。そして、その周りを囲む各国の外交官たちは、口では、彼の武運を祈りながら、その腹の中では彼のいなくなった後、この中国大陸の利権をどう分け合うか、その計算ばかりをしている。


そして何よりも滑稽なのは、この私自身だ。本国の、スティムソン国務長官からは、「蒋介石の国民党こそが、中国の未来だ」と釘を刺され、この宴席にいること自体が、裏切り行為に等しい。


(……私は一体ここで、何をしているのだ…)


その自嘲の念が、彼を襲った時だった。彼の背後で控えていた、「随行員」が、そっと一歩前に出た。


日本の海軍軍人、東郷一成。


彼はまるで、この宴の主役は自分だと言わんばかりの、堂々とした物腰で、張作霖の前に進み出た。


「……元帥。……今宵はお招きいただき、光栄の至り」


その、流暢な中国語に、場の空気がわずかに変わった。


そして、あの「蚕のさなぎ」の一幕。


学良が顔をしかめ、各国の公使たちが眉をひそめる中、東郷はそれを、実に美味そうに口に運び、「薩摩では、ご馳走です」と言ってのけた。


(……なるほど。……面白い男だ)


マクマリーは、唇の片端を上げた。この男は、ただの軍人ではない。彼は、この中国という魔窟で、生き残るための術を心得ている。それは時に、大砲よりも雄弁な「敬意」という名の、武器だ。


やがて始まった、二人の「石油調査」を巡る密談。


マクマリーには、その一言一句が聞こえていたわけではない。しかし、彼は見た。


東郷が、地図の上の一点を指さした瞬間。張作霖の顔から血の気が引き、その額に、脂汗が浮かぶのを。


そして東郷が「海路輸送」を提案した瞬間。張作霖の絶望に満ちた顔に、信じられない、という表情と、そして、かすかな希望の光が宿るのを。


(……何かが起きた)


マクマリーは、確信した。


(……この東郷という男は、ただ、張作霖に警告を与えただけではない。彼は、この老いた龍に、“新しい生きる道”を、示してみせたのだ。……関東軍の支配する鉄道ではなく、海軍が支配する“海”という道を)


そして、彼は見た。会談の最後に張作霖が立ち上がり、この若い日本の軍人の前で、深く、深く頭を下げる、その歴史的な瞬間を。


(……勝負は、決まったか)


マクマリーは、シャンパンを飲み干した。


(……スティムソン長官は激怒するだろう。だが、知ったことか。……私は今、この目で見たのだ。ワシントンの理想論ではなく、この北京の泥濘の中で、歴史が動くその瞬間を。……そして、その歯車を回しているのが、蒋介石でも、関東軍でもなく、この東郷一成というただ一人の男である、という事実を)


彼は、そっと席を立った。そして誰にも気づかれぬよう、東郷と目配せを交わした。


それは「共犯者」同士の静かな、しかし、確かな合図であった。



奉天郊外・皇姑屯こうことん


南満州鉄道と京奉線が立体交差する、陸橋の下。その闇の中で、関東軍高級参謀、河本大́作大佐は、息を殺して、その時を待っていた。


彼の額には、冷たい汗が滲んでいる。だが、その瞳は狂信的な熱に燃えていた。


(来る。……もうすぐ、だ)


彼の手には、導爆線のスイッチが固く握られている。


この一撃で、全てが変わる。腐敗した軍閥は消え去り、満州は、五族協和の王道楽土として、生まれ変わる。そして、その神聖な事業を導くのは、我々関東軍なのだ、と。


やがて、遠くの闇の中に、二つの小さな光が現れた。特別列車のヘッドライトだ。


地響きと共に、鋼鉄の巨体が近づいてくる。


河本の、全身の血が沸騰した。


(見ろ、張作霖! これが、貴様のような、古い時代の支配者を打ち砕く、新しい時代の鉄槌だ!)


列車が、陸橋の真下に差し掛かった、その瞬間。


彼は躊躇なく、スイッチを押し込んだ。


閃光が闇を引き裂き、天を衝くほどの火柱が上がった。鋼鉄がねじ曲がり、引き裂かれる。豪華な貴賓車両は木っ端微塵に吹き飛び、炎の塊となって、線路の下に転がり落ちた。


「…………やった」


河本は、震える声で呟いた。


「……やったぞ……!」


彼の周囲で、部下たちの歓声が上がる。日本の新しい歴史が、今、この場所から始まったのだ、と。


しかし、その狂喜の中で、河本だけが、何か奇妙な違和感に気づいていた。


(……おかしい。静かすぎる……)


これほどの、大爆発。これほどの、破壊。それなのに、負傷者の呻き声も、助けを求める叫び声も、全く聞こえてこない。


まるで、空っぽの棺桶を爆破したかのような、不気味な静寂。


夜明けの光が、東の空を白ませ始めた頃。現場に駆けつけた部下からの第一報が、彼の耳に届いた。


「……大佐殿! ……申し上げます! ……列車の中から、発見された、遺体は……ゼロ、であります!」


「…………何?」


河本は、絶句した。


「……張作霖の姿は、どこにもありません。……それどころか、乗客一人おりません! ……この、列車は……もぬけの殻であります!」


その言葉は、彼の脳天を打ち砕く、巨大な鉄槌そのものだった。


彼はよろめきながら、まだ黒煙を上げる列車の残骸を見つめた。


空っぽの、玉座。

空っぽの、棺桶。


自らが仕掛けた、乾坤一擲の神の一手。それが、ただの滑稽な道化芝居に過ぎなかった、という事実。


「…………ありえん」


彼の唇から、血の気の失せた声が漏れた。


「なぜだ。……どこで、漏れたのだ。……ありえん……ありえん……ありえんッ!!」


その絶叫は、満州の朝焼けの空に虚しく吸い込まれていった。



東京の首相官邸に、一本の短い報告が届いた。


『張作霖、北京ヲ出発。予定ノ特別列車ヲ通過予定駅ニテ秘カニ下車、自動車ニテ、極秘ニ奉天へ』


田中義一は、その報告書を握りしめた。彼の目から一筋の涙が零れ落ちる。

彼はこの国を救ったのだ。いや、海軍が、そして東郷一成という一人の男が救ったのだ。自らが知らぬ間に、そして自らの権威が及ばぬ場所で。


彼はまだ知らない。この一つの決断が、自らの歴史的評価を失意の宰相から救い出すことになるということを。そして彼が救った張作霖という男が、やがて東郷の「制度」の最大のパートナーとなり、満州が全く別の歴史を歩み始めることになるということも。


ただその日、東京の空は久しぶりに晴れ渡っていた。まるで、この国の見えないところで一つの巨大な嵐が通り過ぎていったことを、祝福するかのように。

いつもお読みいただきありがとうございます。


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