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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第一章

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三隻目の米空母

時:1928年(昭和三年)、春

場所:ワシントンD.C.、海軍省・航空局(Bureau of Aeronautics)

ポトマック川から吹き付ける風が、まだ肌寒い。窓の外では、初代航空局長官ウィリアム・モフェット提督が植えさせた若木が、頼りなげに揺れていた。部屋の中は青焼きの設計図のアンモニア臭と、羽布張り複葉機の模型に使われた接着剤の匂いで満ちていた。


ここは、米国海軍における「航空」というまだ生まれたばかりの、そして常に異端児として扱われる部門の心臓部だった。


「……まただ。議会の予算委員会が、来年度の航空機購入予算を、さらに一割削るだと」


若いパイロット出身の少佐が、忌々しげに書類を机に叩きつけた。


「戦艦の主砲を磨く金はあっても、我々の複葉機の翼を張り替える金はないらしい。“ガン・クラブ(戦艦派)”の長老たちは、いまだに空母を、主砲の着弾観測を行うための、巨大な気球船くらいにしか考えていない」


「日本の奴らは、まんまと我々の外交官を手玉に取り、三隻目の空母を手に入れたというのに。我が国が保有するのは、石炭焚きの輸送船を改造した、鈍足の“USSラングレー”一隻きり。これでは話にならん」


部屋には若い航空士官たちの、どうにもならない焦燥感と無力感が澱のように溜まっていた。彼らにとってワシントン会議での東郷一成の勝利は自分たちの敗北であり、日本の狡猾さの証明に他ならなかった。

その時、重い樫の扉が開き、二人の提督が入室した。


一人は、航空局長官のウィリアム・モフェット。その優雅な身のこなしと、政治家のような鋭い眼差しは、彼が単なる軍人ではないことを物語っていた。


もう一人は、マーク・ミッチャー。ラングレーの飛行長として、発着艦訓練中に何人もの部下を失いながら、その顔に深い皺を刻みつけてきた。東郷一成のアナポリス時代の同期でもある。


二人とも、午後に予定されている海軍省作戦部の会議に出席するために来たのである。


「……日本人ながらアナポリス卒の東郷という男に、一杯食わされたと、そう思っているのかね、諸君」

モフェットは、部屋の中央に置かれた、戦艦から空母へ改装中の「レキシントン」と「サラトガ」の巨大な模型を見下ろしながら、静かに言った。


若い少佐が、悔しげに口を開く。

「当然です、閣下。彼は、我が国の“平和主義”という名の甘さを突き、日本の軍拡に道を開いたのです」


「違うな」

モフェットは、きっぱりと首を横に振った。


「君たちは、根本的に勘違いをしている。東郷一成は、日本のために三隻目の空母を勝ち取ったのではない。彼は、この条約に署名した全ての国に、三隻目の空母を保有する“権利”を与えてくれたのだ。……もちろん、我々アメリカ合衆国海軍にも、だ」


部屋が、しんと静まり返った。士官たちは、モフェットの言葉の意味を、すぐには理解できなかった。

「……考えてもみろ」モフェットは続けた。


「議会が、そしてガン・クラブの連中が、自発的に三隻目の空母の建造を許可したと思うかね? ありえん。彼らは、二隻の改装空母ですら、予算の無駄遣いだと、今も陰で嘲笑っている。だが、東郷のおかげで、我々には最強の“言い訳”ができた。

『これは、日本の脅威に対抗するため、国際条約によって認められた、最低限の防衛措置である』、と。……彼は、我々が喉から手が出るほど欲しかった、政治的な“大義名分”を、わざわざ日本の国益という包装紙に包んで、プレゼントしてくれたのだよ」


士官たちの顔から血の気が引いていく。自分たちが見ていたチェス盤が、あまりにも小さかったことに、彼らは気づき始めていた。


そこで、今まで黙っていたミッチャーが、寡黙で聞き取れないくらいの低い声で口を開いた。彼は模型の横に置かれた黒板に、チョークで無骨な円を三つ描いた。


「これはモフェット提督の受け売りなのですが、空母という兵器の本当の恐ろしさをお話ししましょう」


彼は、一つ目の円を指さした。

「一隻では、ただの実験艦です。修理に入れば、我々の空はゼロになる」


次に、二つ目の円を指さす。

「二隻あれば、ペアで運用できる。だが敵に発見され同時に叩かれれば、やはり我々の空はゼロになる」


そして彼は、三つの円を一本の線で結んだ。

「ですが、諸君。三隻あれば、それはもうただの船ではない。それは、『艦隊フリート』になる」

彼の言葉に熱がこもる。


「一隻が、本国で修理と補給を行う。一隻が、前線で訓練と警戒を行う。そしてもう一隻が、いつでも出撃できる状態で待機する。この三隻をローテーションさせることで、我々は、常に、どこかの海に、空母戦力を展開し続けることができる。敵が、いつ、どこに来ようともです。……三という数字は、魔法の数字なのです。それは断絶することのない“持続性”を生み出す。そして持続性こそが“ドクトリン(教義)”を育てるのです」


士官たちは、息を呑んで、黒板の上の、単純な三つの円を見つめていた。その円が今や、地球全体を覆う、巨大な戦略の歯車に見えていた。

「逆に、日本海軍にも同じことが言えますが」

ミッチャーは、チョークを置いた。



1928年の春の日の午後。ワシントンD.C.の海軍省作戦部、第一会議室は、ポトマック川沿いの桜とは裏腹に、凍てつくような緊張に包まれていた。分厚いオーク材の扉が閉ざされた室内は、まるで冬の冷気を閉じ込めたかのように静まり返り、壁に飾られた海図と軍艦の模型だけが、沈黙の中で存在感を放っていた。


長大なテーブルの周囲には、アメリカ海軍の未来を握る男たちが集っていた。艦政局の設計技師、作戦部の戦略家、現場の声として航空母艦の飛行長、そして航空局を率いるウィリアム・モフェット提督。


彼らの前には、巨大な製図台が置かれ、三枚の青写真が広げられていた。それぞれに描かれた艦影は、異なる未来を予見するかのように、互いに競い合うように並んでいた。議題はただ一つ――ワシントン海軍軍縮条約で残された空母建造枠、6万9000トンをどう使うか。


「現状を整理しよう」作戦部長が、重々しい声で口を開いた。低い声が、会議室の空気をさらに重くした。


「我が海軍の空母戦力は、大型改装空母『レキシントン』と『サラトガ』の二隻、合計6万6000トン。条約の総枠は13万5000トン。つまり、残された6万9000トンが、我々の『未来』だ」


彼は言葉を切り、モフェット提督の鋭い眼差しを捉えた。

「さらに、東郷一成というアナポリス卒の日本人のおかげで、我々には大型艦からの『三隻目の改装枠』という政治的切り札がある。さて、モフェット提督。この6万9000トンで、あなたなら何を作る?」


モフェットは、葉巻の煙をゆっくりと吐き出し、立ち上がった。灰色の煙が、薄暗い部屋の中でゆらりと舞い、彼の指先が三枚の青写真のうち最も巨大な一枚を、軽く叩いた。

「答えは決まっている。三隻目のレキシントン級だ」


その青写真に描かれた艦影は、レキシントン、サラトガと瓜二つだった。基準排水量3万3000トン、30ノットを超える高速、多数の航空機を搭載可能な、浮かぶ航空基地。堂々としたその姿は、海軍の威信そのものを体現していた。


だが、艦政局の技師長が即座に声を荒げた。

「馬鹿な! レキシントン級は、元々巡洋戦艦として設計された、巨大すぎる船だ。一隻作れば、残りは3万6000トンしか残らない。そんな中途半端な枠では、もはや何も作れん!」


「それに、同じ設計の繰り返しでは進歩がない!」別の戦略家が付け加えた。彼は二枚目の青写真を指し示した。それは、後のヨークタウン級を思わせる、2万トン級の洗練された正規空母だった。


「この新型空母なら、三隻作れる。あるいは、これ一隻に加え、1万5000トンの軽空母を三隻組み合わせる手もある。数の優位は、戦略上圧倒的に有利だ」


会議室は「質か量か」という古くからのジレンマで真っ二つに割れた。ミッチャーは静かに、しかし重い一言を言った。


「……私がアナポリスで知る東郷一成という男は微笑しながら常に二手先を読み、そして常に最も強力な『一手』を好む男でした。彼が大型空母を三隻揃えようとしているのなら、それは、そのドクトリンが我々の対日戦ドクトリンに効く一手だという、絶対的な確信があるからです。我々が、数で彼を上回れると考えているとしたら、それは彼を舐めすぎている」


この発言でさらに声高な議論が交錯し、テーブルの上の青写真がまるで戦場のように揺れ動いた。だが、モフェットは静かに首を振った。


「諸君はまだ気づいていない。我々の敵は、もはや日本の『軍艦』ではない。日本の『カネ』なのだ」


その一言に室内の空気が凍りついた。モフェットは声を低め、まるで秘密を共有するかのように続けた。


「元海軍次官のルーズベルト氏からの情報だ。日本は、ワシントン条約で予算を縛られたはずなのに、まるで湯水のように金を使っている。満州では陸軍が、南洋では海軍が、『制度債』なる奇妙な紙切れで資源を買い漁り、インフラを整備し、現地の商人を手懐けている。その財源は、完全にブラックボックスだ」


彼は一枚のメモをテーブルの中央に滑らせた。


「これは海軍情報部からだ。日本海軍は、戦艦『加賀』の改装に続き、関東大震災で大破した巡洋戦艦『天城』の代艦として、戦艦『土佐』の空母改装に着手している。どちらもレキシントン級に匹敵する、3万トン超の巨大な船体だ。条約で廃艦になるはずの船を、三隻もだ。彼らはなぜ、これほど大型空母に固執する?」


モフェットの言葉に、誰もが息を呑んだ。ミッチャーが午前中航空局の黒板に描いた「持続可能な艦隊ドクトリン」の三つの円が、出席者の脳裏に蘇った。


「彼らは理解している」モフェットは、確信を込めて言った。


「太平洋という広大な戦場で勝敗を決するのは数の多さではない。一回の出撃で、より多くの航空機を、より遠くまで運び、より長くその場に留まる能力――一隻あたりの『戦略的投射能力』の大きさだ」


彼は再び、三隻目のレキシントン級の青写真を強く叩いた。「我々が2万トン級の新型空母を三隻揃える頃、日本は3万トン級の巨大空母を三隻揃え、太平洋のどこへでも我々を凌駕する航空戦力を送り込むだろう。その時、数の優位など何の意味がある?」


「だからこそ、我々も質で対抗するしかない! 日本が3万トン級を三隻揃えるなら、我々も3万トン級を三隻揃える! まずはこのポーカーのテーブルに、同じ枚数の、同じ価値のチップを並べる。それが全ての始まりだ!」


モフェットの熱弁は、会議室の冷気を切り裂いた。反対派の技師や戦略家たちは、もはや反論の言葉を失っていた。彼らが議論していたのは、単なる船の設計ではなかった。帳簿に載らない、得体の知れない日本の「富」と、その富がもたらす軍事力の幻影だった。


長い沈黙の後、作戦部長が深い溜息をついた。

「……分かった。三隻目のレキシントン級、いや、艦名は『レンジャー』としよう。その建造を最優先事項として、議会に働きかける」


会議が終わった後、作戦部長が別の戦艦派の提督に廊下で呼び止められる。「おい、本当にモフェットの言う通りにする気か? 日本の幽霊のようなカネの話を信じて、貴重な予算を全て彼の『おもちゃ』に注ぎ込むなど、正気の沙汰ではないぞ!」


その決定は、アメリカ海軍の歴史を、そして世界の海戦の未来を大きく変えることになる。史実では、アメリカはより小型で効率的なヨークタウン級の道を選んだ。だが、この世界では、東郷一成が仕掛けた「制度債」という怪物が、戦略家たちに苛烈な選択を強いた。


太平洋の両岸で、二つの海軍が、まるで鏡のように、巨大空母三隻を中核とする決戦艦隊の構築へと突き進み始めた。その引き金を引いたのは、ワシントンの会議室で囁かれた、アナポリスを卒業した一人の日本人の名だった。だがその真の意味には、まだ誰も気づいていなかった。

いつもお読みいただきありがとうございます。


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やはり、三隻目は土佐でしたか。 だとすると、この世界線では九一式徹甲弾は存在しないし、戦艦の水中防御も弱くなるはず。 根本的な資金力が格段に増える分、史実ではあまり活躍できなかった戦艦の戦闘力が落ちて…
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