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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第一章

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任務国家

時:1926年(大正15年)、春

場所:東北地方、岩手県の農村


雪解け水がぬかるみを作る田んぼのあぜ道に、一台のオート三輪が、誇らしげに碇のマークを染め抜いた麻袋を積んでやって来た。運転しているのは、日に焼けた精悍な顔つきの男。その身なりは農夫のようだが、背筋の伸びた立ち居振る舞いは、明らかに軍人上がりのものだった。彼は、かつて宇垣軍縮で軍服を脱いだ、元陸軍曹長である。


「おお、海軍の監査官様! ようお越しくだすった!」

村の組合長が、深々と頭を下げて出迎える。

「組合長、お待たせしました。今年の『豊穣一号』、特上の品です」


元陸軍曹長――今は「海軍軍属・制度債業務監査官」の肩書を持つ男は、麻袋の一つを軽々と肩に担ぎ上げた。袋には「舞鶴海軍火薬廠製造・硝酸アンモニウム肥料」と記されている。


「ありがてえ、ありがてえ。おかげで去年の米の収穫は、村始まって以来の出来でしただ。現金を持たねえ俺らでも、この『お札(制度債)』で、こんないい肥料を分けてもらえるんだからなあ」


組合長は、懐から大事そうに取り出した、数枚の制度債を手渡した。


そのやり取りを、村の子供たちが少し離れた場所から物珍しげに見ていた。彼らにとって碇のマークは、もはや遠い海の向こうの軍艦の印ではない。自分たちの田んぼを豊かにし、食卓に白いご飯を届けてくれる、「守り神」の印だった。


ワシントンで結ばれた軍縮条約は、海軍の火薬廠から、主力艦の砲弾という任務を奪った。しかし、東郷一成は、そこに「農業支援」という、新たな任務を与えた。余剰の硝酸アンモニウムは、豊穣の種へと姿を変え、制度債という血流に乗って、日本の最も疲弊した毛細血管――農村へと、深く、広く、染み渡っていった。


「海軍さんの肥料のおかげだ」。その感謝の声は、やがて、軍縮に反対し、海軍の増強を支持する、巨大な世論のうねりへと変わっていく。東郷は、土の匂いの中から、最強の政治的正統性を掘り起こしたのである。



時:1927年(昭和2年)、冬

場所:瀬戸内海に面した、小さな港町


夕闇が町を包む頃、それまでランプの頼りない灯りしか知らなかった家々の窓に、次々と、裸電球の、暖かく、そして力強い光が灯り始めた。子供たちは、生まれて初めて見るその文明の光に歓声を上げる。


町の中心には、真新しい煙突を空に突き立てた、小さな発電所が建っていた。その壁にはこれもまた、誇らしげに碇のマークが掲げられている。


「呉海軍工廠・ひろ火力発電所」


町の集会所では、町内会長が住民たちに熱っぽく語っていた。


「皆の衆! これも、海軍様のおかげじゃ! 退役した軍艦の石炭を、我々のために電気に変えてくださった! 電気料金は、もちろん、あの『お札』で払える! しかも、現金で払うより、ずっと安いんじゃ!」


その光景を、旅行がてら視察に訪れていた東郷一成が、車の後部座席から静かに眺めていた。彼の隣には、養女の幸が座っている。


「お父様…」幸は、窓の外の、温かい光に満ちた町並みを見つめながら、呟いた。

「きれい…です」

「ああ」東郷は、静かに頷いた。

「光は、人の心に希望を灯す。そして、希望は制度への信頼となる」


艦艇燃料の石油への転換は、海軍に大量の余剰石炭という負の遺産をもたらした。しかし、東郷はそこに「エネルギーインフラ構築」という、新たな任務を与えた。石炭は文明の光へと姿を変え、制度債という回路を通じて、日本の隅々にまで、情報と文化を運ぶための、物理的な基盤を築き上げていった。


もはや、日本海軍の制度債は単なる金融商品ではなかった。「肥料」が買える。「電気」が買える。それは、人々の生活に不可欠な実需に裏打ちされた、第二の通貨としての価値を完全に確立したのである。


東郷一成の制度は、金融の枠を遥かに超え、農業を、エネルギーを、そして、人々の暮らしそのものを静かに、しかし、根底から作り変える、巨大な社会変革のエンジンと化していた。


海軍省は、もはや霞が関に存在する、単なる一省庁ではない。

それは、日本という国家の中に存在するもう一つの、そして、より強力で、誰にも課税することのできない、インフラ運営主体そのものであった。


「見えざる帝国」は、ついに、その実体を、日本の国土の上に完成させつつあった。   

ランプの灯りが、机の上に広げられた資料の山を、琥珀色に照らしている。硝酸アンモニウムの生産統計、全国の電力供給計画、そして、毛細血管のように日本列島を覆う、肥料の販売網を示す地図。それらはもはや、単なる事業計画書ではない。「見えざる帝国」の、動かぬ版図を示す、新しい国土の地図であった。


横須賀の自宅へ帰宅した幸が、一冊の教科書を手に入ってきた。彼女は、書斎の主である東郷一成を、まっすぐな目で見つめた。

「お父様…」

彼女の声には、子供らしい素朴な疑問と、その奥にある、鋭い知性が滲んでいた。


「もう、旅先で新聞を読んでいても、学校の授業を聞いていても意味がありません。どこを読んでも、『国家の財源は租税である』と書いてある。でも、現実は違います。町のお豆腐屋さんも、村の農家のおじさんも、みんな“制度債”で生きています」

「これってつまり、教科書が教えてくれる『税金の国』と、私たちが生きている『制度の国』、二つの日本が、今、ここに並んでるってこと、なのでしょうか…?」


東郷は、読んでいた書類から顔を上げ、娘の顔を見つめた。そして、やや間を置いて、静かに口を開いた。その声は父として娘に語りかける優しさと、歴史の真理を説く哲学者のような、冷徹さを同時に含んでいた。


「……いや、幸。二つではない。いずれ、制度の網が、国そのものを、内側から完全に包み込み、古い“租税国家”は、蝉の抜け殻のような存在になるだろう」


「君は、“税”を国家の血液だと思っているかもしれない。しかし、それはもう過去の発想なのだよ」


幸は、不思議そうに首をかしげた。

「いいかい」東郷は、立ち上がると、窓の外に広がる、横須賀の黄昏を見つめた。


「税収とは、国民が経済活動で得た“結果”から、その一部を、後から絞り取るやり方だ。平時ならば、それでもいい。だが、国家の存亡を賭けた総力戦は、結果を待ってはくれない。瞬時に、国家の全てを、力へと転換することを要求する」


「だから欧米の列強も、そして、かつての明治の我々も、莫大な国債を刷り、未来の国民の富を担保にして戦った。だが、それは危険な賭けに過ぎん」

彼は、幸の方に向き直った。

「私は、その賭けを常態化した。つまり、国民が遂行する“任務”そのものを、国家の信用へと直接転換し、“行為”の瞬間に、国家が富を創出する仕組みを作り上げたのだ」


幸は、はっと息を呑んだ。

「じゃあ…私が今日、学校の帰りに見た、農家のおじさんが畑で肥料を撒いていたのも…今、この部屋を照らしている電気が灯っているのも…それ自体が、“国の通貨”になってるってこと…ですか?」

「その通りだ」


東郷の瞳が、ランプの光を反射して、鋭く光った。

「農夫の汗も、電柱の光も、兵士の訓練も、その全てが、国家にとっての“任務”であり、任務は記録され、信用となり、そして、信用は即座に国家の力となることを目指す」


「古い租税国家が、国民が生み出した“富の分け前”を巡って争うのだとすれば、新しい任務国家は、国民が生み出す“力の源泉”そのものを、無限に取り込み続ける」


「これこそが、来るべき総力戦の時代に、我々が生き残るための、唯一の国家形態なのだよ」

幸は、黙り込んだ。父の言葉が、雷のように彼女の心を貫いていた。


ランプの炎が、静かに揺れている。その小さな炎の中に、彼女は従来の「財源」という概念を超え、国家そのものを「国民の任務の総和」として再定義する、冷たく、しかし、あまりにも壮大な哲学の姿を見た気がした。


(……もう、税金は、国家の“血液”じゃないんだ…)

幸は、心の中で呟いた。


(お父様は、その血管ごと、全く新しいものに作り替えてしまったんだ。栄養を運び、老廃物を流す、全く別の巨大な循環システムに……)


(これじゃあ、もう誰にも止められない。だってこれはもう、経済の話じゃない。国家とは何か、という定義そのものを書き換える、静かな革命なんだから……)

いつもお読みいただきありがとうございます。


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