プランB 中編
時:1930年(昭和五年)、2月
場所:ワシントンD.C. 日本大使館
東郷一成のデスクには、メロン財務長官からの「回答書」が置かれていた。
『工作艦メドゥーサ(AR-1)及びヴェスタル(AR-4)の売却は、海軍作戦部の猛反対により却下する』
同期の南雲が、残念そうに肩を落とした。
「……惜しいことをした。特に『メドゥーサ』は米海軍唯一の本格的な工作艦。あれさえ手に入れば、日本の修理能力は盤石だったのだが」
「いや、南雲。これは“吉報”だよ」
東郷は、書類をゴミ箱に放り投げた。
「メロン長官や米海軍は、給炭艦を500万ドルで買った我々に6,500万ドル(メドゥーサ含むパッケージの買収提示残額)の追加出費を『節約』させてくれたのだ。
……よく考えたら、あんな1924年就役の中古艦1隻に大金を払うのは馬鹿らしい」
東郷は、一枚のカタログを広げた。
それは西海岸から太平洋航路を扱うサンフランシスコの海運王、ウィリアム・マトソン率いる「マトソン・ライン」の船名リストだった。
「せっかく中古を買うなら……西海岸の造船所には今、ある『高速貨客船』の船体がいくつか転がっている。
排水量約1万トン、速力16ノット以上。
最新の蒸気タービンと、広大な貨物スペースを持つ優秀船だ」
東郷は、ニヤリと笑った。
「これを4隻、買い取る。そして造船所にこう注文をつけるんだ。
『貨物室はいらない。代わりに、インチにもミリにも対応した工場と30トンクレーンを載せてくれ』とな」
⸻
時:翌週
場所:サンフランシスコ、マトソン・ライン本社
マトソン・ラインのウィリアム・ロス社長は、窓の外の霧に煙るサンフランシスコの街並みを眺めながら、破産申告書のドラフトを握りしめていた。
頼みの綱だった政府の「建設融資基金」が凍結された。郵便補助金もカットされた。
建造開始を控えた『ホワイト・シップ』の『マリポサ』『モンテレー』の支払いは来週に迫っているが、金庫は空っぽだ。
「……終わりだ。ハワイの楽園も、ホワイト・シップの夢も、全て海の藻屑だ」
その時、秘書が告げた。
「社長。日本のお客様がお見えです。……『ホワイト・ナイト(白馬の騎士)』だと名乗っておられます」
現れたのは東郷一成の代理人、伊藤整一中佐と、三菱商事の幹部だった。
「単刀直入に申し上げます」
伊藤は、一枚の契約書をテーブルに置いた。
ロス社長は提示された契約書を見て、安堵のあまり椅子に沈み込んだ。
東郷一成の代理人、伊藤整一中佐が持ってきた話は、当初恐れていた「会社乗っ取り」ではなかったからだ。
巡航速度21ノット、最大速度23ノットを誇る1930年時点のマトソン・ラインにおけるフラッグシップであり、アメリカ商船隊の誇り、『マロロ』 (1927年竣工 / 17,232 GRT)。さらに建造中の『ホワイト・シップ』には日本側は指一本触れず、代わりにドックで埃を被りかけていた「中高年の船たち」を指名したのだ。
「……つまり、貴国は『マロロ』や、建造中の『マリポサ』たちには手を出さない、と?」
「ええ。あれは貴社の、そしてハワイ航路の顔です。我々が奪うような野暮な真似はしません」
伊藤は、穏やかに微笑んだ。
「我々が欲しいのは、新造船の就役で余剰となる『先輩たち』です」
「……本気かね、ミスター・イトウ。
『マウイ』や『マトソニア』は10年以上前の船だぞ。『マヌラニ』級も、足は遅くはないが、今の基準では……」
「ええ。ですが、我々にはそれが“必要”なのです」
伊藤整一はビジネスライクに答えた。
「我々は積載量の大きな船を急いで揃えたい。新造を待つ時間がないのです。
……それに、貴社の新しい女王たち(新造船)の邪魔はしたくありませんからな」
彼が指し示したリストには、4隻の名前があった。
• 『マヌラニ』 (1921年竣工 / 9,550 GRT): 当時太平洋最大級の貨物船 。
• 『マヌカイ』(1921年竣工 / 9,550 GRT): 同上。エンジン・アフター構造の高性能貨物船 。
• 『マウイ』(1917年竣工 / 10,261 GRT): 高速(16ノット以上)の貨客船。
• 『マトソニア』(1913年竣工 / 9,728 GRT): 信頼性は高いが、新造船の就役により余剰となる予定の船 。
いずれも10年以上海を走ってきたベテランにして、マトソンラインの主力優良船だが、マトソンにとっては維持費がかさむ旧式船になりつつあったのも事実だ。
「これらを、現状のまま総額400万ドルで買い取ります。
そして……ここからが重要ですが、改装工事は全て、ここサンフランシスコのベスレヘム造船所に発注します」
伊藤は、もう一枚の契約書(見積書)を提示した。
【改装予算:1,600万ドル】
ロス社長は息を呑んだ。
船の代金の4倍もの金を、アメリカ西海岸の地元の造船所に落とすというのだ。これは不況にあえぐ西海岸経済にとって、干天の慈雨そのものだった。
「……感謝する。この代金(2,000万ドルの小切手)があれば、我々は生き残れる。新造船の支払いも間に合う!これなら株主も、そして造船所の組合も大喜びです」
ロス社長は伊藤の手を握った。
アメリカ人は思った。「日本人は金はあるが見る目がない。我々のスクラップを高く買ってくれた」と。
だが真に「見る目」があったのがどちらかは、ドックの中で明らかになる。
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時:数日後
場所:カリフォルニア州、ベスレヘム造船所・サンフランシスコ乾ドック
小柄だが、岩のような頑固さを全身から放つ男。
日本海軍技術研究所、造船官・平賀譲中将(予備役寸前)。
ドック入りした貨物船『マヌラニ』の船内を、その平賀が懐中電灯片手に歩き回っていた。
案内するのは、アメリカ人の造船所の所長だ。
「……驚いたな。東郷の小僧も隅に置けん。……『エンジン・アフター』か」
平賀は、広大な船倉を見渡して唸った。
「邪魔な煙突もダクトも、全部後ろだ。ここから船首まで、がらんどうの体育館みたいだぞ」
「ええ。元々はハワイの砂糖やパイナップルを効率よく積むための設計ですが」
「最高だ。これなら工作機械を好きなだけ並べられる」
平賀は図面を広げた。
それは奇しくも、後にアメリカ海軍が建造する「デルタ級工作艦」の設計思想を、10年以上先取りし、さらに強化したものだった。
「いいか、チーフ。
この第2・第3船倉の底を補強して、鋳造工場と鍛造プレス機を据え付ける。
上甲板には、この30トン旋回クレーンを載せる。基礎はキール(竜骨)まで直結させてくれ」
「30トン? ……デカすぎませんか? 何を吊るんです?」
造船所の所長が怪訝な顔をする。
「……まあ、戦艦の主砲身とか、スクリューとか、いろいろだ」
平賀はごまかした。
「それから、『マウイ』と『マトソニア』の方だが。
あれは元客船だ。その客室をそのまま活かし、職工たちに快適なベッドとシャワーを与えろ。定員700名分だ」
「700名? 移民船ですか?」
「いや、職人の宿舎だ。工作艦の能力は、職人の体調で決まる……いい仕事をさせるには、いい環境が必要だ。これは軍艦ではない。『浮かぶ精密工場』なのだからな」
日本海軍が推進中の『国家漂白化計画』を受けた平賀の構想はこうだ。
『マヌラニ』、『マヌカイ』(工作能力特化)で重整備を行い、
『マウイ』、『マトソニア』(居住性・速力特化)には、交代要員の工員や、精密機器の修理要員を乗せて艦隊に随伴させる。
この4隻がセットになれば、どんな離島でも即座に「海軍工廠」が開設できる。
「予算は4隻で1,600万ドル(船代込み)用意した。
……最高の仕事をお願いする」
造船所の所長は小切手を見て、震えが止まらなかった。
「……4隻まとめて、即金で……?」
「ああ。マトソン社とも話はついている。彼らは『新造船の残債支払い』ができて大喜びだ」
所長は唸った。
「……こいつは凄え。
メドゥーサなんて目じゃないぞ。クレーンの能力が段違いだ。駆逐艦の砲塔どころか、機関部をごっそり吊り上げられる。
……まるで『海に浮かぶ工廠』だ」
「できるか?」
「できますとも! 金さえあれば、来年の春には4隻揃えて納品できます!」
所長は、震える手で図面を握りしめた。
仕事がある。それも技術者の魂を揺さぶるような、難易度の高い面白い仕事が。
彼はこの船が将来、自分たちの海軍の脅威になることなど想像もしなかった。ただ、目の前の「技術的挑戦」と「ドル」に感謝した。
こうして本来ならスクラップか係船される運命だった4隻の船体は、日本海軍の資金によって、最新鋭の工作艦へと生まれ変わる改装工事に入った。
買収から改装まで総工費、4隻で約2,000万ドル。
中古の工作艦を買うはずだった金を転用しただけで、性能が倍以上の新車が4台手に入った計算になる。
いつもお読みいただきありがとうございます。次回に続きます。
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