プランB 前編
時:1930年(昭和五年)、2月
場所:ワシントンD.C. 財務省長官室
その日のアンドリュー・メロン財務長官は、目の前の数字の羅列に押し潰されそうになっていた。
【歳入不足額:推定10億ドル】
銀行団の巨額損失計上(特損金扱い)と、非課税NCPC債アービトラージ。禁酒法を骨抜きにし、炊き出しからも金を容赦なくむしり取ってなお、この二つの穴から国家の血がドボドボと抜け落ちていた。
国債の利払いが迫る。公務員の給料が遅れる。
どこかに金はないか。何か、換金できる資産はないか。
その時部下の局長が、一枚の報告書を持ってきた。
「長官。海軍省から入金がありました」
「海軍から? 奴らが金をよこすわけがない。金をよこせと叫ぶのが仕事だぞ」
「いえ、資産売却益です。先日、東郷大佐に『給炭艦(プロテウス級など)』5隻をスクラップ名目で売却した代金です」
メロンは報告書をひったくった。
【入金額:500万ドル(即金・ドル払い)】
「……売れたのか? あの錆びついた石炭船が?」
「はい。日本側は『鉱石運搬に使う』と言って、スクラップ相場の倍値で引き取っていきました」
その瞬間メロンの脳内で、ある回路が繋がった。
(……待てよ。
東郷はあのポンコツ船に500万ドルも払った。
彼らは今、南米から資源を運ぶための船を欲しがっている。
そして彼らの手元には、我々から吸い上げたドルが唸るほどある)
メロンは立ち上がって部屋の中を歩き回った。
「石炭を運ぶ船が売れるなら……『油を運ぶ船』はどうだ?」
局長が怪訝な顔をする。
「給油艦ですか? しかしあれは艦隊の生命線で……」
「『物を直す船』はどうだ? 『船を載せる船(浮きドック)』は?」
メロンの目は、もはや財務長官の目ではなかった。
倒産寸前の会社の在庫をなりふり構わず叩き売ろうとする、管財人の目だった。
「おい、海軍の資産台帳を持ってこい。
『予備役(In Reserve)』になっている艦艇のリストだ。
フィラデルフィアやサンディエゴで寝ている、金食い虫たちだ」
メロンは受話器を掴んだ。
相手は、日本大使館の東郷一成。
「……もしもし、大佐か。メロンだ。
先日のお買い物、気に入っていただけたかな?
……ああ、そうか。それは良かった。
ところでだ。……もっと『いい品』があるんだが、興味はないかね?
油を運ぶ船や、洋上の修理工場なんだがね。
……ああ、もちろん。即金なら勉強させてもらうよ」
⸻
時:数日後
アンドリュー・メロン財務長官は、海軍長官チャールズ・アダムスを呼びつけ、一枚のリストを突きつけた。
「アダムス長官。この『予備役艦隊』とかいう錆びた船の山は何だ?」
「はい。有事に備えて保管している支援艦艇群です。給油艦、工作艦、輸送艦など、計50隻以上がフィラデルフィアやサンディエゴに……」
「維持費はいくらかかっている?」
「年間、約500万ドルです」
「確認しよう、アダムス長官。
今回成立した予算で、予備役艦艇の維持費は“ゼロ”だ」
メロンは冷酷に告げた。
「今すぐスクラップとして売却し、現金化しろ。控えめに見ても10億ドル以上歳入が消えた政府には、錆びた船にペンキを塗ってやる余裕などない」
それはメロン個人の判断ではなかった。
財政危機への対応として、フーヴァー大統領はすでに
「連邦資産の緊急流動化を可能とする大統領令」に署名していた。
名目は「国家信用維持のための暫定措置」。
実態は、売れるものは全て売れという白紙委任状だった。
「なっ! 長官、正気ですか! あれはオレンジ計画の要石です! もし戦争になったら、あの給油艦なしでは艦隊はハワイから西へ一歩も出られませんぞ!」
「戦争? 誰とだ? 日本とか?」
メロンは鼻で笑った。
「日本は今我々の顧客だ。我々の炭鉱を買い、鉄道を使い、工場に注文を出して株価を支えている。そんな相手と戦争をするバカがいるか?
それにだ。もし戦争をするにしても、今の海軍は暖房を動かす石炭代すら節約している。
石炭すら節約する軍隊で、石油も弾薬も節約して戦争に勝つつもりか?」
アダムスは反論できなかった。それが全てだった。
⸻
時:同日
場所:ワシントンD.C. 合衆国財務省・長官執務室
その部屋の空気は、乾燥しきっていた。暖房のせいではない。そこにいる人間たちの心が乾ききっていたからだ。
財務長官アンドリュー・メロンは、目の前のリストと、部下の計算が弾き出した数字を交互に見比べていた。
対峙しているのは、海軍作戦部長チャールズ・ヒューズ大将。彼の顔は怒りで赤黒く変色し、こめかみの血管が今にも破裂しそうだった。
「……確認するが、長官」
ヒューズが唸るように言った。
「『メドゥーサ(AR-1)』と『YFD-2(浮きドック)』を“まとめて”リストに入れたのは、誰の判断だ?」
沈黙。メロンは視線を逸らさず、冷ややかに答えた。
「“リストに入れた”という表現は正確ではない、提督。
あくまで――“即時流動化による財政健全化措置”の対象資産として選定した、だ」
「健全化!?」
ヒューズが机を叩いた。
「あれは修理能力の中枢だぞ!? 現役工作艦と、前進基地用ドックだ!
戦艦が被弾したらどうする! 直す場所がないんだぞ!」
「……沈めなければよろしい」
メロンは即答した。
「……は?」
ヒューズの思考が停止する。
「撃たれなければ修理は不要だ。
撃たれなければ補給も不要だ。
撃たれなければ――艦隊は港にいればいい。燃料代もかからん」
「戦争する前提の組織で何を言っている!!」
ヒューズの絶叫が部屋を震わせた。だがメロンは、氷のような目で海軍トップを見据えた。
「戦争? 提督、今の我が国に戦争をする金があるとでも?
公務員の給料は遅配し、禁酒法をねじ曲げて酒を売って日銭を稼いでいる国だぞ。
……日本海軍が提示した額を見たまえ。
総額7,000万ドル。キャッシュだ。
この金があれば来月の国債の利払いができて、デフォルトを回避できるんだ」
メロンは、東郷一成から提示された「購入オファー」を指で弾いた。
⸻
【日本海軍提示:特別資産一括購入オファー】
1. 給油艦(AO)パッケージ
対象:トリニティ(AO-13)、カウェアー級×4(AO-15~18)、サリナス級×3(AO-19~21) (計8隻)
提示額:1,480万ドル
(※相場の1.6倍。即戦力の兵站線)
2. 給炭艦(AC)パッケージ
対象:プロテウス級ほか(AC-8~12)(計5隻)
提示額:500万ドル
(※鉄屑同然の船体に、破格のプレミアム。すでに売約済み)
3. 工作艦(AR)パッケージ
対象:メドゥーサ、ヴェスタル(AR-4)、プロメテウス(AR-3)、ブリッジポート(AR-2)(計4隻)
提示額:3,200万ドル
(※メドゥーサ単体で2,000万ドル、ヴェスタル単体で600万ドル。戦艦並みの評価額)
4. 支援艦(AF/AE)パッケージ
対象:給糧艦ボレアス(AF-8)、ユーコン (AF-9)、弾薬艦パイロ(AE-1)
提示額:510万ドル
5. 浮きドック(YFD)
対象:YFD-2(ニューオーリンズ)
提示額:1,000万ドル
(※新品建造費を上回る異常値。即時引き渡し料込み)
【合計:6,690万ドル】
(※回航準備・曳航費用等を含め、約7,000万ドルで一括決済)
「7,000万ドルだぞ、ヒューズ」
合衆国財務長官メロンの声には、抗いがたい魔力が宿っていた。
「スクラップ同然の予備役艦と、維持費のかかるドック。
これらをまとめて処分するだけで、海軍の年間予算の2割近くが『真水』で入ってくる。
……これを断って、君は部下に給料を払えるのかね?」
合衆国海軍作戦部長ヒューズ大将が、メロンの冷酷な決断の前に最後の抵抗を試みた。彼の視線は、机の隅に積まれた“ORANGE”の分厚い作戦書に落ちた。
「長官! 『メドゥーサ(AR-1)』と『ヴェスタル(AR-4)』だけは! あれだけは売れません!」
ヒューズの悲鳴に近い懇願が響く。
「メドゥーサは、我が海軍が初めて工作艦として設計・建造した虎の子です。あれには最新の光学機器修理室、鋳造設備、そして戦艦の主砲すら整備できる能力がある。あれを失えば、艦隊は洋上で何も直せなくなります!」
「ヴェスタルも現役艦です。彼女を失えば、太平洋艦隊はワークホースを失ってフィリピンまで行けなくなります!」
メロンは眼鏡の位置を直し、冷静に書類を弾いた。
「……ふむ。日本側の提示額は、メドゥーサ1隻で2,000万ドル。悪くない」
「国家の安全を金で換算しないでください!」
「分かった、分かったよ提督」
メロンは溜息をついた。あくまでこのオファーは一括購入のパッケージだ。海軍に無理強いは出来ない。だが、メロンは東郷からオファーを受け取った時に以下の伝言を受けていた。
『工作艦が含まれないのなら、今回のパッケージ購入は全て白紙に戻す。我々が欲しいのは、ただの船ではない。貴国の優れた“修理・補給のシステム”そのものだ。心臓部(工作艦)がないセットになど、1セントの価値もない』
いつもお読みいただきありがとうございます。次回に続きます。
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