女王の鉄、帝国の骨
このスクラップ編のまとめです。
時:1930年(昭和五年)、初夏
場所:東京・霞が関、大蔵大臣室
大蔵大臣・高橋是清は、目の前の統計局長が提出した「物価指数報告書」を見て、キセルをふかしながら愉快そうに笑った。
「……はっはっは! 経済学の教科書を書き直さねばならんな。
これだけ公共事業(財政出動)をぶち上げ、カネをばら撒いているのに、建設資材の価格が『下がっている』とは!」
通常、景気対策で公共事業を行えば資材需要が逼迫し、インフレ(価格高騰)が起きる。それが財政の足枷となるのが常識だ。
だが、今の日本には当てはまらない。
統計局長が興奮気味に報告する。
「はい。鉄材、セメント、非鉄金属……。需要は爆発していますが、供給がそれを上回る勢いで『降って』きます。
特に鉄鋼です。八幡や民間の製鉄所からは、英国艦や英船の厚物を溶かした鋼材が、湯水のように市場に供給されています。
……それも成分分析表つきの『極上品』が、クズ鉄同然の価格で」
是清は窓の外を見た。
帝都・東京の空には無数のクレーンが立ち並び、槌音が響き渡っている。
それは不況にあえぐ世界の他の都市とは無縁の、沸騰するような建設ラッシュの音だった。
「……英国の戦艦が日本のビルになり、橋になり、鉄道になるか。
東郷の小僧め、とんだ『リサイクル』を考えついたものだ」
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時:同日
場所:東京・銀座、地下鉄工事現場
帝都復興の槌音が、地下深くまで響いていた。
東京地下鉄道の工事現場では、作業員たちが太い鉄筋を組んでいた。
「おい、今回の鉄筋、やけに粘りがあるな」
鉄筋工が、ベンダー(曲げ機)を操作しながら呟く。
「ああ。八幡から来た『海軍払い下げ材』らしいぞ。
なんでも、イギリスの船を溶かした鉄だって話だ」
現場監督の早川徳次は組み上がっていく鉄骨の檻を見上げ、満足げに頷いた。
「……これなら、いける」
関東大震災の教訓から、東京は「燃えない都市」への脱皮を急いでいた。だが、鉄筋コンクリート(RC)造はカネがかかる。鉄が高いからだ。
しかし今、市場には安価で高品質な「海軍鉄筋」が溢れている。
「銀座の地下に、英国の戦艦が埋まるか……」
早川は苦笑した。
「頑丈なはずだ。100年経ってもびくともせんぞ、この地下鉄は」
この時期、日本中に建設された橋梁、ビル、そしてダム。
そのコンクリートの中には、かつて七つの海を支配した大英帝国の「鋼鉄の遺伝子」が静かに、そして強固に埋め込まれていった。
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時:同日
場所:大阪・戸畑鋳物(後の日産自動車)
「……鮎川社長。これを見てください」
技師が、興奮した様子で一本のクランクシャフトを持ってきた。
まだ試作段階の、国産自動車用エンジンの一部だ。
「摩耗テスト、500時間クリアしました。
折れません。曲がりません。……アメリカのフォード純正品と同等、いや、それ以上の強度です」
新興財閥・日産コンツェルンを率いる鮎川義介は、そのシャフトを手に取り、重みを確かめた。
「……材料は?」
「海軍経由で入ってきた、英国製のスクラップ……おそらく、巡洋戦艦の主砲身を溶かしたモリブデン鋼です。
粘りが違います。バイト(刃物)が欠けるほど硬いですが、加工さえできれば最強の部品になります」
鮎川は、ニヤリと笑った。
日本の弱点は「素材」だった。技術者は優秀だが、鉄が悪いから機械が壊れる。
だが今、そのボトルネックが解消された。
「……東郷君のおかげで、我々は『材料のハンデ』なしでアメリカと戦えるようになったわけか」
彼は工場の奥を見た。そこには大恐慌のアメリカからNCPC債で買い付けた最新工作機械が並び、その機械が、イギリスの良質な鉄を削っている。
そしてそれを操作しているのは、日本の勤勉な職工たちだ。
「……勝てる」
鮎川は確信した。
「この組み合わせなら、自動車も……世界一安く、丈夫に作れる。
アメリカが不況で工場を止めている間に、我々が市場を奪うのだ」
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時:1930年(昭和五年)、初夏
場所:東京・霞が関、大審院・特別審査室
その部屋は、日本の「法」と「正義」の最後の砦である。
だが今、そこに積まれているのは六法全書ではない。海軍経理局から持ち込まれた、背の高さほどもある膨大な計算書と、青焼きの図面だった。
円卓の中央に座るのは、大審院長にして国本社の会長、平沼騏一郎。
その脇には枢密院から派遣された顧問官と、数名の判事が控えている。彼らは皆、この数年で海軍が持ち込む「奇妙な申請」に、すっかり慣れっこになっていた。
海軍側の説明役である法務法務官が、一枚の書類を読み上げる。
「……申請件名:『英国製鉄鋼資源の民間還流任務に伴う、経済波及効果を担保とした第三次制度債発行許可願い』」
法務官は、英国から届いたばかりのスクラップの写真を掲げた。
「今回、我々が任務債の担保とするのは、金ではありません。
150万トンの『鉄』です。
これを鉄道省、電力会社、民間工場へ安価で卸すことにより発生する、将来の生産誘発額およびコスト削減益。
……海軍経理局の試算によれば、その経済効果は向こう3年間で約6億円に達します」
平沼は扇子で手元を叩いた。
「……つまり、だ。
貴官らは『鉄くず』を人質にとって、それを『6億円の札束』に化けさせたい、と言うのだな?」
「左様です、閣下」
法務官は答えた。
「金本位制の時代、紙幣の価値は『40%の金』と『60%の信用』で出来ていました。
ならば、我々の制度債が『40%の鉄(実物資産)』と『60%の海軍の実行力(信用)』で出来ていても、何ら不思議ではありません。
金は食えませんが、鉄は産業の米です。
金庫で眠る金塊よりも、線路になり機械になる鉄の方が、よほど国家の富を保証する担保としてふさわしいと考えますが」
陪席の判事の一人が、苦笑しながら眼鏡を外した。
「……屁理屈だが、筋は通っているな。
実際、海軍の配給する鉄のおかげで、倒産しかけていた町工場が息を吹き返している」
「それに……」
法務官は、最後の切り札を出した。
「今回発行する制度債のうち、20%相当額は、即座に『日本国債』の購入に充てられます。
……大蔵省の高橋大臣も『是非に』と仰っておられます」
平沼は、鼻を鳴らした。
「……是清め。海軍の財布を当てにして、赤字国債の引き受け手を見つけたというわけか」
① 海軍が”任務”で入手した英国の鉄を担保に「制度債」を刷る。
② そのカネの一部で国債を買い、政府に現金を渡す。
③ 政府はその現金で公共事業を行い、さらに鉄の需要を喚起する。
④ 鉄が売れれば、海軍の「担保」の価値は実証され、さらに信用が上がる。
信用創造だ。
ただ「信用」という空気の塊が、鉄と政府と海軍の間を高速で回転し、莫大な熱(経済成長)を生み出しているだけだ。
「……よかろう」
平沼は、重々しく決裁印を手に取った。
「法とは、現実に追いつくためにあるものだ。
国民がその紙切れを信じ、それで飯を食い、国が富むのなら……それが『正貨』だ。
かつての宋銭や永楽銭も、幕府ではなく商人の信用で回っていた。それと同じことよ」
バンッ。
朱肉の音が、部屋に響いた。
その瞬間、横浜など全国の岸壁に積み上げられた「元・英国戦艦」の鉄屑の山が、帳簿上で「数億円の資産」へと変貌を遂げた。
「……しかし、恐ろしいな」
退出する海軍の背中を見送りながら、平八郎の友でもある平沼は独りごちた。
「あやつら(東郷一成たち)は、錬金術師ではない。
『価値の翻訳家』だ。
アメリカのパニックを『ドル』に翻訳し、
イギリスの没落を『鉄』に翻訳し、
そしてそれを、日本の『国力』へと書き換えている」
窓の外では、東京の街が復興と建設の槌音に包まれていた。
その鉄骨の一本一本に、かつて七つの海を支配した大英帝国の遺伝子が組み込まれ、日本の新しい背骨となっていく。
司法の番人たちは、その光景を黙認した。
なぜならその背骨が支えているのは、他ならぬ自分たちの「椅子」でもあったからだ。
法とは、国家を守るためにある。国家を縛り殺すためにあるのではない。
平沼は、押印したばかりの決裁印を手に取った。
「鉄屑が国債に変わる……。古来、剣を鋤に変えるとは言ったが、君たちは敵の剣を、我が国の財布に変えたわけだ。
……見事と言うほかない」
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時:同日 夕刻
場所:大蔵省・大臣室
高橋是清は堀からの電話を受けて、満面の笑みを浮かべていた。
「……通ったか! さすがは平沼男爵、話がわかる!」
是清は、部下の賀屋興宣に指示を飛ばした。
「おい賀屋君! 新規国債の発行準備だ!
買い手は決まっている。営業に行く必要はない。
海軍が英国の戦艦を溶かした金で、全部引き受けてくれるそうだ!」
賀屋は呆れ果てていた。
「……大臣。これでは、財政規律もへったくれもありません。
海軍が『仕事をした』と言い張れば、いくらでもカネが湧いてきて、それが国債に変わる。
……永久機関じゃないですか」
「だからいいんじゃないか」
是清はキセルをふかした。
「アメリカを見てみろ。
『金』という有限の石ころに縛られて、国中が干上がっている。
それに比べて、我が国の通貨の裏付けはなんだ?
『国民の労働』と『産業の発展』だ。
国民が働き、工場が動けば動くほど、カネが増える。
……これこそが、あるべき『管理通貨制度』の姿だと思わんかね?」
賀屋は、窓の外を見た。
東京の街には、新しいビルの鉄骨が組み上がっている。その鉄骨は、元を正せばイギリスの戦艦だ。
そしてそのビルを建てる資金は、その鉄屑を担保に発行された制度債だ。
実体経済(鉄)と、金融経済(債券)が、海軍という結節点で完全にリンクしている。
「……認めますよ、大臣」
賀屋は、敗北を認めた。
「この国は今、世界で一番強靭な心臓を持っています」
こうして、英国から届いた250万トンのスクラップのうち150万トンは日本の産業の背骨となり、同時に国家財政を支える血液となった。
「鉄は国家なり」という言葉がある。
だがこの時代の日本においては、その意味が少し違っていた。
「鉄は、信用なり」
いつもお読みいただきありがとうございます。次回はアメリカに視点が移ります。
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