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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第二章

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さようなら、オールド・レディ

 時:1930年(昭和五年)、2月

場所:ロンドン、ウェストミンスター宮殿・庶民院議場


 その日の議場は、いつになく荒れていた。

 野党・保守党の強硬派議員が、労働党政府のヘンダーソン外相を激しく追及していたからだ。


「外相! 噂は本当か!

 政府は、栄光あるロイヤル・ネイビーの退役艦を、日本に売り払うというのか!


 『アイアン・デューク』はジュットランド海戦の旗艦だぞ! それを東洋の島国で鍋釜にするために売るなど、国の恥だと思わんのか!」


 議場から「そうだ!」「恥を知れ!」という野次が飛ぶ。

 だが、ヘンダーソン外相は涼しい顔で答弁に立った。


「……議員のご懸念はごもっともです。

 しかし、訂正させていただきたい。我々は艦を売るのではない。『スクラップ』を売るのです。


 ロンドン条約の結果がどうあれ、これらは廃棄処分が決まっております。解体費用をかけて沈めるか、日本に金を払わせて引き取らせるか。……納税者にとってどちらが得か、自明でしょう」


「だが、相手は日本だ! 彼らはその鉄で新しい軍艦を作るかもしれんのだぞ!」


 その時野党席の最前列から、太った男がのっそりと立ち上がった。

 ウィンストン・チャーチルである。彼は本来、政府を攻撃する立場だが、この件に関しては「共犯者」だった。


「……議員諸君、落ち着きたまえ」

 チャーチルの独特のしゃがれ声が、議場を制圧する。


「私は海軍を愛している。誰よりもな。

 だが、現実を見ようではないか。

 大西洋の向こう、アメリカのメロン財閥を見てみたまえ。彼らは何を売った?

 アルミニウムの鉱山だ。石油の油田だ。……つまり『未来』を売ったのだ」


 チャーチルは、演劇的に両手を広げた。


「それに引き換え、我々が売るのは何か?

 『過去』だ。錆びついた鉄と、使い古した薬莢だ。

 我々は日本の金で『過去』を処分し、その金で『クイーン・メリー』という『未来』を完成させる。

 ……これぞ、英国流の錬金術ではないかね?」


 議場がざわめく。

 「アメリカよりはマシだ」という、底意地の悪い安堵感が広がる。


 チャーチルは、さらに意地悪く付け加えた。


「それにだ、諸君。

 日本人は、あのスクラップを『250万トン』も輸送代は彼ら負担で持っていくそうだ。

 ……想像してみたまえ。あの狭い島国が、突然250万トンの鉄屑を受け入れたらどうなる?


 港はパンクし、輸送は麻痺し、彼らは鉄の山に埋もれて往生するだろうよ。

 我々は日本に『資源』を送ったのではない。『産業廃棄物の処理』を押し付けたのだ!」


 ドッ、と議場に笑いが起きた。

 それは苦しい言い訳だったが、プライドの高い英国人にとっては、溜飲を下げるのに十分なジョークだった。


「……なるほど、さすがはウィンストンだ」

「日本人にゴミ掃除をさせたと思えば、腹も立たんか」


 反対派の議員は、毒気を抜かれて座り込んだ。

 こうして250万トンの戦略物資(ヴィッカース鋼)の流出は、「英国紳士の賢い商売」として、議会の承認を得てしまったのである。



 時:数日後

場所:ロンドン市内、パブ


 議会を終えたチャーチルは、島津忠重公爵とグラスを傾けていた。


「……うまく誤魔化しましたな、ミスター・チャーチル」

 島津がニヤリと笑う。


「『産業廃棄物の押し付け』とは。……おかげで我が国の港は、嬉しい悲鳴を上げていますよ。

 まああの鉄屑の中には、貴国が開発した最新の合金サンプルも混じっているようですがね」


 チャーチルはブランデーをあおった。

「……持って行け、泥棒猫め。

 だが忘れるな。この借りは、高くつくぞ」


「ええ。ロンドン会議での『日本支持』。……期待しておりますよ」


 チャーチルは、苦い顔で頷いた。

 彼は知っていた。

 今日ついた嘘(日本は鉄屑に埋もれて困るだろう)が、数年後、真っ赤な嘘になることを。

 日本はその「ゴミ」を消化し、強靭な筋肉に変え、やがて大英帝国の喉元に食らいついてくるだろうことを。


 だが、今は飲むしかなかった。

 目の前の『クイーン・メリー』を救うためには、悪魔にでも魂(鉄)を売るしかなかったのだから。


 なんという皮肉だ。

 かつて日英同盟の絆として日本に売った『金剛』。

 そして今、同盟が切れた後に、金と引き換えに売った『鉄屑』。


 ……結局日本海軍を育てたのは、我々イギリスだったということか。



 時:1930年(昭和五年)、春

場所:イギリス、ポーツマス軍港


 その日ポーツマスの港は、霧雨と沈黙に包まれていた。

 岸壁を離れようとしているのは、かつて欧州大戦でドイツ大洋艦隊と砲火を交えた英雄たちだった。


 戦艦『ベンボウ』。戦艦『エンペラー・オブ・インディア』。戦艦『マールバラ』。巡洋戦艦『タイガー』。

 かつては七つの海を支配した鋼鉄の城が、今は武装を撤去され、無残な姿を晒している。


 そのマストからユニオンジャック(英国旗)は降ろされ、代わりに日本の商船旗と「回航用」の信号旗が掲げられていた。


 見送る群衆の中には、かつてこれらの艦に乗っていた老水兵たちの姿があった。彼らは涙を流し、敬礼していた。


 「……おい。本当にこいつを動かすのか?」

 イギリスの老水兵が戦艦『アイアン・デューク』を見上げながら、日本の回航員に尋ねた。

 砲塔は撤去され、艦内はがらんどうだ。代わりに、その船腹には恐ろしいほどの量の「金属ゴミ」が詰め込まれている。


「ええ、動かしますよ」

 日本人の回航員は、流暢な英語で答えた。

「ボイラーはまだ生きている。日本まで走る分には十分です」


「……日本に着いたら、どうするんだ?」

「溶かします。船体も、積荷も、全部」

 日本人は、愛おしげに鋼鉄の装甲を撫でた。


「このヴィッカース鋼は最高だ。日本の電気炉に入れれば、立派な新しい鉄に生まれ変わる。……ビルになるか、鉄道になるか、それとも新しい軍艦になるかは分かりませんがね」


 老水兵は、涙を堪えて敬礼した。

「……さようなら、オールド・レディ」


 「英雄の魂(鋼鉄)」は、新しい「サムライの刀」として蘇る。



 時:数ヶ月後

場所:日本近海・玄界灘


 日本の漁師たちは、水平線を埋め尽くす異様な船団を見て、腰を抜かした。


「おい、ありゃなんだ! 敵襲か!?」

「いや……ボロ船だ。黒煙を上げて、今にも沈みそうだぞ」


 それは、英国からやってきた「片道切符の幽霊船団」の第一陣だった。

 廃商船の船倉には、真鍮の薬莢や銅配管が満載されている。喫水線は限界まで沈み、波をかぶっている。


 船団旗艦・重巡『那智』の艦橋で、回航指揮官は安堵のため息をついていた。


「……よく持ってくれた。あと少しで八幡だ」


 この航海は、半分綱渡りだった。途中でエンジンが止まった船は、他の船が曳航した。浸水した船は、排水ポンプをフル稼働させて凌いだ。

 すべては、この「宝」を日本へ届けるためだ。


「艦長、見てください。八幡の煙突が見えます」

「ああ……。日本の火だ」


 製鉄所の溶鉱炉は、この船団の到着を待ちわびていた。

 彼らが到着した瞬間から、日本の重工業は「原料不足」という言葉を忘れることになる。



場所:福岡県・八幡製鐵所


 その日八幡の空は、いつも以上に黒い煙に覆われていた。

 だがその煙の下にある製鉄所の岸壁は、祭りのような喧騒に包まれていた。


 「……来たぞ! 英国艦隊の入港だ!」

 見張り員の叫び声と共に、洞海湾の入り口に巨大な影が現れた。


 錆びついた戦艦、老朽化した貨物船。

 数十隻にも及ぶその船団は、喫水線が海没しそうなほど深く沈んでいた。

 船倉だけでなく、甲板の上にまで、真鍮の薬莢や銅の配管、古い機械の部品が山積みになっている。


 沖合に停泊しているのは、イギリス船籍の老朽貨物船や、武装を撤去された旧式駆逐艦の群れ。

 それらが次々と、巨大な磁石クレーンによって解体され、陸揚げされることになるのだ。


「……信じられん」

 製鐵所長の中井は、積み上げられた鉄屑の山を見上げて絶句していた。


「これが全部、イギリスから来たのか?」


 現場監督が、興奮して鼻息を荒げながら答える。

「ええ! しかも所長、見てくださいよ!

 この鋼板の厚さ! 錆びてますが、中身はピカピカの『ヴィッカース鋼』ですよ!

 こいつを溶かせば、不純物抜きの最高級の鋼鉄がいくらでも作れます!」


 中井は鉄屑の山に近づき、その断面を触った。

 冷たく、重い感触。

 それはかつて大英帝国の海を守っていた軍艦や、世界を結んでいた商船の残骸だった。


 大恐慌で廃業したイギリスの海運会社が、維持費に耐えかねて手放した船。

 軍縮条約で廃棄が決まった、ロイヤル・ネイビーの誇り。


 それらが今、東郷一成の「債権回収」という名目で、大海を越えて極東の島国に集結している。


「……250万トン」

 中井は、今後数年で入ってくる予定のスクラップの量を震える声で呟いた。


「我が国の年間の粗鋼生産量、192万トンを超えているぞ。

 これだけの鉄があれば、ビルでも、橋でも、鉄道でも……そして戦艦でも、作り放題だ」


 これまでの日本は「鉄不足」に泣かされ続けてきた。満州の鉄鉱石は質が悪く、アメリカからの屑鉄輸入は価格変動に脅かされていた。ブラジルからの鉄鉱石採掘はまだ始まったばかりだ。


 隣に立つ技師長が、成分分析表を見て狂喜している。

「所長! このスクラップ、化け物です!

 戦艦の装甲板、ニッケルとクロムの含有量が半端じゃありません!

 これを溶かして混ぜれば、レアメタルを輸入しなくても、最高級の特殊鋼が作り放題です!

 クランクシャフトも、装甲板も、工具も、何でも作れます!」


 中井はワシントンの方角を向いて、心の中で手を合わせた。

(……東郷大佐。あんたは魔法使いか。

 イギリスのプライド(クイーン・メリー)を立ててやりながら、その足元から『帝国の骨格』を抜き取ってくるとはな)


「……よし、かかれ!」

 中井が号令をかけた。

「電気炉をフル稼働させろ! 電気が足りなければ海軍の発電所から直結で引け!

 ……この鉄を、日本の筋肉に変えるんだ!」


 巨大な電磁石クレーンが、英国戦艦の装甲板を吊り上げる。


 ドォォォン!

 地響きと共に、スクラップが電気炉に投入される。

 アーク放電の閃光が走り、かつての大英帝国の栄光が、ドロドロに溶けた熱い鉄のスープへと変わっていく。


 1930年の日本は、世界恐慌の嵐をよそに「鉄と電気」の飽和状態という、奇妙で力強い好景気の中にあった。

 そのすべての源流は、今ワシントンにいる一人の男の「制度」から始まっていた。


いつもお読みいただきありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
これ戦争起きるのか?
250万トンかあ……史実大和型戦艦はざっくり37000t前後の鉄を使ったと言われますので(推定35000~40000t、諸説あり)、大和型60隻分くらい以上の材料を買ってきた勘定ですな。 鉄道で言えば…
過去を誇る紳士たちが過去を切り売りするというと皮肉感じるわ。
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