ターボ・エレクトリック
時:1930年(昭和五年)、2月
場所:バージニア州、ニューポート・ニューズ造船所・設計室
その部屋は煙草の煙と製図用インクの匂い、そして日米の技術者たちの熱気でむせ返っていた。
壁一面に貼られているのは、建造中の客船『プレジデント・フーバー』と『プレジデント・クーリッジ』の青焼き図面。
だがその図面の上には、容赦のない赤ペンが幾重にも走っていた。
その赤ペンを握っているのは、小柄だが眼光鋭い一人の日本人。
海軍造船中将・平賀譲。
「造船の神様」と呼ばれ、その妥協なき設計思想で日本海軍内部に数々の伝説(と軋轢)を生んだ男である。
彼は通訳を介さず、自らの英語と数式でGEの主任技師を問い詰めていた。
「No, no! This is not enough! (ダメだ、これでは足りん!)」
平賀は船体中央部を指さした。
「機関出力、26,500馬力? ノンセンスだ。
この船は太平洋を渡るのだ。荒天時でも20ノットを維持するには、予備馬力が足りん。
……それに、私が要求しているのは『有事の際の高速輸送能力』だ。最低でも27ノットは出してもらわねば困る」
GEの技師が困惑して答える。
「ミスター・ヒラガ。しかし、これ以上のタービンを積むスペースはありません。ボイラー室を拡張すれば、客室が減ってしまいます」
「客室など減らせ!」
平賀は一喝した。
「それに貴君らの『ターボ・エレクトリック』は、配置が自由なのが取り柄だろう?
減速ギアがないのだから、シャフトの取り回しはもっと柔軟にできるはずだ。
……こうするのだ」
平賀は図面の上に新しい線を引いた。
「現状の2軸推進に、中央軸を追加する。3軸推進だ。
中央のモーターには、巡航用のエコノミー・モードと、全速力用のブースト・モードを持たせる。
電源はどうする? ……船体を延長すればいい」
「……は?」
造船所の所長が、コーヒーを吹き出しそうになった。
「延長? 船体のですか? もうキールは置いてあるんですよ?」
「まだ竜骨を据えたばかりで肋材を組んでいる途中だ。切って伸ばせばいい」
平賀はこともなげに言った。
「船体中央部、並行部に20メートル(約60フィート)のセクションを挿入する。
これで浮力が増し、ボイラーと発電機を増設するスペースが生まれる。
さらに……」
平賀の目が、技術者としての狂気を帯びて輝いた。
「L/B比(全長と全幅の比率)が改善され、造波抵抗が下がる。
私の計算では、6万馬力を投入すれば、この船型なら28.3ノットまでは出るはずだ」
28ノット。
それはもはや商船の速度ではない。正規空母の艦隊行動に随伴できる速度だ。
「……正気ですか、ミスター・ヒラガ」
造船所長が呻いた。
「設計変更だけで数ヶ月、工事費は……」
「金ならある」
平賀の背後で控えていた東郷一成の副官、伊藤整一中佐が口を挟んだ。
「日本海軍は、この『実験的改装』にかかる追加費用として、二隻合計即金で1,000万ドルを用意しています。
……もちろん、貴社の技術者たちの残業代と、GEへの新規発注分も含めて」
その瞬間、造船所側の空気が「困惑」から「熱狂」へと変わった。
不況で仕事がない今、こんな太客は神様だ。
「やりましょう、ミスター・ヒラガ!」
GEの技師が、計算尺を取り出した。
「3軸化なら、我が社の最新型高圧ボイラーを4基追加すればいけます。
モーターは『レキシントン』の予備パーツの設計を流用しましょう!」
「うむ。それから……」
平賀は、艦首部分を指さした。
「ここだ。『レキシントン』にも採用されたバルバス・バウ(球状艦首)。
アメリカのD.W.テーラー提督が提唱した理論だが……我が国にも実証データが欲しい。
この船につけてみよう。日本でやるより、ここのドックの方が加工精度が高いだろうからな」
平賀譲は日本では「頑固な国粋主義者」と思われがちだが、技術に関しては冷徹な合理主義者だった。
日本国内では「溶接は信用できん」「ディーゼルは未熟だ」と渋った彼も、アメリカの工業力と、GEやウェストバージニア製鉄所の品質を見せつけられれば話は別だ。
アメリカの材料と技術で、俺の設計した船が作れる。
それは老境に達した技術者・平賀にとっても垂涎の「実験」だったのだ。
⸻
時:数日後
場所:ワシントンD.C. 海軍省・艦船局(Bureau of Ships)
米海軍の造船官たちが、ONI(情報局)が極秘に入手した『プレジデント・フーバー』の変更図面を囲んで、絶叫していた。
「馬鹿なッ! これは商船じゃない!」
主任技師が、製図台をバンと叩いた。
「全長220メートル。出力5万馬力級。3軸推進。速力27ノットオーバー!?
……提督、これのどこが客船ですか!
このスペックは、我々の主力空母『サラトガ』や『レキシントン』を一回り小さくしただけの、完全な『艦隊型空母』の船体ですよ!」
海軍航空局長モフェット少将は、頭を抱えた。
彼の脳裏には、ミッチャー中佐の警告が蘇っていた。
『日本は鈍足の特設空母ではなく、正規空母と艦隊行動が可能な“高速空母”を求めている』
「……電気推進の恐ろしさだ」
技師が震える声で解説する。
「通常の蒸気タービンなら、ギアの配置を変えるだけで年単位の大工事です。
しかし電気推進なら、発電機とモーターを電線で繋ぐだけ。空いたスペースには何でも詰め込める。
しかも日本は3軸にすることで生存性を上げ、さらに……」
技師は、図面の中央部を指した。
「……ここに、巨大な『エレベーター』を通すためのスペースが、最初から確保されているように見えます」
モフェットは、窓の外のドックを見た。
そこではアメリカの労働者たちが、日本のカネをもらって、嬉々として「日本海軍の次期主力空母(の船体)」を溶接しているのだ。
「……止められないのか?」
「無理です。
書類上は『高速豪華客船』です。
GEも、USスチールも、ニューポート・ニューズ造船所も、全員がこのプロジェクトで飯を食っている。
今これを止めれば、海軍が『不況を悪化させた』と糾弾されます」
モフェットは呻いた。商務省からは“雇用創出の成功例”として表彰の話まで出ている。
「我々は、自分で自分の首を絞めるロープを編んでいるどころではない。
自分を撃つ銃をピカピカに磨いて、弾まで込めて、敵に手渡しているんだ!」
その夜、米海軍作戦本部の「脅威リスト」の最上位に、まだ就役していない2隻の商船の名前が書き加えられた。
⸻
時:数ヶ月後
場所:ニューポート・ニュース造船所・第3乾ドック
その船は、異形にして優美だった。
延長された船体はカミソリのように鋭く、水面下の艦首には、平賀がこだわった巨大なバルバス・バウ(球状艦首)が突き出している。
視察に訪れた東郷一成と小沢治三郎は、その威容を見上げていた。
「……いい船だ」
小沢が、満足げに唸った。
「電気推進なら、後進も全速でかけられる。着艦時の風向調整に有利だ。
3軸あれば、1軸がやられても生き残る。
……東郷先輩。こいつに『隼鷹』と名付けるのはどうです?」
「まだ早い、小沢君。今は『橿原丸(仮)』だよ」
東郷は笑った。
「しかし、完成が楽しみですな。
アメリカ人が、日本を守るためにどれほど良い仕事をしてくれるか」
東郷一成は、ドックの縁に立つ平賀譲の隣に並んだ。
「……お見事です、平賀閣下。
まさか、アメリカ人の手で、これほどの『日本刀』を打たせるとは」
「ふん。素材が良いからな」
平賀は、愛おしそうに船体を見つめた。
「アメリカの鋼鉄は質が良い。技術も進んでいる。
……だが、魂を吹き込んだのは私だ。
この船は太平洋の、いや、どこへでも行ける。……東郷君。私が設計したのは、次世代の“素体”だ」
「感謝いたします」
東郷は微笑み、頭を深々と下げた。
「これで、軍縮条約で空母枠を制限されても問題ありません。
我々には『商船』という名の、2隻の主力空母が温存されているのですから」
アメリカの鉄で、アメリカの技術で、アメリカ人の手によって作られた、日本海軍の秘密兵器。
その巨大な船体は、皮肉にもアメリカ大統領の名前を冠したまま、静かに進水の日を待っていた。
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