自分を売る
時:1930年(昭和五年)、2月
場所:ワシントンD.C. ホワイトハウス・閣議室
その日、ハーバート・フーヴァー大統領は自分の名前が書かれた書類を前に、人生で最も深い屈辱と、安堵が入り混じった奇妙な表情を浮かべていた。
書類のタイトルは『合衆国海事委員会・建設融資基金(Construction Loan Fund)債権回収計画書』。
そして売却対象リストの筆頭には、ニューポート・ニュース造船所で建造中の、アメリカ商船隊の至宝となるはずだった電気推進の巨大客船の名前があった。
『SS President Hoover』
『SS President Coolidge』
海事委員会(USSB)のオコナー長官が、震える声で報告を続けている。
「……海運大手『ドル・ライン』、および『国際海運商事(IMM)』。
両社ともに不況で旅客が激減し、破産寸前です。
……彼らが保有、および現在建造中の新型船の資産価値は暴落。このままでは、政府が投じた数千万ドルの融資は全額焦げ付きます」
フーヴァー大統領は頭を抱えた。
税収は蒸発し、銀行は潰れ、失業者は溢れている。そこにきて、国策で支援していた海運業まで壊滅だ。
「……それで、買い手がいるというのか?」
フーヴァーの問いに、オコナーは頷いた。
「はい。……いつもの相手(日本)です。
東郷大佐は、IMMの『カリフォルニア型』3隻と、ニューポート・ニューズ造船所で建造中の『プレジデント・フーバー型』2隻……計5隻に対し、総額4,000万ドルの現金提示を行っています」
「……アンドリュー(メロン)。確認だが」
フーヴァーは、乾いた声で尋ねた。
「君は私に、自分の名前がついた船を……日本海軍に売れと言うのか?」
「正確には違います、大統領」
メロンは、事務的に訂正した。
「売るのは、政府郵便輸送補助とバブルの含み益をアテにした船主である『ダラー・ライン(Dollar Steamship Lines)』です。
1929年のバブルにより予定を3ヶ月切り上げてまで早期起工に踏み切った彼らは今、政府から借りた建造費の75%(約600万ドル×2隻)を、返済できる見込みはゼロです」
ダンッ!!
テーブルを拳で叩き割らんばかりに殴ったのは、海軍作戦部長ヒューズ大将だった。
「ならん!! 絶対にならん!!」
ヒューズは立ち上がり、血走った目で閣僚たちを睨みつけた。
「ハリスクラス(16隻)を売った時点で、我々はすでに太平洋の『輸送能力』を半分失ったんだぞ!
そこにきて、今度は『カリフォルニア』と『フーバー』だと!?
これらはただの太平洋航路向け客船じゃない!
日本はこれを買ったら、半年で『正規空母並みの特設空母』に仕立て上げてくるぞ!」
ヒューズの警告は正確だった。
電気推進の商船は、減速ギアがなく機関配置が自由なため、空母への改装に最適すぎる素材なのだ。
「もしこれを売れば、日本海軍の航空戦力は、条約の制限をあざ笑うかのように倍増する!
これは商船の売買じゃない! 『未完成の空母』の輸出だ!
安全保障上の自爆だ!!」
海軍側の猛反発に、さしものメロン財務長官も言葉を濁した。
「……確かに最新鋭艦まで売るのは、議会や世論の反発が強すぎるかもしれん」
空気が「拒否」に傾きかけた、その時だった。
「……では、こうしませんか」
呼び出されていた東郷一成の代理人(サリヴァン弁護士)が、静かに発言を求めた。
「我が方のクライアント(東郷)は、米海軍の懸念を深く理解しております。
ですので……就役済みの『カリフォルニア型』については、購入リストから外しましょう」
ヒューズ提督の表情が、わずかに緩む。
「……その代わり」
サリヴァンは、一枚の写真を提示した。
ニューポート・ニューズ造船所のドックで、赤錆びた竜骨を晒している、建造が始まったばかりの巨大な鉄塊の写真だ。
「この作りかけの『プレジデント・フーバー』と『プレジデント・クーリッジ』。
この2隻だけは、引き取らせていただきたい。
……ご存知の通り、ドル・ラインは造船所への支払いも止まっている。
このままでは工事は中止され、造船所の労働者数千人が明日にも解雇されます」
サリヴァンは、東郷からの甘美な提案を囁いた。
「日本側はこの2隻の船体価格だけでなく、『完成までの工事代金』も含めて、全額キャッシュで支払います。
もちろん、工事を行うのはアメリカの造船所、アメリカの労働者です。
船が完成して日本へ引き渡されるまでの間、造船所の雇用は守られ、地域経済は潤う。
……これなら、誰からも文句は出ないでしょう?」
フーヴァー大統領の目が動いた。
「……造船所の雇用を守る?」
それは支持率低下に喘ぐ政権にとって、麻薬のような響きだった。
完成済みの船を売れば批判される。だが、「アメリカ人の雇用を守るために、日本が発注主になって工事を続けさせる」という名目なら……?
「……海軍。妥協しろ」
フーヴァーは、ヒューズに命じた。
「カリフォルニア型は守った。だが、作りかけの残骸(フーバー型)まで抱え込む余裕は、今の政府にはない。
造船所を潰すわけにはいかんのだ」
「……ぐっ……!!」
ヒューズは、歯が砕けるほど噛み締めた。
東郷は、最初からこれ(フーバー型)が本命だったのだ。
過大な要求(カリフォルニア型)を突きつけて脅し、相手が拒否したところで、「じゃあこれだけでいい」と譲歩して見せ、本命をさらっていく。
「ドア・イン・ザ・フェイス」の手法だ。
「……許可、します」
ヒューズは、魂を削るようにして言った。
「ただし、条件があります。
武装の搭載は認めない。あくまで『商船』として引き渡すこと」
「もちろんです」サリヴァンは微笑んだ。
(日本に帰ってから、彼らが何を載せようと自由ですがね)
フーヴァー大統領は、万年筆を手に取った。
自分の名前がついた船が、将来、自分の国の艦隊に艦載機を放つかもしれない。
だが今サインをしなければ、国そのものが沈む。
「……売ろう」
フーヴァーは、自嘲気味に笑った。
「『プレジデント・フーバー』は、日本へ行く。
……まあ、いいさ。少なくともあの船は、私よりも高く評価されたということだ」
⸻
時:1930年(昭和五年)、2月
場所:ワシントン州タコマ港、停泊中の空母「レキシントン(CV-2)」艦長室
その日、タコマ港は冷たい雨に煙っていた。
巨大空母レキシントンの煙突からは黒煙が上がっているが、それは出撃のためではない。記録的な干ばつで水力発電が停止したタコマ市に、艦の発電機を使って電力を供給するという、世界最強の軍艦にあるまじき「移動発電所」としての任務のためだった。
艦長室では、アーネスト・キング大佐が、ワシントンの海軍作戦本部から届いた機密電報を握りしめ、プルプルと震えていた。
目の前には報告を持ってきた副長と、通信士官が直立不動で凍りついている。
「……おい」
キングの声は嵐の前の海のように低く、不気味だった。
「ヒューズ作戦部長は……私の目が、タコマの雨で曇っているとでも思ったのか?」
彼は電報を指先で弾いた。
「ここには、『SSプレジデント・フーバー』および『クーリッジ』の、日本への売却が決定したとある。
……読み間違いではないな?」
「は、はいッ! 事実にございます!」通信士官が裏返った声で答える。
キングはゆっくりと立ち上がった。
そして次の瞬間、机の上のインク壺、灰皿、そして愛用のパイプを、壁に向かって全力で投げつけた。
ガシャーン!!
「あのウスノロの文官どもがァァァッ!!!」
キングの絶叫が、艦長室の防音壁を突き抜けた。
彼は地図の前に歩み寄り、拳で「ワシントンD.C.」の位置を殴りつけた。
「いいか! よく聞け!
『プレジデント・フーバー』型はただの客船じゃない!
あれはこの『レキシントン』と同じ、GE製のターボ・エレクトリック推進なんだぞ!!」
キングは、足元の床(レキシントンの甲板)を指差した。
「減速ギアがない! 蒸気パイプの配置が自由だ!
つまり甲板をぶち抜いて格納庫を作り、エレベーターをつけるだけで、即席の『正規空母』に化けるんだよ!
造船技師なら誰でも知ってる常識だ!
それを……日本に売っただと!?
『空母組み立てキット(DIY Carrier)』を、プレゼント・フォー・ユーしたのか!?」
副長が必死になだめようとする。
「し、しかし艦長! ヒューズ提督も抵抗されたそうです!
そのおかげで、現役の『カリフォルニア』型3隻は売却を免れました!」
「だ・か・ら! それがどうした!!」
キングは副長の胸ぐらを掴んだ。
「カリフォルニア型は古い! だがフーバー型は最新鋭だ!
しかもだ! 我が軍の現状を見ろ!」
キングは、窓の外の送電ケーブル(タコマ市へ電気を送っている)を指差した。
「我々は今、予算不足で演習もできず、こうして『市営発電所』のアルバイトをしている!
日本海軍を阻止するために無理をして作った3隻目のレキシントン級……『レンジャー(CV-4)』はどうだ!?
建造費が高すぎて艤装員の人件費すら出ず、岸壁で錆びついているじゃないか!」
史実のレンジャーは小型空母だったが、この世界線では対抗上、レキシントン級の3万3千トン級の巨艦として建造されている。
だがその巨体があだとなり、維持費が米海軍の首を絞めていた。
「我々は、3隻目の空母を作るカネがなくてヒーヒー言っている。
なのに日本は! 我々から巻き上げたカネで! 我々の造船所を使って!
我々の技術が詰まった『空母の卵』を、キャッシュで2隻も買っていきやがった!」
キングは髪を振り乱して部屋の中を歩き回った。
「計算してみろ!
日本の『赤城』『加賀』『土佐』の3隻。
それに、この『フーバー』『クーリッジ』が加われば5隻だ!
しかも奴らは、シェルから買った高速タンカーで燃料補給の心配もない!
対する我々は?
『レキシントン』『サラトガ』、そして動かない『レンジャー』。
……3対5だぞ!?
しかも相手の財布は膨張中、こっちはスッカラカンだ!」
キングは机に突っ伏した。
「……スターリンだ」
「は?」
「スターリンでも、もう少しマシな軍拡をするぞ……。
敵に武器を売って、その金で自分の軍隊を餓死させるなんて、どこの喜劇だ……」
キングは顔を上げた。その目は冷たい決意に燃えていた。
「……総員、聞け」
彼は低い声で命じた。
「タコマへの送電を続けろ。市民に恩を売っておけ。
これからは、政府なんてあてにならん。
……いざ開戦となった時、我々を助けてくれるのは、ホワイトハウスの命令書じゃない。
地元のパン屋と、ガソリンスタンドの親父の差し入れだけだ」
その日から、レキシントン艦内で流行した言葉がある。
『敵は太平洋の彼方にあらず。ポトマック川の畔(財務省)にあり』
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