自由の女神の鉄槌
時はやや飛びます。
時:1932年(昭和7年)、1月
場所:上海、閘北地区
その日、蔡廷鍇将軍率いる第十九路軍3万の兵士たちは、士気旺盛だった。
彼らにはアメリカの支援(非公式な資金と情報)があり、租界を守る日本海軍陸戦隊はせいぜい数千人、しかも軽装備。さらに最近日本の海軍は『カネ』ばかり数えていて、兵士の質が落ちていると聞かされていたからだ。『日本の経済は制度債というバブルで浮かれているだけだ。一突きすれば崩壊する』と。
蔡廷鍇は蒋介石から日本への手出しを止められていたが、それは彼らの愛国心を逆に煽った。
「小日本を海へ叩き落とせ!」
迷路のような路地に土嚢を積み上げ、機関銃を据え付けた彼らは、突撃してくる日本の歩兵を待ち構えていた。
だが霧の中から現れたのは、歩兵ではなかった。
重低音とともに、黒煙を吐きながら「それ」は現れた。
高さ3メートル、全長10メートル。欧州大戦の悪夢がそのまま形になったような、鋼鉄の菱形。
日本海軍が購入し、上海特別陸戦隊に配備されていた、旧米陸軍「マークVIII・リバティ重戦車」である。
「な……戦車!?」
「デカすぎる! 建物くらいの高さがあるぞ!」
中国兵が機関銃を浴びせる。だが豆鉄砲だ。16ミリの装甲は、小銃弾をあざ笑うかのように弾き返す。
さらに絶望的だったのは、その進撃速度だった。
遅い。あまりにも遅い。だが逃げ場のない路地では、その遅さが逆に恐怖だった。
止まらない。
鈍重な巨大戦車は、中国軍が築いたバリケードをその38トンの重量だけでミシミシと押し潰し、乗り越え、粉砕していく。じりじりと、確実に死が迫ってくる。
「側面だ! 側面から爆薬を投げろ!」
将校が叫ぶ。だがマークVIIIの側面には、不格好な「張り出し(スポンソン)」が付いていた。
そこから突き出した57ミリ砲とブローニング機銃が、路地の両側の建物を薙ぎ払うように掃射した。
レンガ造りの建物が崩れ、狙撃兵が悲鳴と共に落下する。
そしてその巨大な壁の後ろから、ぞろぞろと小さな影が現れた。
装甲板を溶接し直して即席装甲車となった、無数のM1917軽戦車たちだ。彼らは歩兵の代わりに重機関銃を搭載し、弾薬を満載してついてくる。
中国軍が誇る浸透戦術も肉弾攻撃も、この「鉄の要塞」と「無尽蔵の弾薬供給」の前では無力だった。
日本側の海軍陸戦隊員たちは、重い機銃を背負うこともなく、M1917の後ろから射撃位置につき、疲労のない状態で正確な射撃を加えてくる。
一人の中国兵が、硝煙の中でその戦車の側面に刻印を見てしまった。
爆風で剥がれた塗装の下から覗く、刻印の文字を。
『MARK VIII "LIBERTY" / U.S. ARMY ORDNANCE』
「……リバティ(自由)だと?」
兵士は絶叫した。
「アメリカ人は俺たちを応援してるんじゃなかったのか!
なんでアメリカの『自由』の女神が、俺たちを轢き殺しに来るんだよォォッ!
嘘つきめえぇぇぇッ!!!」
その叫びは、57ミリ榴弾の炸裂音にかき消された。
アメリカ製の戦車が、アメリカが支援する中国兵を、アメリカのけしかけた戦争で踏み潰していく。
そのあまりにグロテスクな「自由の女神の鉄槌」に、十九路軍の戦意は崩壊した。
⸻
時:数日後
場所:ワシントンD.C. ホワイトハウス・映写室
「……始めてくれ」
ヘンリー・スティムソン国務長官は、震える手で映写技師に合図した。
スクリーンに映し出されていたのは、パラマウント・ニュースが上海で撮影した最新のニュース映画だった。
そこに映っていたのは、まさしくアメリカ陸軍が「鉄屑として売却」したはずのマークVIII戦車が、中国兵のバリケードを粉砕し、星条旗……ではなく、旭日旗をなびかせて進撃する姿だった。
そしてその車体には、くっきりと『U.S. ARMY(消し忘れ)』の文字と、上書きされた『日本帝国海軍』のマーク。
ナレーションが、誇らしげに(皮肉たっぷりに)語る。
『……ご覧ください、この威力! 日本軍が駆るのは、アメリカの技術が生んだ鋼鉄の巨象です!
かつての古き良き兵器が、極東の地で第二の人生を謳歌しています!』
「……スティムソン君」
フーヴァー大統領は、こめかみを押さえていた。
「我々は、中国側に『日本の権益を少し突っついて、NCPC債の信用を落とせ』と唆したのだったね?」
「……はい、大統領」
「その結果、彼らが日本をつついたところ、我々が日本に売った戦車が出てきて、彼らを挽き肉にしてしまったわけだ」
大統領は、スクリーンを指差した。
「明日の新聞の見出しが目に浮かぶよ。
『アメリカの兵器、上海を蹂躙』
『商務省の承認した“トラクター輸出”、実は戦車だった!』
……国民は発狂するぞ」
スティムソンは反論を試みた。
「し、しかし! あれは『武装解除されたスクラップ』として売却されたはずです! 武装は現地で日本が……」
「言い訳にならん!」
大統領が怒鳴った。
「あのシルエットを見ろ! 誰がどう見ても、あれはアメリカ軍の戦車だ!
日本人は、わざわざご丁寧にオリジナルのブローニング機銃まで付け直して使っているじゃないか!」
フーヴァーは、幽霊のような声で言った。
「……誰が、あの戦車を日本に売った許可を出した?」
メロン財務長官とスティムソン国務長官は、互いに顔を見合わせて沈黙した。
どちらも署名していたからだ。
メロンは「国庫収入のため(わずかな現金化)」。
スティムソン(の部下)は「軍事的に無価値なガラクタだから問題ない」として。
「……5,000ドルです」
海軍情報局のヒギンズ中佐が、震える声で報告した。
「マークVIII戦車、一両あたりの売却価格は、スクラップ扱いで5,000ドルでした」
「5,000ドル……!」
スティムソンは、頭を抱えた。
「たった5,000ドルで! 我々の外交政策と、中国での影響力を全て売り渡したというのか!?」
ニュース映画では、上海の瓦礫の上で、日本の陸戦隊員が「アメリカ製戦車」の上で万歳をしている映像がまだ流れている。
その映像は、翌日から全米の映画館で上映される。
タイトルは『日米友好の証! 上海の平和を守る鋼鉄の兄弟』。
観客(アメリカ国民)は思うだろう。
「ああ、我々の国は日本を支持しているんだな。日本に武器を売って協力しているんだから」と。
世論操作。既成事実化。
政府が裏でコソコソと中国を焚きつけたことなど、この映像のインパクトの前では完全に無効化される。
メロンは、1本5ドルの”医療用”ウィスキーをあおった。
「……東郷だ。あいつは最初から分かっていたんだ。
あの鈍足戦車が、市街戦では『移動要塞』として最強であることを。
そしてそれを我々から買うことで、我々の『二枚舌外交』を物理的に封じ込めることを」
中国兵の血と、アメリカ政府のメンツ。
その両方が、上海の泥濘の中で、アメリカ製戦車のキャタピラに踏み潰されていた。
「……声明を出せ」
フーヴァーは力なく命じた。
「『日本と中国の双方に対し、暴力の即時停止を求める』と。
……決して『戦車をどけろ』とは言うなよ。
『それは元々誰の戦車だ』と聞かれたら、我々は死ぬしかないからな」
⸻
時:1932年(昭和七年)、2月
場所:南京、国民政府外交部・応接室
その部屋には、言葉による処刑台が設置されていた。
断頭台に首を乗せているのは、ネルソン・ジョンソン米国公使。
執行人は、蒋介石と宋美齢。
ジョンソン公使は、ワシントンの国務省(スティムソン長官)から送られてきた「公式見解」のメモを、玉のような汗をかきながら読み上げていた。
「……ええ、コホン。本件に関しまして合衆国政府といたしましては……
第一に、『上海における事態は、我が国政府の意図や政策を反映したものではありません』。
あくまで予期せぬ、偶発的な……」
「意図していない?」
宋美齢が、流暢なアメリカ英語で遮った。彼女の美しい顔は、侮蔑で冷たく凍りついている。
「ミスター・ジョンソン。貴国では、38トンの殺戮兵器が政府の許可署名もなしに太平洋を渡るのですか?
貴国の輸出管理はザルなのですか?
それとも、合衆国政府には自国の兵器を管理する『統治能力がない』と、そう宣言なさるおつもり?」
「い、いいえ! 決してそのような……!
こ、これはですね、第二に!
『問題の装備は、民間契約に基づき、平和目的(土木作業用)で譲渡されたものです』!
売り主は米陸軍ですが、あくまでスクラップとしての……」
「スクラップね」
蒋介石が、テーブルに写真を叩きつけた。
上海の瓦礫の山を乗り越え、火を噴くマークVIII重戦車。
「実に見事なスクラップだ。私の部下を一瞬で何百人も挽き肉にするほど元気に動いている。
……公使。もしこれが『平和目的』なら、貴国は農業用トラクターに57ミリ砲を標準装備させる習慣があるのかね?」
「そ、それは……! あくまで日本側が現地で改造を……
し、しかし第三に! 『当該装備は旧式であり、軍事的な攻勢能力は限定的』です!
最新鋭ではありません!」
「限定的?」美齢が鼻で笑った。
「上海の路地は狭いのよ。あんな鉄の塊が塞いだら、誰も通れないわ。
旧式だからこそ分厚い装甲。遅いからこそ動くバリケード。
……あなた方、『性能評価を間違えました。我々は無能です』と自白しているのと変わりませんわよ?」
ジョンソンは、もはやハンカチで汗を拭う気力も失っていた。
メモの残りを読み上げるのが怖い。だが、本国からの厳命だ。
「……よ、第四に……『米国は日本の軍事行動を支持していません。あくまで中立です』」
「中立!!」
蒋介石が激昂した。
「よくもぬけぬけと!
数年前に銀を暴落させて我々の経済を殺し、今度は十九路軍に武器を流して『日本をやれ』と唆したのは誰だ!
そして日本に戦車を売り、その戦車で我々が殺される様を『中立』と呼ぶのか!
貴国の中立とは、『双方に武器を売って高みの見物』という意味かね!」
「そ、それは誤解です!
第五に……『無秩序な暴力が市民を危険に晒していた以上、結果的に秩序が回復したことは不幸中の幸い』であり……」
「結果オーライだと!?」
「つまり我々の兵士が死んだことは『秩序回復の必要経費』だと言うのか!」
ジョンソンは最後の、そして最悪の一行に目を落とした。
これを言えば、自分は殺されるかもしれないと思った。
「……したがって……第六に……
『米国は、中立的調停者として、貴国と日本の和平の仲介をする用意があります』」
一瞬の沈黙。
そして宋美齢の、氷点下の嘲笑が響いた。
「……信じられない。
家に火をつけた放火魔が、『私が消火活動(仲介)をしましょう、消防署長に立候補します』と言っているのと同じよ。
……帰って、ジョンソン。
二度とその顔を見せないで。もう結構よ」
翌日、南京国民政府はアメリカの仲介提案を公式に「拒絶」した。
そしてその一時間後、上海の日本領事館で、日中両軍の停戦協定が――アメリカ抜きで――静かに結ばれた。
いつもお読みいただきありがとうございます。次回はまた1930年に戻ります。
もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや感想、ページ下の【★★★★★】で評価をいただけますと、執筆の大きな励みになります。




