リバティの引越し
時:1930年(昭和五年)、2月
場所:ワシントンD.C. 陸軍省、参謀総長執務室
その部屋の暖房は切られていた。
予算不足である。陸軍のボイラーを焚く石炭代すら、議会は削りに削ったのだ。
コートの襟を立てたダグラス・マッカーサー陸軍参謀総長は、象牙のパイプを噛み締めながら、机の上の書類を睨みつけていた。
そこにあるのは、新型小銃(後のM1ガーランド)の開発延期申請と、将校の給与カットの通達書。
そして、一枚の小切手だった。
『金・3,000,000ドル』
振出人は、日本海軍駐米武官府。
「……長官。これは、悪魔の小切手です」
声を荒らげたのは、参謀総長副官を務めるドワイト・D・アイゼンハワー少佐だった。彼の顔には、この取引への生理的な嫌悪感が浮かんでいた。
「我が軍の機甲戦力……予備役を含めた戦車保有数の大半(約1,050両)を、仮想敵国である日本に売り払うなど。議会が何と言うか……!」
「議会?」
マッカーサーは、パイプを外してせせら笑った。
「アイク(アイゼンハワー)、君はナイーブだな。
議会はこう言うさ。『よくやった、将軍! あの鉄屑の山を処分して、維持費を浮かした上に、現金まで稼いでくるとは! これで来年度の予算も削減できるな!』と」
マッカーサーは立ち上がり、窓の外のコンスティテューション・アベニューを見下ろした。そこには職を求める失業者たちのデモ行進と、日本海軍の炊き出しに並ぶ列が見える。
「見ろ。国中が飢えている。
陸軍も同じだ。このままでは、私は優秀な将校たちを解雇せねばならん。
……軍隊の骨格は『鉄』ではない。『人』だ。
錆びついた戦車を守るために、未来の将軍たちを路頭に迷わせるわけにはいかんのだ」
そこへ、乱暴なノックと共に扉が開かれた。
ジョージ・S・パットン少佐。アメリカ陸軍きっての戦車信奉者であり、熱血漢だ。彼は激昂していた。
「閣下!! マークVIIIを売るというのは本当ですか!?」
パットンは、マッカーサーの前に詰め寄った。
「あれは鈍重ですが、強力な57ミリ砲を持っています! 使い方次第では……」
「ジョージ、落ち着け」
マッカーサーは諭すように言った。
「使い方? 君は、あのマークVIIIの最高速度を知っているだろう?
時速6マイル(約9.6km/h)だ。早歩きの歩兵より遅い。
しかも38トンもある。アメリカの田舎の橋は、あいつが渡れば崩れ落ちる。
あんな『走る文鎮』を、どう使うつもりだ?」
「そ、それは……! しかし、M1917まで売るなんて!」
パットンは食い下がった。
「あれは軽戦車です! 数があります!」
「数だけはな」
マッカーサーは冷たく切り捨てた。
「欧州大戦の骨董品だ。エンジンは過熱しやすく、装甲は小銃弾で抜かれることもある。
何より……動かすためのガソリン代がない」
マッカーサーは、日本からの小切手を指さした。
「ジョージ、現実を見ろ。
日本海軍は、このガラクタを『定価の3倍』で買うと言っている。
マークⅧは1台5,000ドル、武器を外したM1917は1台1,000ドルで、予備エンジン・部品・技術資料一式を含め……、総額300万ドルだ。
この金があれば、君が夢見ている『クリスティー式戦車』の研究費が捻出できる。
新型の開発費を作るために、使い物にならない旧型を処分する。……これこそが、合理的な軍政というものではないかね?」
パットンは唇を噛み締め、震えた。
理屈は分かる。あまりにも正論だ。
今の米陸軍には、戦車を動かす予算もなければ、それを改良する技術も金もない。ただ倉庫で錆びさせているだけだ。
「……ですが、閣下。相手は日本です」
パットンは、獣のような勘で警告した。
「奴らは、ただの鉄屑拾いじゃありません。
あの東郷という男……。奴は戦車の『別の使い道』を知っている目をしていました。
奴らは戦車としてではなく、我々が思いつかない『兵器』として使うつもりです!」
「だとしてもだ」
マッカーサーは、静かに小切手にサインをした。
「彼らは『装甲を外してトラクターにする』と言っている。
『南洋のジャングルの開墾に使う』とも言っている。
嘘かもしれん。だが、我々にはその嘘を信じる以外の選択肢がない。
……今の陸軍には、背に腹は代えられんのだ」
署名のインクが乾く。
それは、アメリカ陸軍の機甲戦力が日本海軍の所有物になった瞬間だった。
「……いいだろう」
パットンは、捨て台詞のように言った。
「売ればいい。どうせ動かない鉄屑だ。
……だが、私は忘れませんよ。
いつか戦場で、あの『鉄屑』が日の丸をつけて私の部下の前に立ちはだかった時……その責任は、誰にあるのかを」
パットンは敬礼もせずに部屋を出て行った。
残されたマッカーサーとアイゼンハワーは、沈黙したまま小切手を見つめていた。
「……アイク」
「はっ」
「この300万ドルで、直ちに『新型装備開発局』の人員を再雇用しろ。
それと……今年の士官学校卒業生の任官枠を増やせ。一人も逃すな」
「……よろしいのですか」
「構わん」
マッカーサーは、再びパイプを口にくわえた。
「未来の戦争は、この古臭い戦車では決まらん。
新しい技術と、それを使いこなす『人間』で決まるのだ。
……日本人が私のゴミ拾いをしてくれた礼金で、私は世界最強の軍隊の種をまく。
東郷大佐には、礼状の一枚でも書いておけ。『いい買い物をされましたな』と」
⸻
場所:ワシントンD.C. 商務省・輸出管理局
その日、商務省の窓口には、アメリカ陸軍からの「払下げ品」輸出許可申請書の山が積まれていた。
審査官は、不況による人員削減で一人しかいない。彼はコーヒーを飲みながら、面倒くさそうに書類にハンコを押し続けていた。
「……はい、次。申請品目は?」
代理人の男(三菱商事の佐藤)が、涼しい顔で書類を出す。
「『大型不整地用農業トラクター(廃品)』です。
商品名:リバティ・タイプ。重量38トン。数量100台」
審査官の手が止まる。
「……38トンのトラクター?これは陸軍が許可した品目か?」
「はい。陸軍省の正式な払下げ品です。南洋のジャングルを開墾し、ココナッツ農園を作るためです。
御覧ください、仕様書には『武装なし』とあります。ただの鉄の箱とエンジンです」
審査官は眉をひそめた。怪しい。だが、彼のデスクの横の壁には、フーヴァー大統領の訓令が貼ってある。
『輸出振興こそが経済回復の鍵である。些細な理由で商談を止めるな』
「……エンジンは?」
「リバティ・エンジン。これも旧式の払い下げ品です」
「用途は?」
「荒地整地および抜根(切り株抜き)作業」
「……いいだろう。許可する」
バン!!
輸出許可のスタンプが押された瞬間、世界最強の「移動トーチカ」が、合法的な「農業機械」として太平洋を渡ることが決定した。
その書類の下には、もっと小さな文字で、こんな申請書も混ざっていた。
『整地用爆砕薬筒投射機(口径57mm)』
『害獣駆除用小口径連発銃(ブローニング機銃)』
審査官は、それらにも惰性で「許可」の印を押していた。農園には害獣が出るし、岩を砕くのにダイナマイトは必要だからだ。
国務省からの照会? 来ていない。
ロンドン海軍会議で忙しいのだろう。
その夜、メリーランド州のアバディーン集積地からは、無数の戦車が貨物列車に積み込まれていった。
それを見送る整備兵たちは、安堵の表情を浮かべていた。
「これで残業(タダ働き)で錆取りをしなくて済む」
「来月の給料が出るぞ」と。
⸻
時:同日 夜
場所:ワシントンD.C. 日本大使館
購入リストの最終確認を終えた東郷は、ソファに座る小沢と南雲に夕食を勧めた。東郷の奢りだ。
「……南雲、小沢君。すまんかったな。ロンドンのついでに、こんな買い物に付き合わせて」
「気にするな」南雲が食前酒のグラスを傾けた。
「貴様の『買い物』が、今の海軍を支えているんだ。今さら戦車の一台や二台、驚かんよ」
「それより、東郷さん」小沢が鋭い目で問いかけた。
「……今回の買い物には、もう一つ別の意味があるんじゃないですか?」
「……さすがだ、お見通しか」
東郷は、地図の一点を指差した。
「米国本土だ。
我々は今、米陸軍の『在庫』を一掃してやった。これにより、彼らの倉庫は空になる。
そして彼らが手に入れた現金は新型兵器の開発だけではなく、当座の『兵員の給料』や『食費』に消える」
小沢はハッとした。
「……つまり、米陸軍の即応能力を奪ったわけですか」
「ああ。彼らが新しい戦車を量産するまでには数年かかる。その間、彼らが使える戦車は激減する。
万が一、暴動が起きたり、局地紛争に介入しようとしても……彼らには、歩兵を支援する盾がない」
それは「軍縮」の新しい形だった。
条約で縛るのではない。「ビジネス」という名目で、相手の武装を買い上げて(解除して)しまう。
「……恐ろしい男だ」南雲は首を振った。
「相手に感謝されながら、相手の牙を抜くとはな」
窓の外、アバディーンの方角を、東郷は見つめていた。
博物館の展示品が、太平洋を渡って、新しい帝国の「盾」と「足」になる。
それは資源のリサイクルであると同時に、軍事バランスの静かな書き換え作業でもあった。
その夜、東郷は更なる買収計画書にペンを走らせた。
1930年の冬。
日本海軍は、ワシントンの桜の下で、世界で最も平和的で、最も致命的な「買い物」を続けていた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや感想、ページ下の【★★★★★】で評価をいただけますと、執筆の大きな励みになります。




