鋼鉄の古着屋
時:1930年(昭和五年)、2月
場所:ワシントンD.C. 日本大使館・海軍武官室
その夜、武官室の暖炉には、最高級のバージニアの無煙炭が赤々と燃え、部屋を快適な温度に保っていた。
テーブルを囲むのは、日本海軍の未来を背負う三人の士官。
駐米武官、東郷一成大佐。
ロンドン会議随員、南雲忠一大佐。
欧米留学視察、小沢治三郎中佐。
三人の前には、メロン財務長官の弟から贈られた年代物のスコッチと、小百合が用意したオードブルが並んでいる。
「……信じられんな」
南雲忠一は、グラスを片手に窓の外、ポトマック川の対岸にある米海軍工廠を見下ろした。そこは本来なら夜勤の作業灯で明るいはずだが、今は墓場のように真っ暗だった。
「世界最強と恐れられたアメリカ海軍が、金がないという理由だけで、港に鎖で繋がれている犬のようになっているとは」
東郷は、静かに笑って答えた。
「鎖で繋いでいるのは我々ではないぞ、南雲。彼ら自身の政府(予算)だ」
「一番タチが悪いです」
小沢治三郎海軍中佐が、苦い顔で葉巻を燻らせた。彼は生粋の戦術家であり、この状況の戦略的な異常さを誰よりも敏感に感じ取っていた。
「俺が昨日視察したニューポート・ニューズ造船所なんて、酷いもんでしたよ。
ドックに入っているアメリカ海軍の巡洋艦は工事がストップだ」
南雲が、手元の極秘レポートを広げた。
「東郷。貴様がやったことは、単なる経済攪乱じゃない。軍事的な去勢だ」
南雲の指が、レポートの数字を弾く。
『米海軍1930年度実質予算:要求額の40%以下。燃料・弾薬調達費、全額凍結』
『大西洋艦隊、稼働率20%未満。太平洋艦隊、ハワイへの航海演習を中止』
「彼らは今、戦艦を動かせない。訓練もできない。砲弾一発撃つのも、財務省の顔色を窺わなきゃならん。
……これじゃあ、ロンドン会議でアメリカが『軍縮』を叫ぶのも当然だ。
彼らは平和を愛しているから軍縮をするんじゃない。『金がないから軍艦を維持できない』という恥ずべき事実を、国際協調という美名で隠そうとしているだけだ」
後の機動部隊を率いることになる二人の猛将は、出されたオードブルに手を付けるのもそこそこに、東郷がテーブルに広げたリストを、獣のような目で睨みつけていた。
「……そして正気か、このリストは。東郷」
南雲が唸った。彼らの目の前のテーブルに広げられているカタログは、海軍の最新兵器でも、航空機の設計図でもなかった。
それはまるで、寂れた骨董屋の在庫リストのような代物だった。
『米国陸軍・余剰在庫リスト(US Army Surplus Inventory)』
「……おい、東郷」
南雲が、リストの一項目を指先で弾いた。眉間の皺が深い。
「俺はてっきり、最新鋭の戦艦の主砲か、あるいは新型の無線機でも買い付けるのかと思っていたぞ。
なんだ、これは。『マークVIII型・重戦車(Mark VIII Liberty Tank)』?
……聞いたこともないが、骨董品か?」
「骨董品ではありませんよ、南雲。……『漬物石』です」
東郷は、にこやかに答えた。
「重さ38トン、全長10メートル。英米が共同開発した『インターナショナル・タンク』ですが、最高速度は時速6マイル(約9km/h)。人間が小走りするより遅い。
欧州大戦中に塹壕突破用に設計された、正真正銘の鈍足な化石です」
「38トン?」南雲が呆れた。「そんなもん、日本の貧弱な道で走らせられないぞ」
「米陸軍はこれを約100両抱えていますが、広大なアメリカ大陸での機動戦には無用の長物です」
小沢治三郎が、その恐ろしい顔(あだ名は鬼瓦)を歪めて口を挟んだ。
「時速9キロ? 走る棺桶以下です。歩兵に追い抜かれる戦車など、現代戦では標的以外の何物でもない。
東郷大佐、我々がアメリカ人から巻き上げたカネで、アメリカのゴミ処分を請け負うつもりか?」
小沢の疑問はもっともだ。機動力を重視する航空主兵論者の彼にとって、鈍重な鉄塊など無価値に等しい。
「使いようですよ、小沢君」
東郷は、二枚の図面を広げた。上海の租界周辺、そして南洋諸島の防衛図だ。
「この戦車を『戦車』として使うから役に立たないのです。
……これを上海の路地や、トラック島の海岸に置いて、コンクリートで固めればどうなりますか?」
「……固定砲台か」南雲が唸る。「移動トーチカ……」
「その通り。上海のような市街戦や、将来の島嶼防衛において、速力は不要です。
こいつの装甲はわずか16ミリだが、歩兵の小銃弾なら弾き返せる。何より、側面に装備された57ミリ砲と数丁の機関銃は、暴徒や軽武装の敵兵を制圧するには十分すぎる火力です」
東郷は、ペンの先で図面を突いた。
「要塞を作るには、セメントと鉄筋と長い工期が必要だ。だがこいつなら、船から降ろして自走させるだけで、即席のトーチカが出来上がる。
……鉄屑価格に色を付けて買える要塞としては、破格だと思わんか?」
「さらに」東郷は続けた。
「この“漬物石”に積まれているエンジン。『リバティ V12』を知っているか?」
小沢の目が光った。
「……航空機用エンジンの転用ですか。300馬力級の、大戦中の傑作機ですな」
「ああ。アメリカにはこのエンジンの在庫と部品が山のようにある。
こいつを車体から降ろして、発電機や揚水ポンプに繋げばどうなるか。
南洋諸島の基地設営、あるいは満州のインフラ整備……電源のない荒野で、信頼性の高い300馬力の動力源が、即座に手に入るというわけだ」
「……戦車としてはゴミだが、発電所としては宝、ですか」
小沢は腕を組んで唸った。
「悪くない。飛行場の整備には電力が要る。リバティなら部品の調達も楽だ」
「……で、こっちはどうだ?」
南雲が、次のページをめくった。
『M1917 6トン軽戦車。在庫数950両以上。……全部品及び予備パーツ込みで一括売却希望』
「ルノーFTのコピーじゃないか。フランスが捨てた豆タンクだぞ。装甲も薄いし、遅い。こんなもの、陸軍の連中ですら要らんと言うぞ」
「こいつの用途は二つ」
東郷は、二本の指を立てた。
「一つは、警備用。
見ての通り、近代的戦闘には耐えないが、南米の鉱山に鉄道の警備や、国内の重要施設の門番には十分だ。見た目が戦車なら、暴徒への威嚇にはなるからな。
……そしてもう一つは」
東郷は小沢の方を向いた。
「小沢君、これは君へのプレゼントだ」
「俺に? 冗談はやめてください。俺は空を飛びたいんです。地面を這う豆タンクなど……」
「砲塔や装甲を外して軽量化し、フックをつける。
そうすれば……5トン級の強力な『トラクター』になる」
小沢は怪訝な顔をしたが、数秒後、その脳裏に雷が落ちたような衝撃が走った。
――空母の飛行甲板。
大型化する艦載機を、整備員たちが汗だくになって手押しで移動させている光景。
風が吹けば機体は流され、波で甲板が傾けば人が転倒する。発艦準備には膨大な時間がかかる。
「……牽引車、か!」
小沢が身を乗り出した。
「正解だ。
このM1917の開発時のコードネームは『スペシャル・トラクター』。接地圧は人間の足より低い(約0.48 kg/cm²)。
ゴムパッドを履帯に装着すれば、木製の飛行甲板を傷めずに走行できる。
時速8キロという鈍足も、狭い甲板上で重い飛行機を精密に移動させるには、むしろ好都合だ」
小沢の頭脳が、戦術計算を開始した。
アメリカ軍のM1917を900台。
これを各空母、各陸上基地に配備する。
今まで10人がかりで動かしていた飛行機を、このトラクター1台と運転手1人で動かせる。
省力化。発艦サイクルの短縮。
それは、地味だが決定的な「航空戦力(の回転数)の増加」を意味していた。
「……揚収はどうするのですか?」小沢が鋭く問う。「武装付きなら7トンあります。艦載クレーンじゃキツい」
「安心しろ。武装と砲塔、装甲はアメリカで取り外し、鉄屑として買ってくる。
そうすれば車体重量は5トン強。大抵のクレーンで吊り上げ可能だ。
まさに『空母用トラクター』に生まれ変わる」
小沢は、鬼瓦と評された顔を崩して悪魔のような笑みを浮かべた。
それは心底愉快そうな、そして敵に対する冷徹な嘲笑だった。
「……くくっ。傑作ですな。
アメリカ陸軍が『役に立たん』と捨てた戦車が、日本海軍の空母の上で、アメリカを攻撃するための飛行機を運ぶのか」
それは、米軍の武装解除に等しかった。
日本はカネで彼らの「服(装備)」を買い取り、彼らを裸(人員のみ)にする。
一方で日本はその「古着」を着込み、足腰を徹底的に鍛え上げる。
「……東郷。お前は本当に……」
南雲は、東郷の顔をしげしげと眺めた。
「アメリカの“贅肉”を削ぎ落としてやって、それを日本の“筋肉”に変えているのだな」
「ええ。今の彼らには、これを維持するカロリー(予算)がありませんから。
……ウィン・ウィンの取引ですよ」
三人の男たちは、静かに笑った。
ワシントンの桜並木が見える窓辺で、日本の軍人たちが、アメリカのスクラップ・カタログを囲んで談笑している。
そのカタログの一行一行が、日本の勝算を積み上げ、アメリカの勝算を削り取っているとも知らずに、ホワイトハウスは「不用品が高く売れた」と喜んでいることだろう。
この日決定された「ガラクタの大量購入」により、日本海軍の航空運用の効率と、前線基地のインフラ能力は、時間と予算をショートカットして飛躍的に向上することになる。
小沢治三郎が、窓の外を見た。
ポトマックの夜霧の向こうで、貨物列車が静かに動いている。
「……東郷さん」
彼はぽつりと言った。
「これ、戦争より酷くありませんか」
東郷は少し考え、微笑んだ。
「戦争は終わる。だが制度は残る」
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