電気の缶詰
石油の前にアルミについて1話入れます
時:1930年(昭和五年)、1月
場所:ワシントンD.C. 日本大使館・武官室
深夜の武官室。窓の外では、まだ寒波の残る風が大使館の窓を叩いていた。
東郷一成は机の上に広げられた日本本土の電力網計画図に、赤鉛筆で修正を加えていた。
その対面には、護衛兼秘書の橘小百合が座っている。彼女の手には、東京の堀悌吉から届いた「1.5ギガワット(GW)拡張計画」と「アルミニウム精錬事業」の報告書があった。
その傍らで、橘小百合が淹れたてのコーヒーを置きながら、ふと疑問を口にした。
「……大佐。素朴な疑問をお許しください」
「何だね、小百合君」
「本国からの報告によれば、発電所の規模を現在の1ギガワット(GW)から、さらに1.5倍の1.5GWへ拡張するとあります。……しかし、これはいささか過剰ではありませんか?」
小百合は、かつて陸軍で軍事知識の基礎を叩き込まれている。彼女の指摘は鋭かった。
「確かに、今の日本の産業界は『東郷景気』で活気づいています。昼間の工場はフル稼働でしょう。ですが……夜はどうしますか?
人は眠り、工場の機械は止まります。電気は貯めておけません。夜間に発電した膨大な電気は、ただ熱となって捨てられるだけです。
……石炭の無駄遣いではありませんか?」
東郷はペンを止め、面白そうに小百合を見上げた。
「いい着眼点だ。陸軍の教育も捨てたものじゃないな」
彼は立ち上がり、部屋の明かりのスイッチに手をかけた。パチン、と消す。
部屋は卓上ランプの薄明かりだけになった。
「小百合君。電気には弱点がある。君の言う通り『貯められない』ことだ。生鮮食品より足が早い。
だから電力会社は、一番電気を使う真昼のピークに合わせて発電所を作る。その結果、夜中は設備が遊んでしまい、稼働率が落ちる。これが電気代が高くなる原因だ」
「はい。存じております」
「だが……もし、電気を『缶詰』にして保存できるとしたら?」
「缶詰……ですか? 蓄電池のことでしょうか。ですが、あんな巨大な電力を貯めるバッテリーなど……」
「違うよ」
東郷は、机の引き出しから一つの金属片を取り出した。
鈍く銀色に光る、小さなインゴット。
「小百合君。……これは何に見える?」
「アルミニウム、ですね。軽銀とも呼ばれます」
「そうだ。いいかい小百合君。アルミというのは、別名『電気の缶詰』と呼ばれている。
ボーキサイトという赤い土からこの銀色の金属を取り出すには、呆れるほどの電気が必要だ。1トン作るのに、約2万キロワットアワー。
一般家庭が10年かかって使うような膨大な電気を、ギュッと凝縮して、ようやくこの銀色の塊ができる」
東郷はインゴットを指で弾いた。キーン、と硬質な音が響く。
「夜中に捨てられるはずだった電気を、アルミという『腐らない固体』に変えて保存する。
そうすれば、地球の裏側へ運んで売ることもできるし、倉庫に積んで相場が上がるのを待つこともできる」
東郷は、裏紙にさらさらと計算式を書き始めた。
【夜間電力の価値転換シミュレーション】
1.ただ電気として売る場合(夜間)
需要がないため、ダンピングしても買い手がつかない。
売値:ほぼ0円(捨て値)
2.アルミに変えて売る場合
アルミ1トン精錬に必要な電力:約20,000kWh(1930年当時の効率)
「我々の発電コストは、アメリカの捨て値で買った石炭を使っているからタダ同然だ。
原料のボーキサイトも、スリナムの自社鉱山から運んでくるから原価のみ。
計算上、我々が日本で作るアルミの製造原価は、輸送費込みでもトン当たり『200ドル以下』だ」
東郷は、そこでペンを止めた。
「さて、小百合君。アメリカのアルコア社が市場で売っているアルミの価格はいくらだ?」
小百合は、即座に脳内で情報を検索した。
「……暴落したとはいえ、トン当たりおよそ500ドル前後で推移しています」
「その通り。
つまり、夜中にタービンを空回りさせていれば0円だったものが、アルミに変えた瞬間に『300ドル(約600円)の粗利』を生む塊に化けるのだ」
600円――当時の日本の熟練工の年収に匹敵する額だ。
もし年間10万トンを生産販売すれば?これは1930年の米国総生産予定量(約8万トン)を上回るが、十分可能だ。
300ドル × 100,000トン = 3,000万ドル(約6,000万円)。
これは電気を普通に売った利益とは別に、夜間の「副業」だけで、戦艦も買える利益が転がり込んでくる計算になる。
小百合は息を呑んだ。
「……なるほど。電気を売るよりも、電気を形に変えて売る方が、遥かに付加価値が高いのですね」
「それだけじゃないぞ」
東郷の目が、軍人のそれに変わった。
「小百合君、君は元陸軍だ。アルミ(ジュラルミン)が何に使われるか、知っているな?」
「……はい。航空機の機体、エンジンの部品、信管……近代兵器の骨格です」
「そうだ。
我々がアルミを量産するということは、日本が『航空機を無制限に作れる国』になるということだ。
鉄は重いが、アルミは翼になる。
この1.5GWの電力は、日本の空を埋め尽くす『銀の翼』の卵なのだよ」
その言葉に、小百合は戦慄した。
東郷は単に儲け話をしているのではない。国家の戦争遂行能力の根幹を、ビジネスの皮を被って構築しているのだ。
しかし、小百合には一つ懸念があった。
「ですが大佐。そんな安値で日本製のアルミを大量に輸出したら……アメリカ市場を独占しているアルコア社が黙っていません。
ダンピング提訴や、関税障壁で対抗してくるのでは?」
東郷はカップに残ったコーヒーを飲み干し、不敵に微笑んだ。
「そのための『手打ち』だよ」
彼は電話機を指差した。
「先ほど、ピッツバーグのリチャード・メロン(メロン財閥総帥)と話がついた」
「……え?」
「我々は、作ったアルミを市場でバラ売りはしない。
その大半を、アルコア社に『卸してやる』ことにした」
東郷は、指を四本立てた。
「卸値は、トン当たり400ドル。
我々にとっては倍の利益だ。しかも外貨だ。
そしてアルコアにとっても、自社で作るより(コスト高で苦しんでいる現状では)安く仕入れられる」
「……敵に塩を送るのですか?」
「違う。『首輪』をつけるのだ」
東郷は冷徹に言った。
「アルコアを潰してはいけない。潰せば、アメリカ政府が介入してきて国営化するか、日本製品を締め出す極端な保護貿易に走るだろう。
だから、生かさず殺さずだ。
『日本から買ったほうが儲かる』という状況を作れば、アルコアは日本のアルミに依存するようになる。彼らは自社の高コストな精錬所を閉鎖し、単なる『販売代理店』へと成り下がるだろう」
小百合は、目の前の男に改めて敬慕の念を抱いた。
彼は電力網を広げ、資源を掘り出し、そして敵企業の経営すらコントロール下に置こうとしている。
すべては、血を流さずに勝つために。
「……承知いたしました」
小百合は深く頭を下げた。
「……ああ、それと」
東郷は、悪戯っぽく付け加えた。
「リチャード・メロンから、極上のスコッチが届くはずだ。
『素晴らしい取引をありがとう』とな。
……禁酒法の国で、財務長官の弟から酒をもらうのも、乙なものだろう?」
小百合は、思わず吹き出した。
この男の周りでは、世界の常識がいつも少しだけ歪んで、そして楽しく回っているようだった。
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場所: 東京・霞が関 商工省・工務局長室
商工省の岸信介は、机の上に置かれたキラキラと光る薄い金属のシートを、まるで宝石でも見るかのように眺めていた。
それは海軍がスリナムから最初のロットとして持ち帰ったボーキサイトを、鶴見の発電所の電気で精錬し、住友の圧延技術で極限まで薄く伸ばした試作品――「アルミ箔」だった。
「……なるほど。海軍さんは、これで世界中の家庭を爆撃するつもりか」
同席していた海軍艦政本部の技術大佐・藤本喜久雄が、ニヤリと笑った。
「爆撃ではありませんよ、岸さん。『包装』です」
藤本は、一枚の板チョコを取り出した。銀色の紙に包まれている。
「人は、衛生と利便性を好みます。湿気を防ぎ、光を遮り、見た目も美しい。このアルミ箔は、食品、タバコ、医薬品……あらゆる商品を包むのに最適です。
錫よりも安く、紙よりも強い」
岸は、計算尺を弾いた。
「……原価はタダ同然の電気とボーキサイト。それを加工して付加価値をつければ、利益率は50%を超える。
しかも、これは消耗品だ。一度使えば捨てられ、また新しいものが売れる。……永遠のドル箱だ」
岸は、アルミ箔を光にかざした。
「東郷一成。……恐ろしい男だ。
彼は航空機のジュラルミン(硬いアルミ)で空を制し、このペラッペラのアルミ箔(柔らかいアルミ)で胃袋を制するつもりか」
岸は、即座に決断した。
「よし。商工省として、食品包装業界へのアルミ転換を強力に指導する。同時に、三井・三菱を通じてアメリカの食品メジャーに売り込みをかけろ。
『衛生』と『近代化』を売り文句にな」
その数年後。
アメリカの一般家庭のキッチンには、「アルコア・ラップ(製造:日本提携工場)」が常備されるようになった。
主婦たちは知らなかった。
子供のお弁当を包むその銀色の紙が、巡り巡って日本の最新鋭戦闘機の装甲板と同じルーツを持ち、その代金が日本の国力を支えていることを。
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