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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第一章

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「見えざる経済圏」の誕生

関東大震災の焼け跡。

帝都復興の切り札として、東郷一成が差し出したのは「海軍制度債」だった。


第一次大戦後の反動不況。ワシントン軍縮条約による予算の削減。さらに震災という三重苦。

首相の山本権兵衛からのたっての願いで、当初蔵相に予定されていた日本銀行の井上準之助ではなく、国家財政を一手に任された総理を辞して間もないばかりの蔵相・高橋是清は、その案を前に、深く眉間にしわを刻んでいた。


是清は書斎で東郷と向かい合う。

彼の理路整然とした説明に、是清は舌を巻かざるを得なかった。


「ご懸念は承知しております」


東郷は静かに言葉を継いだ。


「まず、制度債は円に兌換されません。あくまで海軍の役務と交換される限定券にすぎません。直接インフレを招くことはないのです」


さらに畳みかける。

「しかも大蔵省との協定で、発行した与信枠の一定比率は国債購入に回すよう仕組みます。資金は必ず資本市場を一度経由する。よって政府当局は、市場への流通量を――遅延はあれど――推測できるのです」


是清は腕を組み、巨体を椅子に沈ませた。

頭の中で猛烈にソロバンが鳴る。


確かに、利点は大きい。

円が直接ばらまかれぬ分、物価は直撃を受けない。

「国債購入枠」は復興のため増発せざるを得ぬ国債の買い手を確保する。

財政家として、これほど助かる話はない。


だが――。

是清の眉間に影が走る。

「一定比率」を守れば、残りは海軍の裁量。

つまり、”大蔵省の統計に決して現れない 影の信用回路” が生まれる。


頭の中のソロバンが止まった。唇を噛む。

それは数字で追えぬ、黒い川のような流れだった。


「通貨化しない」という東郷の理屈は正しい。

だが、特定の経済圏で絶大な購買力を持つなら、それは事実上の通貨だ。


「国債購入枠へ誘導」という仕掛けも、一見は資金の可視化だが、主導権は海軍にある。

投入の規模と時期を操れば、市場を左右できる。


最も危険なのは――資金が一度資本市場を通ること。

国債で得た資金が民間株式や社債に回れば、海軍は産業界を支配する。

もし外国債に向かえば、国際資金回路すら手にする。


是清は長く深い息を吐いた。

目の前の若者が差し出す「安心材料」は、実は爆弾を包んだ糖衣なのだ。


彼は東郷の瞳をじっと見た。

そこには父・平八郎譲りの胆力とアナポリスで磨かれた鋭さが宿っている。

この男は、国家という巨大な仕組みの設計図を書き換えようとしている――。


是清は深く息を吐いたのち、東郷を鋭く射抜いた。

「……最後に一つだけ問おう。もし海軍がこの力に酔いしれ、己の裁量で暴走したら、誰が責任を取る? 君か? それとも、御父上の平八郎元帥か?だが、海軍だけでなくあの司法大臣の平沼騏一郎すら、理解を示していると裏が取れている……」


彼の脳裏に、瓦礫の中で泣き崩れる母親の姿が浮かんだ。この国を立て直すには、正攻法だけでは間に合わぬ。東郷の提案は時宜を得ていた。

「分かった。東郷君、提案を受け入れよう」


しかし是清は釘を刺すことも忘れなかった。

「だが忘れるな。この力は劇薬そのものだ。誤れば、国そのものを蝕む。大蔵省は、いやこの是清は監視を緩めんぞ」


東郷は静かに頭を下げたまま、短く言葉を添えた。

「閣下のご英断、必ずや国家の力に変えてみせます」

その声音は低く、だが揺るぎない決意を帯びていた。


こうして1923年、焼土の中から「海軍制度債」と見えざる経済圏が産声を上げた。

それは、異能の士官と老練の財政家の間で交わされた危険な契約だった。



1924年秋、ニューヨーク・ウォール街。

J・P・モルガン商会の役員室。

磨かれたマホガニーの長机。上座にはトーマス・W・ラモント。

彼は震災復興国債を取りまとめた男であり、世界経済を陰で操る一人で、彼はモルガンの海外投資において最も重要な代理人の一人だった。


だが今、彼は困惑していた。

「フランク、君の話はよく分からん」

ラモントは声を落とした。


「日本の『海軍制度債』? 知っているとも。東京支店から報告もある。震災を支える振興券の類いだろう? 発行額も小さく、影響は皆無。むしろ日本が安定するのは国債保全のために好ましい」


それはウォール街の常識でもあった。

世界はドルとポンド、そして金で回る。

他の信用など、児戯にすぎない。


だがFDRは、静かに首を振った。

「トム、君は本質を見誤っている」

彼は指先でテーブルを軽く叩いた。


「あれは地域振興券ではない。世界初の“主権を持つヘッジファンド”だ。それも世界第三位の海軍力を担保にした、危険極まりない代物だ」


ラモントの眉が跳ね上がる。

FDRは身を乗り出し、話を続けた。


「彼らは『軍功』という誰にも測れぬものを担保に、信用を創る。その信用は円やドルを通らず、直接、輸送力や労働力、資材に変わる。透明な獣だ」


一呼吸置き、FDRは声を落とす。


「最も恐ろしいのは『国債購入枠』で得た円の使い道だ。そして、ルーズヴェルト家が持つ対中国貿易の船荷の動きに対する情報網が、どうも日本の軍需物資の動きと奇妙に連動していることをつかんだ。その一部は南満州鉄道の社債や三菱など海軍に親しい財閥の株に回っている。つまり彼らは日本の大蔵省の外で、戦争の産業基盤を合法的に育てているんだ」


ラモントの顔色から余裕が消えた。

それはロンドンとニューヨークが築き上げた秩序への挑戦を意味するからだった。


「つまり日本人は、我々から借りた金で復興しながら、外で『見えざる帝国』を築いているのか?」


呻くラモントに、FDRは静かに答えた。


「帝国かは分からん。だが一つ確かなことがある。ワシントンで我々が縛ったのは軍艦の数だが、東郷一成は、その裏で『カネの流れ』を設計し直し、条約の軛を一つ抜け出してみせた」


彼の瞳には、再びあのワシントン会議以来の敵意が燃えていた。


「トム、これはもはや海軍軍人の話ではない。我々金融家と法律家への挑戦だ。この戦いに敗れれば、失うのは島々ではない。世界の経済覇権そのものだ」

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