第七章 ~『断られた治療』~
無実を証明するには謎を解く手掛かりが必要になる。子猫の安否確認も兼ねて、医官の意見を聞くために医房へ向かうと、その道中で翠玲を見つける。子猫を抱えて俯いており、悪い予感が頭に過る。
「翠玲様!」
「琳華……」
声を掛けられたことで琳華に気付いた翠玲は顔を上げる。眉根を下ろす彼女の表情は残念な結果を伝えていた。
「動物は専門外だからと医官に治療を断られたわ」
子猫は一命を取り留めたが、瀕死の状態だ。毛は乱れ、呼吸が粗く、瞳は焦点が合っていない。微かな鳴き声を漏らす弱々しい姿に、心が締め付けられていく。
「私が琳華のように上手く説得できれば……」
「翠玲様は悪くありませんよ。無理強いもできませんから、この結果は仕方がありません」
医官は多忙であり、診療は人間が優先される。たまたま手が空いているか、猫好きなら受け入れてくれるかもしれないが、現実は期待した通りにはならなかった。
「ですが困りましたね。専門家の意見を聞ければ、春燕様の無実の手掛かりも得られると思ったのですが……」
「もしかして春燕が疑われているの?」
「実は……」
翠玲が子猫を医官の元へ運んだ後に起きた出来事を説明する。春燕の巾着から怪しげな薬が発見され、容疑者として疑われていることを話すと、翠玲は驚きと共に、琳華の目的を理解する。
「春燕の巾着から発見された薬と、子猫の口にした毒が一致するかどうかを確認したいのね?」
「もし違えば、春燕様の疑いが晴れますから」
容疑者となっている最大の要因は、春燕が怪しげな薬を持っていたからだ。それと事件の関連性がなくなれば、白とはいえなくとも、黒ではなくなる。
「春燕はどうしているの?」
「託児館で待機しています。今はまだ下手に動かない方が良いでしょうから」
自由に行動することで、証拠隠滅を疑われるかもしれない。心象を悪くしないための待機だと伝えると、翠玲は大きく頷く。
「春燕の無実を証明できるかどうかは、私たちの肩に掛かっているわけね」
「そうなります。それに子猫も応急処置で一命を取り留めましたが、きちんとした知識のある人に診てもらった方が良いでしょうね」
「なら薬師はどうかしら?」
「医官と同じくらい多忙でしょうが……あの人なら診てくれるかもしれません」
「あの人?」
「我に策ありです」
善は急げと、琳華たちは後宮の一角に位置する薬房へと向かう。足を踏み入れ、薬草や漢方薬の香りに包まれた琳華は目当ての人物を探す。
「玉蓮様はいますか?」
静寂を切り裂くように声が響き渡ると、やがて、上の階から軽やかな足音が響き始める。
落ち着いた様子で階段を一段一段降りてきたのは玉蓮だった。歩みは緩やかだが、背筋はまっすぐに伸びている。
「私に何のようかしら?」
「協力して欲しいことがあって来ました」
「琳華が私に……ああ、なるほど。その子猫を治療して欲しいのね」
翠玲に抱かれた子猫を一瞥しただけで、用件を伝えずとも事情を察する。
「私がどういう人間かは知っているわよね?」
「善意で頼みを聞いてくれるとは思っていません」
「ふふ、話が早くて助かるわね」
職責で動く他の医官や薬師とは違う。損得勘定が働く玉蓮だからこそ、ある意味で交渉の余地があった。
「琳華が後宮を去る。この条件なら治療してもいいわよ」
「それは受け入れられませんね」
慶命と一年は働くと約束している以上、琳華の一存で了承するわけにはいかない。
「なら私のために何をしてくれるの?」
「玉蓮様の評判を高める手伝いをするのはどうでしょうか?」
「へぇ、それは悪くないわね」
玉蓮が興味を示したのは、貴妃が側近を採用する際に、後宮内での評価が重要になってくるからだ。
猫を治療するだけであれば、大きな手間にもならない。労力をかけずに評価を高められる機会を玉蓮が見逃すはずがなかった。
「具体的にはどう協力してくれるの?」
「子猫を飼っている託児館には奉仕者が大勢います。彼女たちは治療してくれた玉蓮様に感謝するでしょう。その噂は広がり、いずれは貴妃様の耳にも届くはずです」
可愛がっている子猫の危機を救ったとなれば、玉蓮を褒め称える声は大きくなる。側近を選定するために情報収集している貴妃ならば、その声を聞き漏らすはずもない。
「琳華は交渉も上手ね」
「ということは……」
「私が責任を持って治してあげる」
玉蓮ははっきりとした口調で言い放つ。その声には迷いのない力強さがあり、薬師としての能力に絶対の自信を含んでいた。
「子猫を預かるわね」
玉蓮はゆっくりと手を差し出し、優しく子猫を受け取る。指先に繊細な注意が払われており、驚かないようにと配慮が込められていた。そっと抱えた玉蓮は、ジッと様子を観察する。
「毒でも飲んだの?」
「見ただけで分かるのですね」
「プロだもの。それで、毒の種類に見当はついているの?」
「これを見て頂けますか?」
春燕の巾着から出てきた薬包を手渡すと、玉蓮は首を横に振る。
「この薬は猫に害がないわ。安心しなさい」
「それは間違いありませんか?」
「薬師としての誇りに誓うわ」
これで春燕が容疑者となっていた根拠が消える。疑いが払拭されたことで、琳華と翠玲は笑みを零す。
「目的達成ですね」
「これで春燕は冤罪だと説明できるわね」
二人の会話から事情を察したのか、玉蓮は少し眉を寄せて抗議の声をあげる。
「春燕を助けるためだなんて、聞いていないわよ」
「正直に話せば断られていたかもしれませんから」
「してやられたわね」
「ですが、嘘はついていませんよ。玉蓮様の評判が高まることは私が保証します」
玉蓮は瞳の奥にかすかな怒りを宿しながらも、理解が広がったようにふっと笑みを浮かべる。
「まぁいいわ。許してあげる。子猫を毒から救ったより、薬の知識を使って冤罪を晴らした方が、より評価は高まるわ。その相手が春燕だったのは不服ではあるけれど、許容してあげる」
理由がどうであれ琳華の目的は達せられた。その喜びで口元を綻ばせていると、その反応が気に入らないのか、玉蓮は鋭い口調で告げる。
「用件が済んだなら、猫の治療の邪魔になるから帰りなさい」
薬師としての使命感が込められた一言に、琳華と翠玲は互いに目を見合わせると軽く頷く。
「では、失礼します」
静かに一礼して、薬房を後にする。外の空気を吸い込み、薬草の香りから解放されると、自然な足取りで託児館へと向かっていた。
「春燕の疑いが払拭されたと伝えれば、きっと喜ぶわね」
「でしょうね……ただ……真犯人はまだ明らかになっていません」
春燕と蘭芳にしか犯行は不可能だが、二人は毒を所持していない。消えた凶器の謎に思考を巡らせていると、翠玲が思いついたように口を開く。
「もしかしたら犯人なんていないのかもしれないわよ」
「急に体調不良で倒れたと?」
「その可能性もあると思ったの。だってそうでしょう。春燕はそんな馬鹿な真似をするはずがないし、蘭芳も幸せの絶頂期に猫を虐めたりしないでしょうから……ほら、赤橙色の宝石の指輪を嵌めていたでしょ。以前は身につけていなかったし、新しく恋人ができたばかりじゃないかしら」
猫に毒を盛る行動の動機が不幸の八つ当たりだとしたら、私生活が満たされている蘭芳の仕業ではないはずだと、翠玲は主張する。その一言が琳華の頭に閃きを生んだ。
「まさか……いえ、厨房ならあれが……」
「もしかして、犯人が分かったの?」
翠玲の問いに、琳華は不敵な笑みを浮かべて頷く。
「宝石の謎は解けました」




