第四章 ~『映雪との再会』~
恩賞として外出許可証を与えられた琳華は、天翔と一緒に馬車に乗っていた。後宮での暮らしから解放され、自由なひとときに胸を高鳴らせる。
窓からは街の賑わいが伺え、対面に座る天翔の表情にも笑みが溢れていた。
「琳華に誘ってもらえて、とても嬉しいよ」
「むしろ私の方こそ、お付き合いしていただいて、ありがとうございます。迷惑ではありませんでしたか?」
「まさか。君との外出は僕にとって楽しみの一つだからね」
馬蹄の音を響かせながら、馬車は石畳の道を進んでいく。二人が軽口を交わしながら、充実した時間を過ごしていると、やがて宝石店の前に到着する。店先には変わらず『後宮管理物件』と記された木製の看板が掲げられ、手入れの行き届いた植物が並んでいた。
「ピークを外している時間帯を狙いましたから。他のお客さんはいないようですね」
迷惑をかけずに済んだと安堵しながら、馬車から降りて店の扉を開く。木製のショーケースが整然と並び、高級感を感じさせる赤い壁紙が暖かみのある雰囲気を演出していた。
カウンターの奥で訪問を待っていた映雪が、歓迎するように手をあげる。
「ふたりとも久しぶりね」
「映雪様もお元気そうで何よりです」
釣り上がった瞳は一見すると厳しい印象を与えるが、口元に浮かべた笑みが親しみやすさを演出していた。彼女なりの努力を感じ、琳華は微笑む。
「接客にも慣れてきたようですね」
「店長代理だもの。責任者としてやるべきことはするわ」
「雇い主としては頼もしい限りですね」
温かい出迎えを受けた琳華たちは、応接室へと案内される。テーブルセットと落ち着いた色調の絨毯が敷かれた空間には、調度品が品良く配置されている。
窓際には色鮮やかな胡蝶蘭の花が飾られ、部屋全体に心地よい香りが漂っている。その優雅さに目を奪われていると、映雪がクスリと笑う。
「私のセンスも捨てたものではないでしょう?」
「とてもお洒落だと思います」
「麗珠様の右腕として多くの来賓を饗してきた経験のおかげね」
映雪の言葉には誇りが滲んでいた。上機嫌に鼻歌を奏でながら、お茶を用意してくれる。
「薬を混ぜたりはしていないから。安心していいわよ」
映雪の冗談を琳華は笑って受け止めると、昔の思い出話に花を咲かせていく。笑い声が部屋に響き、穏やかな雰囲気が漂った。
「麗珠様とも会いましたか?」
「外に出てから一度だけね。そのとき、琳華のことも話題にあがったのよ。なんでも名探偵として色んな人から頼りにされているとか」
「そう呼ぶ人もいますが、たいしたことはしていませんよ」
琳華は照れながら謙遜するが、隣には後宮での彼女をよく知る天翔がいた。
「君の言う通り、琳華は実績を残し、その成果から上層部でも優秀だと評価されている。そろそろ上級女官への昇進の声がかかってもおかしくないほどにね」
「やっぱり琳華は凄いわね!」
「買いかぶりですよ。天翔様は優しいので、褒めてくれているだけですから」
高すぎる評価に琳華は困り顔を浮かべて、訂正を続ける。
「私に上級女官はまだ早いです。なにせ後宮に入ってからの日が浅すぎますから」
「でも常識を覆すのが琳華でしょ」
「私自身、出世に興味がないんです。それに意欲がない人を昇格させるほど、後宮も酔狂ではないでしょうし、そもそもどういう基準で昇格するかも分かっていませんから」
「なら私が教えてあげるわよ」
「別に知りたくもないのですが……」
「聞いて損する話でもないでしょう?」
「それはそうですが……」
強引な親切心にたじろいでいると、映雪が解説を始める。
「上級女官になるためには、皇族や総監などの大物の推薦が必要なの。その上で実績が認められれば、昇格できるわ」
「簡単な道のりではなさそうですね」
「それはそうよ。なにせ上級女官になれば、ワンフロアすべてが自分の部屋になる上に、給金も桁が上がるのよ」
「ここから一桁上がるのですか……」
中級女官の今でさえ不相応だと思えるほどの高給だ。だが映雪は首を横に振る。
「勘違いしているようだけど、桁は最低でも三つは上がるわよ」
「えええっ!」
「さらに予算も付与されるの。業務に必要なものは自由に調達できるし、部下を抱えることもできる。だからこそ女官たちは皆、上級の立場に憧れるのよ」
魅力を伝え終えた映雪は、琳華の様子を伺う。だが聞いた上でも、彼女の心が動くことはなかった。
(どうしましょうか……まったく興味が湧きませんね……)
琳華の望みは宝石鑑定士として生きることだけ。給金が高いに越したことはないが、責任ある立場に就いて、辞められなくなる方が嫌だった。
「その様子だと本当に興味がないようね」
「質素な生活でも十分に楽しいですから」
「でも権力の頂きはもっと楽しいかもしれないわよ。上級女官の更に先、女官たちの頂点に立てば、見えなかった景色も見えるはずだもの」
「その山を登るのは、他の人にお任せします」
「琳華以外に適任者がいるかしら?」
「麗珠様なら如何ですか?」
四大女官の一人である麗珠は十分に頂点を狙える位置にいる。出世は彼女に任せればいいと伝えるが、映雪は苦笑いを浮かべる。
「麗珠様は優秀よ。皇后様の覚えもめでたいし、教養もある。上級女官の序列二位には辿り着けるかもしれないわ。でも頂点は無理よ。あの人は部下に甘いから……桂華にはきっと勝てないわ」
それが美点でもあるのだけれどと、映雪は続ける。
「上級女官は全部で十五人。その中でも特に力を持つ上位の四人が四大女官と呼ばれているの。でもね、その四人の中でも桂華は群を抜いているの。あの怪物に打ち勝つには、強い力と心がいるわ。その条件を満たしているのは、私の知る限り、琳華だけよ」
映雪の称賛に耳を傾けていた天翔も、その意見に同意して頷く。
「僕の印象も同じだ。琳華ほどの逸材は他にいない。君なら桂華が相手でもきっと負けないはずさ」
称賛を受け取りながら、琳華は曖昧な笑みを浮かべる。買いかぶりすぎだと思いながらも、優秀だと評価してくれる二人に感謝していた。
そんな時、店の扉が勢いよく開かれる。強い風が吹き込み、店内の雰囲気が一変すると、気の強そうな高齢の女性が入店してくる。彼女の姿は堂々としており、威厳が滲んでいた。
「店主さんはいるかしら?」
女性の声には怒りが含まれている。映雪を庇うため、琳華は咄嗟に反応して、まっさきに応接室から顔を出す。
「私が店主です」
琳華が名乗りを挙げると、女性は訝しげな目を向ける。
「なら、そこの人は?」
「映雪様は店長代理です」
「ふ~ん、なら上役のあなたに言うべきね」
女性は包みからネックレスを取り出すと、琳華に突きつける。そこに嵌め込まれた宝石はアメジストだ。本来なら深い紫色の輝きを放つが、女性の持ってきたものは色が薄くなっていた。
「私に不良品を売りつけたわね」
女性の言葉に、緊張感が奔る。琳華の表情にも一瞬だけ驚愕が浮かぶが、すぐに冷静さを取り戻す。
「申し訳ございません、お客様。すぐに確認させていただきます」
「確認なんて必要ないわ。明らかに色が薄れているんだもの」
女性は腕を組みながら、不満を口にする。客は自分が騙されたと思い込んでおり、その言葉から嘘は感じられない。
「これは前回と同じ……」
天翔は疑念の目を向ける。価値のない宝石を偽って売りつける手口は、かつて映雪が皇后相手にやったものと似ていたからだ。
「天翔様、映雪様はなにもしていませんよ」
だが琳華は映雪を信頼していた。強気な客を相手にしても引き下がろうとしない。
「私は宝石鑑定のプロです。詳しく調べれば原因の特定にも繋げられます。だからどうか、私にそのアメジストを調べさせてください」
女性は一瞬琳華を睨みつけたが、その冷静な態度に落ち着きを取り戻す。
「少しだけよ」
「ありがとうございます」
女性からネックレスを受け取ると、琳華は丁寧に観察し、アメジストの色が均一に薄れていることに気づく。
「このアメジスト、長い時間、日光に当てていませんでしたか?」
琳華の問いかけに、女性は驚いた表情で答える。
「窓際に置いていたことがあるわ。だから何?」
「アメジストは紫外線に弱く、長時間日光に当たると色褪せるのです。均一な色の薄れ方を見ても間違いないかと」
説明を聞き終えると、女性は気まずそうな態度へと変わる。
「そういえば購入した時にそのような説明をされたわね……」
「アメジストは暗くて通気性の良い場所に保管すれば、色の劣化を防ぐことができます。少し色落ちしてしまいましたが、きちんと管理すれば、これ以上悪化することはありませんから」
自分が間違っていたと知った女性は素直に話を聞き入れる。悪質なクレーマーではないと知った琳華は、カウンターの奥から宝石箱を運んでくる。
「お客様、こちらをお詫びの印としてプレゼントいたします」
箱は手のひらに収まるほどの大きさで、上質な木材で作られていた。木の表面には細やかな彫刻が施されており、職人の技が輝いている。そこそこ値が張るものだと、一目で分かる品だった。
「私が悪いのに、こんなもの頂けないわ」
「うちの店を愛用してくれる大切なお客様ですから。それにこの宝石箱に仕舞っておけば、アメジストもこれ以上は色落ちしません。どうか宝石のためにも受け取ってください」
女性は一瞬驚いた表情を見せた後、次第に笑みを浮かべる。
「これからも、この店を重宝させてもらうわね」
「またのご来店をお待ちしております」
女性が満足そうに宝石箱を受け取ると、店を後にする。琳華は深々と頭を下げ、彼女の姿が見えなくなるまで見送った。
店内には穏やかな空気が蘇る。琳華が一息つくと、映雪と天翔から盛大な拍手が送られる。
「さすが琳華ね。あれほど見事な対応、私ではできなかったわ。嫉妬しちゃうくらいに優秀ね」
「同感だよ。君の心配りによって、あのお客はこれからも店に通ってくれる。経営者として一流の判断だったと思うよ」
二人の称賛に照れながら、琳華は頰を掻く。その様子を見守っていた映雪は、一つの確信を付け加える。
「私の見立てた通り、琳華は桂華に匹敵するだけの才能がある。あなたなら後宮のトップも夢じゃないわ」
映雪の称賛を買いかぶりすぎだと思う反面、純粋な気持ちを無下にもできない。琳華は評価を素直に受け入れると、小さく頭を下げるのだった。




