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影武者信玄 ~ 御旗楯無も御笑覧あれ ~   作者: 浦賀やまみち
山の章

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第04話 越後の龍と甲斐の虎




「申し訳ない。待たせてしまったな」


 夏の短い乾季だけにその姿を現す犀川の中洲。

 そこへ船で渡り、今日の為だけに作られた舞台の階段を上ると、それを合図に先客の二人が床几から立ち上がって出迎えてくれた。


「なんの、待たせたのはこちらの方です」

「さあさあ、信玄様もお座り下さい。この時をどんなに待った事か」


 意外と感じたのは上杉輝虎の態度だ。

 藤孝殿がニコニコの笑顔でご機嫌なのは予想通りだが、上杉輝虎の機嫌も悪くない。


 こうして、俺が直接相対するのは初めてだが、上杉輝虎は晴信の宿敵である。

 信繁さんと勘助さんの評判を話を聞く限りでも二人の確執の根は深い。この会談では上杉輝虎の機嫌をいかに和らげるかが最重要の課題とされた。

 さすがにふんぞり返ってはいないにしろ、腕を組んで足を開くか、組むかをして、こちらを威嚇する様に待っているくらいはしていると俺達三人は予想していた。


 しかし、いざ蓋を開けてみたらそうでもない。

 俺の姿を確認するや床几から立ち上がり、柔らかな微笑みと共に踵を揃えての礼で迎えてくれ、その言葉遣いにも敬いと労いが有るではないか。


 今だって、俺が床几に座るのを待ってから、床几に座り戻っている。

 上杉輝虎の中でどんな変化が有ったかは知る由もないが、幸先の良さを感じる。


 それにしても、ドラマや映画での上杉謙信役は二枚目が演じる事が多いが、実物も本当にイケメンだ。

 俺も、上杉輝虎も仏門へ入っており、同じハゲであるにも関わらず、上杉輝虎のハゲがファッションハゲなら、俺のハゲは只のハゲ。この印象の大きな違いは何なのか。


「さて、単刀直入に申し上げよう。

 上杉殿、今まであった蟠りを捨てて、我が武田家と和を結んではくれまいか?」


 そんな嫉妬心をグッと堪えて、作戦変更だ。

 俺と信繁さんと勘助さんの三人がああでもない、こうでもないと三ヶ月前から練ってきた今日の台本では他愛もない世間話から始まり、幾つかの雑談を挟み、その都度に上杉輝虎の様子を探りながら本題を切り出す予定だった。


 だが、上杉輝虎の様な武芸に秀でた者は回りくどい探り合いを好まない傾向が強い。

 せっかく頭に詰め込んだ台本の半分以上を放棄するのは非常に無念だが、それを惜しんで会談を失敗しては意味が無い。本題を開口一番に放つ。


「喜んで……。と言いたいところですが、その前にお聞かせ願いたい。

 こう言ってはご不快に感じるやも知れないが、以前の武田殿ならその様な考えはなさらなかった筈だ。

 事実、我々は十年に渡って戦い続けた。どうして、それが今更になっての心変わりか? 是非とも、その明確な答えを頂きたい」

「輝虎様、その言い様はあまりにも……。」


 その瞬間、上杉輝虎の眉が微かに跳ね、その目が輝くのが見えた。

 俺の見立てはやはり間違っていない。今まではどちらかと言ったら武田家との同盟を否定的に思えた上杉輝虎の心が変わり、肯定的に傾いているのは確実だ。


 しかし、上杉輝虎が北なら、俺は南に座り、立会人の藤孝殿は西側に座っている為、それを見逃したのだろう。

 信濃を手に入れる為、謀略を重ねてきたお前と盟約を結んだところで何の意味が有ると言葉外に告げる上杉輝虎の皺を眉間に刻んだ剣呑な眼差しに焦り、慌てて藤孝殿が床几から腰を浮かせる。


「構わない。儂のこれまでの行いを顧みれば、当然の疑問だ。

 では、上杉殿は知っておられるか? お主が『越後の龍』と京で呼ばれているのを?」


 俺達三人が作り上げた台本は完璧だ。思わず笑みが零れそうになるのを堪える。

 上杉輝虎の背後に見える犀川の北側に靡く上杉軍の旗に遠い眼差しを向けながら、頭の中にある台本の質疑応答その三を選択して実行する。


 余談だが、第二回目の川中島が行われた時、晴信と上杉輝虎は犀川を間に挟み、二百余日に及ぶ長期の対陣を行っているが、それがこの場所なのだとか。

 当時を知る者達にとって、因縁を感じすにはおれないのだろう。上杉軍も、俺の背後に居並ぶ武田軍も静寂は保っているが、一発触発の緊迫感も有り、数万の視線が常に突き刺さっているのをひしひしと感じる。


「いえ……。藤孝殿、そうなのか?」

「はい、この善光寺平で三度に渡って行われた御二人の合戦は名勝負とされ、今では講談になっていまして。

 その中で輝虎様は『越後の龍』と、信玄様は『甲斐の虎』と称されています。

 誰が最初にそう呼んだかは解りませんが、恐らくは輝虎様が不動明王の龍旗を掲げているところと『竜虎相搏』の故事に因んだものかと」


 ここを会談の場所に選んだ理由は簡単だ。

 万を超える両軍を間近に置き、誰からも会談場所が見えながら口出しも、手出しも出来ず、最少人数に設定が出来る格好の場所がここだったからである。


 なにしろ、俺は何処までいっても晴信の影武者。

 今では誰もが俺を晴信だと信じきって、俺自身も晴信を演じるのが当たり前になっているが、本物には決してなれない。


 端的に言うと、晴信が煌めく玉なら、俺は何処にでも落ちている石。

 三流大学卒業の俺は晴信の様な頭の冴えは持っておらず、持っているモノと言ったら未来知識による先見の眼(偽物)くらい。


 その為、想定外の状況に弱い。アドリブが効かない。

 こちらが用意した台本から外れれば、外れるほどに化けの皮が剥がれ、俺の色がどうしても濃くなってしまう。外野から口を出されて、話題が想定外の方向に逸れては堪らない。


「そう、それだ。初めて聞いた時、実に言い得て妙だと感心したものだ。

 但し、儂は藤孝殿が今言った理由に加えて、もう一つの理由を感じてだがな」

「もう一つの理由……。ですか?」


 逆に言えば、ターゲットを一人に定めさえしたら台本は作り易い。

 特に今回のターゲットは義を重んじる上杉輝虎。好みがはっきりと解っており、今日までの準備期間が長かった為、これ以上はないと自信を持って言えるくらいの台本が出来上がっている。


 不確定要素を挙げるとするなら、藤孝殿だ。

 実を言うと、この会談の立会人は善光寺の上人殿に当初は務めて頂く予定を立てていた。


 だが、この会談を開く為、西へ、東へ奔走したのは藤孝殿である。

 たまたま来訪時期が重なったとは言え、その藤孝殿を差し置いて、立会人を他の誰かに任せる不義理は出来ない。


 ただ、藤孝殿は当代一の教養者。あまり口を挟まれては困る。

 義輝様の代弁者として室町幕府の外交を一手に引き受けており、こういった場の経験値が高い。

 今だって、俺が視線を向けたのは上杉輝虎だが、上杉輝虎が何も言葉を発しないと見るや、出しゃばりを感じさせず、会話の途切れを感じさせない絶妙な間で口を挟んできた。


 合いの手を入れてくれるのは助かるが、ここは少し黙って貰おう。

 タイムスリップして以来、鍛えに鍛え抜かれた俺の演技力を喰らえ。


「竜とは神獣だ。隣国では古来より皇帝の象徴とされてきた。

 つまり、人々から崇められる存在だが……。虎はどうだ?

 その獰猛さから『竜虎相搏』と語られる様に竜と並ぶ強さの象徴を持ちながら、その一方で凶悪、危険、残酷といった負の印象を持つ。

 そして、何よりも現実の獣だ。それもその姿を人里に一度でも現したら、追い立てられて退治される害獣。くっくっくっ……。儂には似合いの例えだと思わないか?」


 まずは上杉輝虎に向けた視線を大空にゆっくりと上げて、そこに竜が居るかの様に目を眩しそうに細める。

 次に溜息を深々と漏らすと共に上げた視線を一気に伏せた後、最後に肩を震わせた自虐的な笑みを浮かべながら藤孝殿に横目を向ける。


「い、いえ、その様な……。」


 この問いかけは場の空気が読める者ほど頷く事が出来ない意地悪なもの。

 それでいてながら頷く事が正解の為、たちまち藤孝殿は返事に窮すると視線を俺から外した。


「いや、遠慮は要らない。おかげで、自分自身の誤りを実感する事が出来たのだからな。

 ……と言うのも、甲斐の虎と言ったら、一昔前までは我が父『信虎』を指していた。

 その由来は儂以上の戦上手だったからだが、非道な暴君でもあったからだ。

 しかし、その父を追放して、甲斐を富ます為にひた走ってきた儂が父と同じ異名で呼ばれるとは因果なものよ」


 思惑通りに進み、思わず口がニヤリと緩みかけるが、慌てて気を引き締める。

 視線を戻せば、上杉輝虎が俺を真っ直ぐに見据えていた。その眼差しはこちらの嘘を見定めるかの様に鋭く射抜いていた。


 冷たい汗が背筋を流れてゆき、たまらず視線を改めて伏す。

 今回の会談で最も大事な場面だが、今の流れなら目を合わせていなくても問題は無い筈だと言葉を重ねてゆく。


「上杉殿、儂はな。先の戦いでお前に斬られて思い知ったのだ。

 所詮、儂も只の人間に過ぎず、いずれは死ぬと……。

 神の思し召しに恵まれ、生を運良く繋ぐ事が出来たが、儂がそこで死んでいたら武田はどうなっていたかを考えて絶望した。

 まず間違いなく、信濃は荒れる。儂は甲斐を富ます為、信濃を軽視し過ぎたからな。

 上手く立ち回らねば、その荒波は甲斐にも押し寄せてこよう。

 そうなったら、甲斐は一昔前の貧しさに逆戻り。武田そのものが潰える可能性だって有った。

 だが、しかしだ。儂が心を入れ替えて、これからは甲斐と信濃を分け隔てなく治めると言っても誰が信じる?

 だから、災い転じて、福と成す。儂はこれを機と考えて、家督を義信に譲った。儂が健在の内に信濃の者達を心服させる為にな」


 斯くして、信繁さんと勘助さんの二人から何度も、何度もリテイクされて必死に憶えた俺の長台詞は終わった。

 判定は如何にと視線を正面に恐る恐る戻すと、上杉輝虎は顎をやや上げて、目を瞑りながら腕を組んで座っていた。


「義信殿の急死。お悔やみを申し上げる。

 しかし、私が聞きたいのは何故に貴方が私を和を結ぼうとしたかです。何故、家督を譲ったかでは有りません」


 一拍、二拍、三拍と待ち、唾を乾いた喉に送り込もうとした矢先、上杉輝虎が目を開く。

 その眼差しは相変わらず鋭いが、言葉遣いは変わっておらず、判定は白。大きな達成感に演技ではない笑みが零れる。


「ふっ……。心、忙しき事よ。

 今のは前振りに過ぎぬ。今の儂が以前の儂と違う事を貴殿に知って貰わねば困るからな」

「失礼ながら、急いているのはそちらかと。

 これまで返事を曖昧にしていた非は認めますが、こうも私を誘い出す真似までした理由を私は知りたいのです」


 ここまで来たら、あとは消化試合である。

 この会談で最も重要な課題は晴信という人間が如何に変わったかを信じ込ませる事に有る。


 晴信は戦上手のイメージが強いが、その実はそうでもない。

 敵の奇襲や策に嵌まる事が多く、戦術にやや弱い部分が有り、引き分けている戦いが多い。


 それでも、引き分けている以上に勝っている戦いが多いのは戦う前の戦場を謀略によって作り整えるのが上手いからだ。

 この敵将を寝返らせたり、勝利の為なら卑怯な事を何でもやってのける謀略の部分が義を重んじる上杉輝虎と相容れない部分だった。


 しかし、それは解消されたと見るべきだろう。

 その確かな証として試しに煽ってみたが、上杉輝虎は武田家と和を結ぶ理由は問いても、それを否定する言葉は出してこなかった。


 改めて感じる。本当に上杉輝虎の中でどんな変化があったのだろうか。

 不倶戴天の敵と言わんばかりに罵詈雑言の嵐を浴びせられる心構えすらしてきたにも関わらず、このスマートな対応ぶり。


 むしろ、俺ばかりが喋っている為、こちらが話を先延ばしている印象さえ受ける。

 上杉輝虎の凝り固まっている筈の心を軟化させる為の話題はまだまだ用意していたが、それ等を放棄する嬉しい悲鳴を心の中であげながら、これはいけると判断して勝負を仕掛ける。


「なるほど……。尤もな疑問だが、ここは敢えて問い返させて貰おう。

 上杉殿、貴殿は義輝様と親交が深いばかりか、その眼で京の有り様を二度も見ておきながら何も感じなかったのか?」

「なっ!? 私を愚弄するおつもりか!」


 たちまち上杉輝虎は目をクワッと見開いて激昂。床几から勢い良く立ち上がった。

 当然だろう。今、俺が問いた言葉は義を旗に掲げている上杉輝虎にとっては侮辱以外の何ものでもない。


「では、兵を率いての上洛をどうして行わない?

 聞けば、昨年……。いや、一昨年だったか? 越中の半ばまで兵を進めておきながら結局は兵を引き上げているのは何故だ?」

「それは!」

「そう、儂が居るからだ」

「えっ!?」

「儂を警戒して、越中の半ば以上は兵を進められなかったのだろ?」

「そ、その通り……。」


 同時にこの煽りは答えが最初から解りきった問いかけでもある。

 それを叫ぼうとする上杉輝虎に先んじて告げると、上杉輝虎は振り上げた拳の落とし所を失い、口を酸欠したかの様にパクパクと開閉させた。


「儂も同じだ。貴殿に睨まれていては動けんのだよ」


 その茫然とした表情こそが勝利の証。

 心の中でガッツポーズ。三ヶ月間の苦労が報われた満足感と大仕事をやり遂げた達成感に笑みが零れる。


 また、その答えこそが上杉輝虎の問いかけに繋がる答え。

 即ち、武田家の総力を挙げた兵力での上洛。西上作戦の意思表示に他ならない。


「もしや、上洛をお考えで!」

「ふっ……。随分と待たせたな」

「おおっ!」


 それを悟り、もう黙っていられなくなったのだろう。

 藤孝殿が復活。俺が頷いてみせると、喜色満面の笑顔を輝かせた。


 俺は歴史を知るが故に断言する。

 武田家の命運はあと十年。今、ここで舵を切る先を変えなければ、戦国時代を生き残れない。


 戦国時代の寵児たる織田信長の台頭と新兵器『鉄砲』の普及による戦術の劇的変化。

 今、ここで舵を切る先を変えて、この二つの難関を超えられなかったら、武田家は良くて今止まり。滅亡への道を転げ落ちるしかなくなる。


 そして、この二つの難関を同時に超える術が西上作戦に有り、そのチャンスは今を置いて他に無い。

 だが、西上作戦を実行する上でネックになるのが、晴信と上杉輝虎は確執だ。この後顧の憂いを断たなければ、武田家は西へ進めない。


 勘助さんは言った。上杉輝虎との確執を解くのは絶対に不可能だと。

 信繁さんは言った。上杉輝虎との確執は十年になるのだから、それを解くにも十年はかかると。


 そんな二人に俺は言った。

 上杉輝虎の正義感の強さは美点であると共に欠点でもある。それを上手く利用すれば、確執は解かなくても同盟を結ばざるを得なくなると。


「だが、儂と貴殿の今日までの因縁を考えたら言葉を幾ら重ね、誓紙を何枚も書いたところで不安は残ろう。

 よって、儂は上杉殿が盟約を結んでくれるのなら、犀川を境にした北の善光寺平から越後までの国境までを御料地として、帝に献上する意思が有る」


 そう、これこそが上杉輝虎を説き伏せる為の三つ目の必勝策。藪を突いたら蛇ではなくて龍が出てきちゃうぞ作戦だ。




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