第02話 決戦前
「ふぅぅ~~~……。」
今日まで勝頼に緊張するな、落ち着けと何度も言っておきながら、この様である。
陣幕が四方に張られて、外の景色を遮っていてもその時がいよいよ近づいているのが解ると、俺の胸は張り裂けんばかりにドキドキと高鳴りまくり。
関東管領『上杉憲政』と養子縁組を結ぶと共に山内上杉氏の家督を継ぎ、今は『上杉輝虎』と名前を変えた長尾景虎。
俺が知っている歴史通りに『上杉謙信』へ至る道を歩んでいる上杉輝虎に俺が挑むのは大軍をぶつけ合う決戦に非ず、俺と上杉輝虎の二人だけで行う舌戦だ。
義信が無念の急死した時、俺は信繁さんと勘助さんの二人にこう提案した。
武田家存続の為、武田が進む先は北でもなければ、南でも、東でも無い。西へと天下を目指すべきだと。
しかし、西を目指すには十年に渡る確執を続けている上杉家が邪魔なのは言うまでもない。
上杉家と和解した上に強固な同盟を結ぶ必要が有ると訴えたら、信繁さんと勘助さんは天と地がひっくり返っても無理だと反対した。
だが、このまま座視しては武田家は歴史通りに滅ぶだけ。
天と地がひっくり返っても無理なら、それを更にひっくり返すくらいの無茶をする気概が無かったら歴史は覆らないと俺は三つの勝算を提示した。
一つ目は、上杉輝虎が深い友誼を結び、親友の間柄と言っても過言で無い義輝様が武田家と上杉家の同盟を渇望している点。
以前も語ったが、これが征夷大将軍としての命令なら同盟を結んだところで中身の無い仮初めなものであり、同盟を結ぶ以前に上杉輝虎は簡単に断れただろう。
しかし、違う。この同盟の提案は義輝様個人が渇望するもの。
どうしてか、その理由は解らないが、義輝様は俺を気に入ってくれている。
上洛後も手紙が月に一通、二通の頻度で届き、常にその中に上杉家との同盟に関して、儂も諦めないから、お前も諦めないでくれと書かれてあるほどだ。
恐らく、それと似た様な手紙が何通も上杉輝虎に届けられているに違いない。
その証拠に経過報告を届けてくれる藤孝殿の話によると、上杉輝虎が明確に断ったのは俺と入れ替わる様に上洛した際に義輝様から直々に提案があった最初の一回のみ。それ以後は返事を先延ばしに誤魔化してばかりいるらしい。
この事実から上杉輝虎の心の迷い、揺れ動きを感じる。
少なくとも同盟を結ぼうとする心が決してゼロでは無いのは確かである。
だが、晴信と上杉輝虎の過去を考えたら、その数字が過半数を超えるのは時間がかかり過ぎる。
下手したら、五年単位、十年単位で待たなければならない。俺が知る歴史では十年後に信長が台頭を始めており、それでは全てが手遅れになる。
だから、上杉輝虎の時間を無理矢理にでも進める必要があった。
交渉のテーブルがある部屋の前でウロウロと彷徨い、行ったり来たりと立ち止まっている上杉輝虎に部屋のドアを開けさせるお膳立てが必要だった。
それが二つ目、今回の武田家総力を挙げての軍事行動に他ならない。
但し、只の軍事行動では駄目だ。上杉輝虎を呼び寄せる事に成功しても戦端が開かれてしまっては意味が無い。
上杉輝虎を呼び寄せても戦端は開かせない。
その為の策が過去三回の川中島の合戦で命を落とした者達を追悼すると共に英霊として讃える英霊祭である。
なにしろ、上杉輝虎は正義感と信仰心の二つが強い男だ。
この英霊祭で讃える英霊が武田家の戦死者だけならまだしも、上杉家の戦死者も含まれているとなったら、もう絶対に自分からは手が出せなくなる。
事実、上杉家の軍勢は善光寺平の入口にその姿を一旦は見せながらも退き、今は善光寺平北東の三登山の中腹に陣を構えて、こちらの思惑を探る様に動く気配を見せていない。
余談だが、この英霊祭で祀られている英霊達の中には晴信も当然の事ながら含まれている。
それだけに信繁さんと勘助さんのこの英霊祭に対する張り切りぶりときたら凄いの一言。何も知らない周囲の者達が退いて戸惑うくらいだ。
当初、俺としては晴信が没した川中島の地に供養塔を建てて、それを近くの善光寺の僧達に慰霊して貰う程度を考えていた。
しかし、信繁さんと勘助さんの二人が駄目だ、駄目だと唾を飛ばしての猛反対。善光寺は勿論の事、信濃中の寺社から僧、神官を招いて、小さくても立派な社を建てると、大名の葬儀ですらこうはいかない三日三晩に渡る大々的な英霊祭を計画、実行した。
しかも、この続きがまだ有る。
武家が武運と崇める八幡神の総本社である宇佐神宮から分社様を招き、ゆくゆくは大きな神社にする遠大な計画が有るそうで既にその使者を遣わしているらしい。
俺は確信せざるを得ない。
今は草原でしかないこの地が神社を中心にして、やがては大きな街に育ってゆくのを。
この英霊祭は後世へと語り継がれて、諏訪大社の御柱祭と並んで代表する信濃の祭りになるのを。
約四百年後の未来において、俺が知っている川中島古戦場跡地とは似ても似つかない光景がここに出来上がっているのを。
ひょっとしたら、明治維新の廃藩置県で川中島が県庁所在地に選ばれ、長野県が川中島県になっている可能性すら有る。
とんでもない事をやってしまった感は否めないが、それを予想しながらも俺は信繁さんと勘助さんの二人をどうしても止める事は出来なかった。
武田家存続の為とは言え、晴信の末路はやはり哀れ過ぎる。
死を隠す目的に首を断たれ、遺体は身ぐるみを剥がされて戦場に野晒し。
その死を知る者は俺と信繁さんと勘助さんの三人だけ。葬式はあげられず、その首を掘り起こされる万が一の心配も無ければ、人目が絶対に届かない諏訪湖の真ん中に沈めるのがやっとだった。
晴信は宿敵たる上杉輝虎と手を結ぼうとする俺をどう思っているだろうか。
もし、怒っているとするのなら、上杉輝虎を説き伏せる為の三つ目の必勝策は絶対に許さないだろうなと思わず苦笑が漏れたところで気づく。
「あっ……。」
右足が貧乏揺すりをする様にブルブルと上下に震えていた。
慌てて右膝を上から右手で押さえ込み、その震えを無理矢理に止める。考え事に没頭したら、緊張が少しは収まるかと思ったが無駄だった様だ。
明らかにこのままではまずい。
押さえ込んでいる力加減から解る。床几から立ち上がる事は出来ても満足に歩けそうに無い。
「使番!」
「はっ!」
「高坂昌信に伝えよ。大至急、本陣へ参れと」
「御意!」
そんな情けない姿を上杉輝虎はおろか、兵士達にすら見せる訳にはいかない。
陣幕の外に侍っている伝令役の兵を呼んで用件を伝える。こうなったら、最後の最後まで残していたとっておきの切り札を切るしか道は無い。
「あの……。父上?」
勝頼が戸惑いに強張らせた表情をこちらに向ける。
当然の反応だ。信繁さんや勘助さんといった知略に富んだ者を呼ぶなら、上杉輝虎との会談を前にした相談事と予想が出来る。
だが、俺が呼んだのは高坂昌信。武田四天王に数えられる武田軍の切り込み隊長である。
このタイミングで呼ぶには些か不自然であり、俺が突然の心変わりをして、上杉輝虎との決戦を選択したかも知れないと即座に予測を立てられる用心深さが無かったら戦国大名は務まらない。
それ故、その理由をちゃんと説明する必要が有る。
例え、それが息子として接している勝頼には言い難くても、恥ずかしくても。
「どうも駄目だな」
「何がです?」
「手を結ぶと決めたが、上杉輝虎は儂が宿敵と一度は定めた男。いざ会うとなったら気が高ぶって仕方が無い」
「はっはっ! さすがの父上でもですか?」
「当然だ。儂も人間だからな。ただ……。」
「ただ?」
しかし、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。
最終的に足を開いて座っている股間を右手で撫で弄り、こちらの意図をジェスチャーで伝える。
「ただ、このままではどうにも収まりが悪くて歩き辛い。
それにそうと知られたら、上杉輝虎に笑われる。だから、まあ……。その……。うん、解るだろ?」
「あっ!? ……しょ、承知しました!
で、でも、もう時間が迫っていますし……。て、手短に! お、おい、お前達も行くぞ!」
その意味をすぐに理解は出来なかった様だが、数拍の間を置いて察してくれたらしい。
勝頼は床几から勢い良く立ち上がると、真っ赤に染めた顔を忙しなく左右に何度も振り向けて、陣幕を足早にそそくさと出て行く。
「由布にはくれぐれも内緒だぞ?」
「わ、解っています!」
陣幕内に侍っていた勝頼の親衛隊も同様だ。
若い彼等は一様に『さすが、大殿! 大事な会談前に凄ぇ!』と言わんばかりの驚嘆顔で次々と出て行き、陣幕には俺一人だけが思惑通りに残った。




