第05話 桶狭間の戦い
「遅れて申し訳ありません」
襖が静かに開いて、ダンディーな髭のおじ様が姿を現す。
俺が知る歴史において、明治の世まで家が残る真田家の祖と言える人物『真田幸隆』である。
「構わん。皆も来たばかりだ」
「恐れ入ります」
顎をしゃくり、空いている場所に早く座れと促す。
今、この広間には所謂『武田二十四将』と呼ばれる武田家の重臣達が車座になって集っていた。
それぞれと諏訪の屋敷で何度も会っているが、こう一堂に会するのは初体験。皆を前に平静を装っていても腕を組んだ手の中は汗ばみが酷い。
もっとも、正確な数を言うのなら、ここに今居るのは俺を含めて、二十一人。
武田二十四将の内、既に三人は鬼籍に入っており、最重鎮で義信の後見人だった飯富虎昌は義信の若すぎる突然死に寝込んでしまって欠席している。
ちなみに、病を患っていないにも関わらず、二十三歳の若さで突然に亡くなってしまった義信の死因は判明していない。
朝食を済ませて立ち上がり、十歩ほど歩いたところで不意に膝を落として崩れ落ち、そのまま眠る様に亡くなった点から当初は毒殺が怪しまれたが、残された食事から毒は一欠片も見つかっていない。
だが、義信の遺体と対面した俺は死因が即座に解った。
明らかに脳溢血か、心臓麻痺による過労死だ。死して尚、それが一目で解るほどの酷い疲労が義信の死相に深く刻まれていた。
事実、何人かに話を聞いてみると、これが想像以上のブラックを超えたスーパーブラックな働きぶり。
武田家当主としての職務は勿論の事、西に揉め事が有ったら仲裁に行き、東に祝い事が有ったら祝福に行き、朝は誰よりも早く起きての鍛錬を行い、夜は誰もが寝静まるまで兵法や律令を学ぶ。朝、義信を起こしに行ったら夜通しで起きていたなんて事も多々あったらしい。
そんな毎日を繰り返していたら身体を壊すに決まっている。
それにここ数ヶ月は食が細くなり、無理に食べたら戻してしまう為、粥を常食にしていたと言うではないか。
どうして、義信を誰も止めなかったのか。
義信の遺体と対面した直後、その役目を真っ先に担っていた筈の飯富虎昌を殴り飛ばそうとしたが出来なかった。
『大殿……。若を、義信様を褒めてやって下され。
あの日以来……。大殿とのわだかまりが解けて以来、義信様は大殿を超えてみせるんだと……。日々、邁進して参りました。
その先を急ぎ過ぎる様を心配して、儂が少しは休めと苦言を申しても……。
俺は凡人だ。天才の父上を凡人が超えるとなったら、父上の二倍も、三倍も努力をせねばならない。この程度は当たり前だと言って……。
事ある毎に大殿より頂いた言葉を……。それがどうしたと嬉しそうに笑って、疲れ切った身体に喝を入れて……。いつか、父上に褒めて貰うのだと……。』
その涙ながら途切れ、途切れに吐露する懺悔を聞いて、止めようにも止められなかったのだと知って。
もし、義信を止めれるとしたら、それは俺だけだったのかも知れない。こんな事になるなら、この躑躅ヶ崎館での新年祝賀会に誘われた時、諏訪の方のご機嫌取りに別所温泉へ旅行に行くからと断るべきでなかった。
戦国時代にタイムスリップしての三年目。
他人から見たら呆れるしかない椿と諏訪の方の確執解消に俺が奔走する事が出来たのは義信のおかげが大きい。
上洛の旅へ行く前は晴信が当主だった頃の武田家を懐かしんで愚痴を零す者が俺の元にうんざりするほど多く訪れていた。
しかし、それが上洛の旅から帰ってくるとめっきり減った。義信の影響力が高まり、晴信の影響力が薄まってきた何よりの証拠である。
今や、俺の元に訪れるのは大半が隠居した者ばかり。
隠居した者同士、昔話を気軽に花咲かせる毎日であり、正に義信の死はこれで俺の人生も安泰と安心していた矢先の出来事だった。
「さて、これで揃ったな。
こうして、皆に集まって貰ったのは他でもない。薄々気付いていると思うが、明日の葬式で発表する義信の後継を予め知って貰う為だ」
真田幸隆が腰を下ろしたのを合図に頷き、第一声を静まり返った場に放つ。
その途端、息を飲む声があちらこちらで聞こえた。俺の言葉からその先を言わずとも既に答えを得たらしい。
「何の為の車座だ。許可を得る必要は無い。
儂の心は決まっているが、忌憚のない意見を言ってくれ。それがより良ければ、一考もする」
全員が全員、忙しなく顔を見合わせて、最終的にその視線が信繁さんに全て集う。
それに応えて、信繁さんが発言を求めて静かに挙手するが、その役者ぶりに堪らず苦笑が漏れた。
実を言うと、俺と信繁さんと勘助さんの三人にとって、この会議は茶番である。
昨夜、皆が寝静まった頃に集い、義信亡き後の武田家についてを明け方近くまで膝を突き合わせて語り合い、密かに統一した見解を得ている。
俺は晴信の影武者である。
だから、俺達三人による武田家秘密会議が開催される時、常に俺は聞き役に徹してきた。
あくまで話し合うのは信繁さんと勘助さんであり、俺は参考意見を出すか、二人が決断にどうしても苦しんだ際に多数決の一票を投じる程度だった。
だが、今回からは違う。
俺も積極的に意見を出して、武田家の将来の舵取りに参加している。
その理由はただ一つ。
俺が知る歴史において、戦国時代の代名詞と言うべき合戦『桶狭間の戦い』が遂に起こり、信長が今川義元を討ち果たして、大勝利を収めたとの報告が三日前にこの躑躅ヶ崎館に届いたからだ。
それを聞いた時、俺は激しい焦燥感に駆られた。
もし、義信が突然死していなかったら、義信に信長を強く警戒せよと助言する程度だっただろう。
しかし、義信は死んだ。
俺が知る歴史とは大きく違って、家督を円満に継ぎ、晴信との間にあった確執も目出度く解消したにも関わらずだ。
まるで俺が知る歴史に引っ張られているかの様であり、これこそが正しいと、余計な事はするなと、世界が俺に諭している様な気がしてならなかった。
冗談では無い。
もし、そうだったら、あと十年もしたら武田家は大きく衰退。滅びの道を歩んでゆく事になる。
古今東西、領土を他勢力の侵略によって奪われた支配者の末路は変わらない。
将来の禍根を断つ為、支配者は勿論の事、一族全員が抹殺。生き残る可能性が有るとしたら、女児か、見た目麗しい年頃の娘か、影響力が薄い分家の男児のみ。
最早、俺の命が、俺の寿命がと言っている場合では無い。
もう間もなくしたら桃が産んでくれる自分の子供を何が何でも守りたかった。
その為にも世界が俺の知る歴史に正そうと修正が出来ないくらい今の歴史を大きく捻じ曲げる必要が有ると考えた。
幸いにして、信繁さんも、勘助さんも俺の変化を歓迎してくれた。
ようやく傍観者から当事者になる覚悟が決まったかと。食い物の事しか関心が無いのかと呆れていたんだぞと。
余談だが、京都を中心に諸国を見聞中の勘助さんが義信の葬儀に間に合ったのは京都に作った拠点のおかげ。
こんな事に役立つなんて皮肉も良いところだが、その有用性は確かめられた。今後の武田家に勘助さんは絶対に必要で傍に居て貰いたい為、義信の葬儀が終わった後は別の者を京へ送る予定になっている。
「では、遠慮なく……。
兄上のその口ぶりですと、後継は勝頼という事ですか?」
さあ、ここからが台本スタートだ。
順調に進みます様にと心の中で願いながら頭の中でカチンコを鳴らせた。




