第03話 もうすぐ四年目
「えーーーっと……。
弥七郎とは何も有りません。絶対、嘘では有りません。
本当に夜伽をさせた事は有りません。この前も、昼も、夜もです。今夜も当然です。
貴方の気を惹きたくて、手を色々と尽くしているのにこうも疑われるとは心外です。
そもそも、近習に取り立てたばかりの弥七郎をどうして知っているのですか? 正直、貴方がちょっと怖いです」
戦国時代へタイムスリップして、もうすぐ四年目。三度目の春を迎えた。
影武者としての日常に慣れるので精一杯な一年目と上洛の旅に京までの道のりを自分の足で歩いた二年目に比べたら、三年目は平穏な毎日だったと言えるだろう。
ただ一つ、椿がたまに巻き起こす騒動を除いて。
今とて、椿からラブレターという名の詰問状が届いた為、燻り始めた火種を火種の内に消そうと返事の文面に頭を懸命に悩ませているところだ。
「……って、駄目だな。
こんな事を書いたら、また泣いてすっ飛んで来るに違いない。書き直そう」
筆を走らせていた文面が気に入らず、バッテン印を大きく入れた後、その紙を無造作に丸めて放る。
だが、目標のゴミ箱は既に失敗作の山積み状態であり、幾つかの失敗作と一緒にゴミ箱の外に零れ落ちてしまう。
「はぁぁ~~~……。」
筆を置いて、溜息を深々と漏らしながら墨を硯に擦る。
煮詰まり感が苛立ちを併発させて、投げ出したい気分に駆られるが我慢、我慢である。
例え、どんなに面倒だとしてもここで放置したり、対応を誤ったりしたら、今以上の面倒が待っているのは去年の経験で解っている。
それに全ての発端は自分自身にあるのだから諦めるしかない。
そう、一年前のあの日。復讐心に我を忘れて、椿にズブリといってしまったのが駄目駄目の大失敗だった。
あの日を境にして、椿は大きく変わった。
第三者が同席している時は何の問題は無い。城代の職務だって、きちんと全うしており、悪い評判は一度も聞いた事が無い。
しかし、俺と二人っきりになった途端、明らかに女と解る顔をする様になった。
俺自身、椿が女性と知った事も有るだろうが、それまでは俺に悟られず、あくまで『高坂昌信』を貫き通していたにも関わらずだ。
それに加えて、アピールが積極的になった。
何かと理由を付けては二人っきりになりたがり、二人っきりになったらなったで誘ってくる。今や、俺の方が押し倒されてばかりいる。
そして、大きな問題が嫉妬深いを通り越して、ちょっと病み気味な点だ。
冬の雪深い時期ですら手紙が一週間に一度、雪が降らない春、夏、秋は三日と空けずに届き、それに対する返事をつい疎かにすると、次の手紙は文量が増え、その次は手紙が届く間隔が縮まり、最後は自身が佐久から馬を走らせてやってくる。
挙句の果て、やってきたらやってきたでなかなか帰ろうとしない。
三日間の滞在は当たり前。一週間以上に渡る事も多く、宥めて、宥めて、叱り、やっとの思いで佐久へ帰らせる。
おかげで、諏訪と佐久の遠距離恋愛の筈がそれをちっとも感じさせない。
最初は椿に遠慮をしていた桃も最近は椿が訪れると不機嫌さを隠そうとせず、そのご機嫌取りもまた大変になる。
だが、本当に逃げ出したくなるくらい大変なのは諏訪の方との確執だ。
諏訪の方は晴信の四男『勝頼』を産んだ母親の妹であり、姉が若くして亡くなった後、勝頼の諏訪家後継を確かなモノとする為に晴信の側室になった女性である。
諏訪湖の南にある諏訪大社上社近くの上原城に住んでおり、この屋敷と近い事もあって、それまでは俺か、諏訪の方のどちらかが月に二度か、三度ほど相手の居を訪れる交遊が続いていた。
ところが、それが変わった。
何処から聞き付けてくるのか、椿がこの屋敷に訪れると諏訪の方も必ず訪れる様になった。
無論、二人とも大人の女性で立場も有る。
お互いに髪を引っ張り合う様な乱闘にはならないが、この屋敷全体がギスギスとした緊張感に包まれ、嫌味を交わし合う間に立たされる俺は堪らない。
特に夜が酷いと言うか、怖い。心が休まらない。
椿と諏訪の方が泊まっている客間のどちらに俺が訪れたかで一悶着が翌日に必ず起こるばかりか、遠く離れた相手の客間に届けといつも以上に大きな睦む声をあげる為に桃まで不機嫌になる。
これ等の問題に関して、信繁さんを始めとする何人かに助けを求めたが駄目だった。
全員が全員、触らぬ神に祟り無しと関わりを持とうとせず、助けになった事と言ったら、諏訪の方が何故にこうも椿を目の敵にするのかの理由が解った事くらいか。
本来、こうした奥の問題を解決するのは正室の役目だが、晴信の正室はとうの昔に亡くなっている。
晴信が正室を娶ったのは十歳になったばかりの頃。その相手は三十歳以上も年上で完全な政略結婚である。
その為、継室となった三条の方が事実上の正室となる。
しかし、晴信と三条は出会った当初から不仲で義務的な関係が続き、武田家が信濃へ進出して、晴信が甲斐を留守にする事が多くなると次第に疎遠となったらしい。
実際、晴信の側室、妾、愛人はこの屋敷を最低一度は訪れているが、三条の方はこの屋敷を一度も訪れていない。
義信が武田家の家督を継いだ時、その感謝の手紙を一回だけ送ってきたのみであり、それさえも義務的で短く簡素な手紙だった。
その結果、諏訪の方が誰に言われるまでもなく、正室の役目を自然と担う様になった。
武田家が信州を攻める際、諏訪が必ず通り道になる為、晴信から受ける寵愛の頻度が多くて、諏訪家は晴信の側室、妾、愛人の誰よりも古い歴史を持つ名門だったからだ。
晴信もそれを許した。
そう言葉に出して認めてはいないが、その振る舞いを罰する事も、苦言する事も無かった。
だが、椿の出現が諏訪の方に不安を抱かせて、危機感を募らせる。
高坂家は諏訪家と比べても遜色ない家格であり、椿は諏訪の方より若い。
それだけならまだしも、椿は高坂昌信として戦場に趣き、自分より圧倒的に長い時間を晴信と共有するのだから嫉妬するのも解らなくもない。
つまり、俺は悪くない。晴信が全て悪い。
確かに俺は致命的な失敗を犯したかも知れないが、突き詰めて考えると俺は晴信のツケを払っているだけ。
「あーーー……。駄目だ、駄目だ! 止め、止め!」
苛立ちが収まらず、鼻息をフンスと強く吹き出して立ち上がる。
このまま続けても満足するモノは出来そうにない。本日、三回目になる休憩を取る事に決めた。




